第九十一話 囚われのアロア
「――以上、ノーブルランドにある全三十三の共同体のうち二十九と同盟を締結。俺達がグランドラ国境にて進軍を伝えれば、いつでも攻撃が可能であるよう手筈は整えてある」
最後の集落での交渉が無事に終わり、僕らは集まった宿の一室でレジーナさんにそう報告をした。レジーナさんは静かに僕らの報告を聞き、そして口を開く。
『諸君、よくやってくれた。こちらの立てた当初の予測よりも良い成果が得られた事、大変喜ばしく思っている。ひとえにこれも諸君らの働きの賜物。心より礼を言おう』
「あれからグランドラの動きは探れたのか? 連絡がなかったという事は戦局には未だ変化なしと見てはいるが」
クラウスの疑問に、レジーナさんの言葉が一旦途切れる。そして返ってきたのは、難しげな声だった。
『……何人か間者を捕らえる事には成功したが、どれも詳しい内容までは聞かされてはいなかった。断片的に得られた情報によれば、どうやらグランドラは『アンジェラの遺産』なるものを探しているらしい』
「アンジェラ様の……遺産?」
『無論、そのようなものがあるなどという神話は現在伝えられているものの中には存在しない。だからこそ実態が掴めんのだ。奴らの欲しているものが、一体何なのか……』
アロアが首を傾げたのが伝わったかのように、レジーナさんがそう返事を返す。この中ではアロアの次に神話に詳しく知識量の多いクラウスにも思い当たるものはないらしく、眉根を寄せて考え込んでいた。
「よく解んねえけどさ……神々の力が断片的に宿ってるって言われる玉や魔導遺物だって使い方次第じゃ充分やばい代物だろ? もし神様の遺産なんて言われてるもんが、グランドラなんかの手に渡っちまったら……」
「……今よりももっと、酷い事が起こるかもしれない?」
ランドと二人、顔を見合わせる。……僕らも早く、レムリアに戻るべきなのかもしれない。
「ノーブルランド同盟を動かした後はどうする? こちらは戦の経験などないものばかり。俺も前線に立った事ならあるが、陣頭指揮など取れないぞ」
『今通信に使っている石を、ノーブルランド同盟の代表に渡してくれ。話し合いの後、許可が得られたなら私が石を通じ直接指揮を取る。諸君らにはその後レムリアに戻り、国内に入り込んだグランドラの間者達を一掃する手伝いをして貰いたいと思っている』
「解った。ノーブルランド同盟と合流を果たした後、また改めて連絡する」
『ああ。戻れば国からも、諸君らに何らかの報酬が出るだろう。特使の任、本当にご苦労だった。では、最後まで使命が無事に果たされる事を祈る』
その言葉を最後に、石から声は聞こえなくなった。長かった僕らの旅が、漸く終わりを迎えようとしている。
「出発は三日後。このウェンドの集落から派遣される民兵と共に、他のノーブルランド同盟が待つグランドラ国境へと向かう。……お疲れ様だったな、皆。出発までは、ゆっくり鋭気を養ってくれ」
「はい!」
サークさんの指示に僕らは頷き、この二ヶ月あまりの旅の内容に思いを馳せた。
……部屋の扉を、誰かが激しく叩く音がする。夢の中にあった意識が急激に現実に引き戻され、僕は重い頭を持ち上げると強く左右に振った。
「何だあ? 朝っぱらから……」
ランドもこの音で目を覚ましたらしく、身を起こしながら不機嫌そうに目を擦る。僕は一つ大きな欠伸をすると、絶え間なく音が鳴り続ける部屋の扉を開けた。
「はい、誰……」
「リト!」
「わっ! ……エルナータ?」
扉を開けた途端、エルナータの小さな体が僕に抱き着いてくる。僕はそれを抱き止め、エルナータの様子を窺った。
普段何かに動じる事は少ないエルナータなのに、今は酷く慌てた様子を見せている。その姿に……嫌な予感が、膨らんだ。
「リト、大変だ! アロアが、アロアが!」
「落ち着いて、エルナータ。アロアに何かあったの?」
「いないんだ、どこにも! 荷物はあるのに、ずっと部屋に戻って来ない! こんな事、今までなかったのに!」
「……!」
「何だ、チビ。朝から騒々しい。廊下で喚くな」
エルナータの叫びに目を見開く僕の耳に、自分の部屋から顔を出したクラウスの声が聞こえる。僕は咄嗟に顔を上げ、クラウスにこう頼んだ。
「クラウス、すぐにサークさんを呼んで。早く!」
「あ、ああ。解った」
余程凄い顔を僕はしていたのだろう、クラウスは戸惑った顔を見せたもののすぐに頷き一旦部屋の中に引っ込んだ。二人が出てくるまでの間、僕はひたすらアロアの無事だけを願っていた。
それから全員で宿を探し回ったけど、アロアの姿はどこにもなかった。この日の泊まり客は僕らだけで、目撃者がいるとすれば宿の主人以外にない。
「すまない、主人。俺達と一緒にいた、赤い服の少女を見なかったか?」
皆で宿の入口のカウンターに行き、主人に問い質す。白髪頭のふくよかな主人は、いきなり大勢で現れた僕らに目を丸くしながらも答えてくれた。
「ああ、あの女の子かい? 今朝早く、後から来たあんたらの連れが急に二人で出発しなくちゃならなくなったって連れて行ったよ。あの子、随分ぐったりした様子だったけど大丈夫だったのかねえ……」
「連れ!? 俺らに他に連れなんていないっすよ!? そ、そいつどんな奴だったんすか!?」
ランドが慌てて詰め寄ると、主人は更に困惑した顔になった。そして、今朝の事を思い返すように顎を擦りながら答える。
「確か、昔事故で顔に怪我をして、それを見られたくないと言って顔の上半分に仮面を付けていたなあ……だから顔立ちや年の頃は解らんが、声と体型からして女性だと思うよ。白い服を着た女性だ」
「仮面を付けた白い服の女……それって!」
僕らは顔を見合わせ、同時に同じ人物像を浮かべる。間違いない……ラヌーンの集落で、リィンを拐った女だ!
「ああそうだ、あんたらが起きたらこれを渡してくれと預かっていたんだった。見せれば伝わるからと言って」
事態の重さに気付いた僕らに、主人が白い封筒を差し出す。サークさんが受け取り封を開くと、中には僕が贈って以来アロアがいつも身に付けていた羽の飾りの付いた銀のブレスレットと二つに折り畳まれた一通の手紙が入っていた。
『娘を返して欲しければ、お前達だけでウェンドの集落の西にある峡谷に来い。誰かに助太刀を頼めば、娘の命はない』
「……アロア……!」
その文面と、みすみすアロアを拐われてしまった自分の不甲斐なさに自然と握った拳が固くなるのを感じた。




