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蒼月の交響曲  作者: 由希
第二章 いざ北方の地へ
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第九十三話 自分の為の涙

「なっ……!?」


 それまで余裕たっぷりだったエンプティが、初めて驚愕の表情を浮かべる。クラウスの放った火球は……岩棚で待機していた弓兵達へと、分散して向かっていった。


「うっ……うわああああああああっ!!」


 完全に不意を突かれた弓兵達に、逃れる術はなかった。火球は岩棚に直撃し、その上にいる弓兵達を残さず丸焼きにする。


「何のつもりです、クラウス・アウスバッハ! 家族が、アウスバッハ領がどうなってもいいと言うのですか!」

「アウスバッハを見くびるな、女狐が!」


 声を荒げるエンプティに、クラウスが一喝する。それは威厳に満ちた、力強い声だった。


「貴様達の卑劣な手に屈するほど、我らアウスバッハは弱くはない! それは領主である父上も、それに従う領民達も同じ事! 己が私欲の為に仲間を売る臆病者に、アウスバッハの名を名乗る資格などない!」

「あなた……では始めから、我々の不意を突く為に……!」

「卑怯と謗られる謂れはないぞ。先に人質を取り、こちらに不利な選択を強いたのは貴様達の方なのだからな!」

「くっ……ならば私自身の手であの娘を始末して……!」


 そう言ってエンプティはアロアの方を振り返るけど、それは叶わない。何故なら……兜を目深に被った一人の兵士が、アロアを拘束していた縄を切りその身を保護していたから。


「何をするのです!? 誰がその娘を解放していいと言いました!?」

「へっ、生憎あんたに指図される覚えはこっちにはないんでね……っと!」


 にやりと笑った兵士が、おもむろに兜を脱ぎ捨てる。その下には……日に焼けた、ランドの顔があった。


「あなたは……仲間割れを起こして逃げていった筈……!」

「絶対あんたらの監視はあると思ってたからな。そう思わせといて監視が切れただろう辺りでこっちに方向転換して、こっそり内部に潜入させて貰ってたって訳さ! あんたがあんまり部下に注意を払わない性格だったお陰で、こっちは動きやすかったぜ!」

「な……な……!」

「……ありがとうな、皆。黙って俺を行かせてくれて」

「信じてたからね。ランドも、それにクラウスも絶対、仲間を見捨てたりしないって」


 嬉しそうに笑うランドに、僕も力強い笑みを返す。確かな言葉は何もなかった。それでもお互いを信じられるだけの強い絆を、結んできた筈の僕らだったから。だから信じた、それだけだ。


「さて、どうする宰相さん? どうやら形勢は完全に逆転したようだが?」


 曲刀を抜き放ち、サークさんがエンプティの方へと一歩を踏み出す。エンプティは忌々しげに顔を歪めていたけど……やがて、薄い笑いを浮かべた。


「……いやはや、すっかりしてやられました……と言いたいところですが。こちらとて、このような事態を全く想定しなかった訳ではないのですよ。……兵士達よ、命令です! この者達を殺しなさい!」


 そう言ってエンプティが高らかに口笛を吹くと、武器を持った大勢の兵士達が僕らを取り囲むようにどこからか現れ峡谷を埋め尽くした。エンプティは即座にその兵士達の群れと合流し、未だ事態についていけず呆けているエルナータ以外僕らもまた臨戦態勢を取る。


「こちら側は僕とサークで片付ける。リトとチビはランド達の方へ行け。……チビ! いつまでも呆けているな! ここが正念場だぞ!」

「はっ! ……お、お前が指図するな馬鹿! エルナータを騙した癖に! あとチビじゃない、エルナータだ!」


 クラウスと我に返ったエルナータとのやり取りに、思わず笑みが零れる。……大丈夫。僕らなら、切り抜けられる!


「行こう、エルナータ。……いつものように、悪い奴らをやっつけに!」

「ああ! 今ならエルナータ、いつまでだって暴れられるぞ!」

「ふふ。……煌めけ、剣よ!」


 エルナータの頭を一撫でし、剣を出した僕はアロアとランドのいる方から向かってくる兵士達を迎え撃った。



 僕を前後から挟み撃ちするように、兵士達が垂直に剣を突き出す。それを僕はギリギリまで引き付け、お互いが咄嗟にかわせない距離になったところで軽く身を引いた。


「うわっ!」


 目論見通り、兵士達がお互いの剣を避けようと大きく体勢を崩す。その隙を突き、僕は鎧に守られていない兵士達の首筋を深く斬り付けた。


「この餓鬼が!」


 崩れ落ちる兵士達を踏みつけるようにして、別の兵士達が大挙して押し寄せてくる。けれどその進軍は、見えない壁によって唐突に阻まれた。


「私が、皆の事は傷付けさせない!」


 その声に振り返ると、こちらに向かって光る手を突き出したアロアの姿があった。そしてその横で、ランドが二本のダガーを大きく振るう。


「こいつで纏めて吹き飛ばされちまいな!」


 ダガーから生じた大きな竜巻は、蛇行しながら兵士達の方へ向かっていく。巻き込まれないよう僕が横に身をかわすのと同時にシールドが消え、竜巻に巻き込まれた兵士達が次々と宙へ舞い上げられていく。


「まだまだ終わらないぞ!」


 そこに更に崖を強く蹴り三角飛びをしたエルナータが突撃し、身動きの取れない兵士達の首を髪の刃で残さずはね飛ばしていく。降り注ぐ血の雨を浴びながら僕は竜巻が消えたその場所に飛び込み、武器を大鎚へと変更する。


「砕け、鎚よ! ……おおおおおっ!!」


 力一杯、周囲の兵士達目掛けて大鎚を振り回すと鎧をへこませながら兵士達が纏めて薙ぎ倒されていった。けれどその合間を縫い、投擲された槍が無防備な僕の胸に迫る。

 胸に槍が刺さると思った瞬間槍は何かに弾かれ、微かに僕の胸元に赤い筋を残すだけで終わった。ホッと息を吐く僕に、怒ったようなアロアの声が飛ぶ。


「リト、ちゃんと気を付けて! プロテクションが間に合わなかったらどうするつもりだったの!?」

「ご、ごめん。ちょっと油断した」

「こんだけの人数を相手に油断とか、いい根性してんなおい!」


 近付いてきた兵士の一人の剣をサイドステップでかわしながら、ランドが皮肉を口にする。けれどそう言う表情に悲壮感はなく、寧ろ微かな笑みさえ浮かんでいる。

 ここまで来た僕らだ、この逆境でも負ける気はしない。きっとこの場にいる誰もが、そう思っている事だろう。


「相手の数も減ってきた! 一気に畳み掛けよう!」

「ああ! エルナータの力、もっともっと見せてやるぞ!」


 大勢を覆され、戦意を失いつつある兵士達の心を完全に折るべく僕らは更に手にした武器を振るった。



 結局それから少しも経たないうちに生き残りの兵士達が撤退し、戦闘は幕を下ろした。こちらの被害は僕とランドが少し掠り傷を負った程度で、後は怪我もなく無事だった。


「そっちも終わったみたいだな」


 反対側からクラウスとサークさんが、一息吐きながら歩いてくる。流石というべきか、二人の体には傷一つ付いていなかった。


「エンプティには逃げられちまったけど……やっぱ、また襲ってきますかね?」

「ノーブルランド同盟の陣営に入るまでは、油断しないに越した事はないだろうな。指揮系統さえ整わなければノーブルランド同盟も恐るるには足りない。それがあの宰相の見解なら、間違いなくまた俺達を妨害してくるだろう」

「とは言え、兵士を直接動かす事は暫く出来んだろうがな。これだけの兵を失った後では」


 ランドとサークさんの予想に、クラウスがそう笑って付け加える。そんなクラウスに僕は、一つだけ気になっていた事を聞いてみた。


「クラウスは……本当に良かったの? あんなにはっきりと、グランドラに敵対宣言をして……」

「……構わんさ。家族の身可愛さに一度請け負った役目を放り出すなど、父上や母上が知ればそれこそ勘当ものだ。あの人達は、そういう責任感のない事を一番嫌う。それに……父上と母上は強い。あの宰相が何をしてきたって、絶対に負けたりはしない」

「ああ、ガライドとエレノアなら大丈夫さ。きっとな。一線を退いて大分経つとはいえ、あいつらは何つってもあの『竜殺し』と『炎の聖女』なんだからな」


 どこか自分に言い聞かせるように言うクラウスと、その背をぽんぽんと叩くサークさん。そんな二人を見て僕もクラウスの両親と、その領民の無事を祈ろうと思った。


「……」


 ふとエルナータを見ると、敵と一緒にまんまと騙された怒りをまた思い出したのかすっかりむくれて僕らにそっぽを向いていた。ランドが困った顔で頭を撫でて宥めているけど、エルナータの不機嫌は治まりそうにない。


「なあエルナータ、何も説明しなかったのはホント悪かったって。でもどこまでのレベルであいつらがこっちを監視してるか解らなかったからさ……迂闊な事は言えなかったんだよ」

「ふんだ! そうやってエルナータだけ仲間外れにして! ランド達だけで解り合って! ずるいずるいずるい!」

「そうむくれるなチビ。貴様が一緒に騙されてくれたお陰で奴らを上手く出し抜けたのだチビ。よくやってくれたチビ」

「褒めてないし、チビチビ連呼するな馬鹿ぁ!」


 ランドとクラウスの言葉にも、エルナータはますますへそを曲げるばかり。……まあ、クラウスは逆に煽ってるだけな気もするけど……とにかく、それもエルナータなりに本気で皆を心配していたからなんだろう。


「……リト」


 不意に、一人佇んでいたアロアが僕の名を呼ぶ。そのどこか、すがるような目に僕は黙ってアロアの手を引き、皆から少し離れたところへ連れていった。

 二人きりになってからも、アロアは迷うように僕を見たり下を向いたりを繰り返す。僕は根気良く、アロアが口を開くまで待つ事にした。


「……リト。私ね。……怖かったの」


 やがて、アロアが俯いたまま語り出す。その体は、微かにぷるぷると震えている。


「目が覚めて、捕まったのが解って。どうしようって、皆の足を引っ張っちゃうって怖かった。私のせいで、皆が危険な目に遭ったらどうしようって」


 俯いた顔から、雫が落ちる。それは地面に落ちて、乾いた血の跡と混じり合った。


「それ以上に……もし死んだら、リトや皆ともう会えなくなるって……それが一番、怖かっ……!」


 言葉はそこで、涙に飲まれた。僕は震えながら泣くアロアの体を、優しく強く抱き締めた。


「もう大丈夫。怖がらせてごめん。もしまた同じ事が起きても、何度だって助けに行くよ。大切な、アロアを助けに」

「うぅ……うわああああああああああんっ!!」


 僕の胸の中で、アロアは大声で泣いた。きっとそれは……アロアの両親が死んでから、初めて誰かの前で自分の為に流した涙。

 自分の為に泣く事は、決して悪い事なんかじゃない。誰かの為に泣く事だけが善じゃない。思い切り泣いて、自分の気持ちに整理を付ける為にだって涙はあるんだ。

 だから、今は好きなだけ泣いて欲しい。自分の辛かった気持ちを、浄化させる為に。

 泣きじゃくるアロアの乱れた髪を指で整えながら、そんな事を僕は思った。

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