第九十二話 バラバラの気持ち
一旦手紙を持って部屋に集まり、この先どうするべきかを皆で考える。一番最初に口を開いたのは、ランドだった。
「……こんなん、絶対罠だろ。行けば俺らまで殺されるだけだ」
「じゃあアロアを見捨てるのか!? エルナータは嫌だぞ。絶対にアロアを助ける!」
苦々しく吐き捨てるランドに、エルナータが猛然と反論する。そんなエルナータを睨み付け、ランドは荒々しく近くの壁を叩き付けた。
「もう沢山だ! 強くなろうと色々頑張ってきた、その結果がこれだ! のこのこグランドラの奴らの前に出ていって虫けらみたいに殺されるくらいなら、俺はここで抜ける。ここからは一人でやらせて貰う!」
「ランド! 何でそんな事言うんだ、一緒にアロアを助けよう!」
「うるさい! うるさい! もう仲間ごっこはうんざりなんだよ! 悪いけど馬は一頭貰ってくぜ、その方が足がつきにくいからな!」
すがり付くエルナータを突き飛ばすと、ランドは僕らの返事を待たず乱暴に扉を開けて部屋を出ていった。突き飛ばされ尻餅を着いた体勢のまま、エルナータがそれを呆然と見送る。
「何で……何で、ランド、何で! それにリトも、サークも、クラウスも! 何でランドを止めてくれないんだ!」
我に返ったエルナータが、泣きそうな顔で今度は僕らに目を向ける。それに対してクラウスはただ黙って目を逸らし、サークさんは真顔のまま言った。
「あいつがそうしたいなら、したいようにさせてやればいい。止める権利は、俺達にはない」
「まさか……まさか皆、行かないのか? 皆アロアを見捨てて……?」
サークさんの言葉に不安に顔を歪ませるエルナータを、僕はそっと抱き締めた。そして指から零れるさらさらの銀髪を撫でながら、宥めるように言う。
「大丈夫。皆アロアを見捨てたりしない。……行こう、峡谷へ。アロアを助けに!」
決意を込めて宣言する僕に、その場にいる全員が大きく頷き返した。
集落で集めた情報によると、峡谷までの距離は歩いて一日ほどらしい。僕らは相手がどういう行動に出ても対応出来るように、徒歩で峡谷へと向かう事にした。
「出立までには帰ってきて下さいよ。あんた達がいなけりゃ、こっちは何の為に戦場まで行くのか解りゃしない」
ウェンドの集落の人達にそう言って見送られ、出発する。場違いなほど爽やかな秋風が、平原を歩く僕らの体に吹き付けた。
「――あと少しで、冬が来るんだな」
そんな事を、クラウスがぽつりと呟く。……そうか。タンザ村で僕が目覚めてから、もう半年が経とうとしているのか。
この半年間、アロアはずっと僕と一緒にいた。いつもアロアが側で支えてくれていたから、僕は今までやってこれた。もしアロアに何かあったら……僕は、壊れてしまうかもしれない。
「リト、あまり思い詰めるな。焦りは死を招くぞ」
僕の想いを察したのか、サークさんがそう肩を叩く。解ってはいるけど……不安も、焦りも消える事はない。
歩いていくうちに次第に草が疎らになり、地面も荒く起伏が多くなってくる。遠目に山のようなものが見え、草木のない岩肌が丸出しになったその場所はどこか寂しい印象を僕らに与えた。
「あっちに……アロアが囚われている峡谷があるんでしょうか」
「恐らくな。到着は日暮れになりそうだが……こちらの都合が良くなるまで、向こうが待ってくれる保証はない」
「アロア、エルナータ達が絶対助け出してやるからな……!」
サークさんが目を細めて山を見つめ、エルナータが決意に満ちた顔で拳を握り締める。僕らは逸る気持ちを抑え、体力を消耗し過ぎない速度で山を目指し、歩き続けた。
やがて真上にあった太陽が徐々に傾き、地面に近付いていくと辺りはすっかりごつごつとした山道になった。完全に暗くなる前にとサークさんがカンテラに火を点け、行く手を照らす。
「あっ! あっちで何か光ってるぞ!」
そのまま暫く歩くとエルナータが不意に正面を指差し、声を上げる。エルナータの指差す方を見ると、確かに何かの灯りが風に煽られ揺らめいている。
「恐らくアロアはあそこだ。行くぞ!」
クラウスの声を合図にするように、一気に進む速度を上げる。灯りはみるみる大きくなり、間もなく大きな一本の柱を映し出した。
「……アロア!」
峡谷の中央に建てられた柱にくくりつけられ、ぐったりとしたその人影を見て思わず声が上がる。赤い旅装を身に付けたそれは、間違いなく僕の知るアロアその人だった。
項垂れていたアロアが、ゆっくりと顔を上げる。そして僕らの姿を確認すると、その顔が絶望に染まった。
「皆、来ちゃ駄目! 逃げて!」
「大丈夫だ、アロア! エルナータ達が来たからには、敵なんて皆ぶっ飛ばして助けてやる!」
声を限りに僕らに逃げるよう促すアロアに、エルナータが自信満々にそう告げる。そのままエルナータがアロアに向かって飛び出そうと一歩踏み出した直後、岩影から白い人影がゆっくりと歩み出てアロアの正面に立った。
白いローブを身に纏い、その上から白い外套を羽織った人影が顔を上げて僕らを見る。その顔の上半分は……目の辺りに細い穴が開いただけの、真っ白な仮面で覆われていた。
「――ようこそ、レムリアの使者の皆様方。お初にお目にかかります」
仮面の人物が口を開く。それは甘く、とろけるような女性の声だったけど……その蠱惑的な声色から受ける印象とは真逆の胸のざわつきを、どこか僕に感じさせた。
「やい、お前がアロアを拐ったのか! お前誰だ!」
「申し遅れました、私の名はエンプティ。不肖ながら、軍事国家グランドラの宰相を務めさせて頂いております」
「宰相……まさか、そんな大物が……」
恐れ知らずのエルナータの問いに笑顔で答えた仮面の人物――エンプティに、クラウスが驚愕の視線を向ける。僕は隣のサークさんに、こっそりと聞いてみた。
「サークさん、宰相って……そんなに偉いんですか?」
「ああ。宰相とは国王の意を国民に伝え、国を動かすもの。言ってみれば国のナンバーツーだ」
「ナンバーツー……つまり国王の次に権力がある人……」
そんな人物が、直接ここまで出向いてきた。それならば、クラウスが驚愕するのも頷ける。
「サイショウだかコショウだか知らないけど早くアロアを返せ! じゃないとエルナータがやっつけるぞ!」
意味が解っていない、もっとも意味が解っていてもきっと同じ反応だっただろうエルナータがエンプティに指を突き付け宣言する。けれどエンプティは、可笑しそうにますます笑みを深めただけだった。
「これは威勢のいいお嬢さん。報告の通りですね。ええ、まともに戦えば私などあっという間に倒されてしまうでしょう。あのゴゼを倒したあなた達ですからね」
「なら、すぐにアロアを返せ!」
「話は最後までお聞きなさい、お嬢さん。だから私は……こうするのですよ」
そう言って、エンプティが上に顔を向ける。僕らもその顔の動きを追うと……あちらこちらの岩棚に、いつの間にか軽鎧を着た沢山の兵士達が弓を構え、矢尻をアロアへと向けていた!
「これは……!」
「この意味が解りますね? 彼女を生かすも殺すも、あなた達の態度次第だという事」
優雅な仕草で、エンプティが僕らの方に歩み寄る。その姿は見るからに隙だらけだけど……エンプティを攻撃した瞬間、矢は総てアロアへと放たれるだろう。だから、エンプティはこんなにも余裕の態度でいられるんだ。
「私はどうなってもいい! 皆、エンプティを倒して逃げて! でないと皆までっ……!」
「馬鹿な事言うな! そんな事出来る訳ないだろ!」
「ふふ、実に麗しいですね、仲間の絆とやらは。さて……もう解っていると思いますが、あなた達にはここで死んで頂きます」
アロアとエルナータの会話を小馬鹿にするように笑い、エンプティが告げる。それに対し、サークさんが皮肉げな笑みを返す。
「交渉もなしか。余程俺達は高く見られているのかな?」
「かの『竜斬り』を高く見ないなど、愚策もいいところですよ。それに今までのあなた達の行動を観察してきて、こちらに引き込む事は出来そうにないと判断しましたから。……今この場にいない方とあと一人、ある人物を除いては」
笑みを絶やさないエンプティの仮面越しの視線が、品定めをするように僕らを見る。その目が……クラウスの前で、止まった。
「クラウス・アウスバッハ。グランドラ有数の自治区であるアウスバッハ領領主、ガライド・アウスバッハの一人息子。あなたが我々に背いたせいで、お父上が今国内でどのような立場に追いやられているかご存知ですか?」
「……父上に何をした」
「まだ何も。ですがあなたの返答次第では、ご両親を含めたアウスバッハ領数百の民達が血の海に沈む事になるでしょうね」
「……っ!」
クラウスの顔色が、目に見えて変わる。それが楽しくて仕方がないという風に、ころころと笑いながらエンプティが続けた。
「最後のチャンスをあげましょう、クラウス・アウスバッハ。あなた自身の手で、仲間達を葬り去るのです。そうすればアウスバッハ領と、ついでにそこに捕らえてある娘にも何もしないと誓いましょう」
「お前達の言う事なんか信じられるか! クラウス、絶対あいつの言う事なんて聞くなよ!」
「……」
「……クラウス?」
何も言わないクラウスに、エルナータの瞳が揺れる。やがて……クラウスの足は、エンプティの方へと向かっていった。
「クラウス!」
「すまない、皆。やはり僕は……家族は捨てられないらしい」
辛そうに顔を歪め、クラウスが振り返る。それを見たエンプティが、満足げに笑った。
「賢明な判断です、クラウス・アウスバッハ。行きずりの仲間と自分の肉親、どちらが大切かなど考えなくても解る事。さあ、あなた自身の手で決着を着けるのです!」
「クラウス……お前は嫌な奴だけど、リト達を裏切る事だけはしないと思ってたのに!」
「……チビ。皆。僕を恨むなとは言わん。……いつか地獄で、また会おう」
クラウスが左手の甲を突き出し、僕らに向ける。そんなクラウスに僕は、ただ黙って笑みを返した。
「止めて……お願いクラウス、止めて!」
「せめて苦しまないよう、一撃であの世に送ってやろう。『我が内に眠る力よ』……」
アロアの悲痛な叫びが響く中、クラウスが詠唱を開始する。銀色の小手を中心に炎が巻き起こり、周囲を一層明るく照らす。
「お前なんか……お前なんか大嫌いだ! クラウス!」
「『爆炎に変わりて……敵を撃て』!」
そしてエルナータの涙声と共に……僕らの運命を決めるその一撃は放たれた。




