第八十七話 森の異変
暫く皆で話し合った結果、森に対して地の利があるサークさん、もし魔物や悪魔の仕業だった場合に相手の正体を確かめられる可能性が高いクラウス、不慮の怪我にも聖魔法で対処出来るアロア、そしてサークさんだけに前衛を任せるのは負担が大きいという理由でもう一人の前衛役である僕がリィン捜索に出る事になった。万が一日没までに僕らが戻れなかった時の事も想定し、サークさんの次に戦闘力の高いエルナータといざという時の機転が利くランド、エルフ達が危害を加えるのを最も躊躇うであろうエリスさんを人質として残しての出発だ。
「いざという時は、私が絶対にエルナータちゃんとランド君だけは逃がすわ。あなた達も、もし間に合いそうになかったら私の事はいいから逃げなさい。集落のエルフ達は、どうやら本気で私達を殺す気だから」
「馬鹿な事を言うな、エリス。……絶対にリィンを見つけて戻る。だから、自分の命を粗末にするな」
「話は終わったかね? こうしている間にも、日没までの時間はどんどんなくなってきているぞ。自分の命が惜しいなら、もたもたせずにさっさと我らにリィンを引き渡すべきだと思うがね」
「そうだ! 早く私達の息子を、リィンを返せ!」
「もしリィンに何かあったら許さないわ、汚らわしい人間共!」
見つめ合い、真剣な表情でお互いの身を案じるサークさんとエリスさんにエルフの族長やリィンの両親の冷たい言葉が飛ぶ。……確かに、事態を無事に解決する為にはいつまでもこうしてはいられない。
「そろそろ行くぞ。日没までにはまだ十分に時間はあるが、早めに動き出すに越した事はない。……チビ、もしもの時は貴様が戦力の要だ。二人を頼んだぞ」
「チビじゃない、エルナータだ! 二人の事は守るけど、お前に頼まれたからじゃないからな!」
「こんなとこに取り残されんのは生きた心地しねえけど……皆気を付けてくれよ。……気のせいか、さっきからダガーの精霊達が妙に騒いでる気がするんだ」
「私達もなるべく、早く帰って来れるように頑張るわ。アンジェラ様、どうか私達を正しき道へとお導き下さい……」
最後にアロアがそう祈りを捧げ、皆でランド達三人を残し家の外へ出る。外に出た僕らの後ろに木製の矢の入った矢筒のみを背負ったヒューイさんが付き、場を満たすエルフ達の激しい殺気の渦を抜けて僕らは集落を出発した。
集落を出ると、早速サークさんが精霊語を唱えてリィンの情報を得ようとする。けれど……一瞬だけ姿を現した緑色の老人は、サークさんが何かを言う前にすぐに掻き消えてしまった。
「何をしているんだサーク、まさかこの期に及んでまだお前を騙した人間共を庇う気じゃないだろう? 人間共なんてどうでもいいが、リィンを連れ帰らなければお前と姉さんまで殺されてしまうんだぞ!」
他のエルフ達と違ってサークさんに対する情がまだ残っているのだろう、ヒューイさんがそう言ってサークさんを咎める。大分歪んだ感情ではあるけど、サークさんを心配するその気持ちはどうやら本物のようだった。
「……精霊達が怯えている? こんな事は初めてだ……ヒューイ、ちょっと試しにお前も精霊を呼んでみろ」
「え? 別に構わないが……」
訝しげにしながらも、ヒューイさんも緑色の老人を呼び出す。けれどさっきと同じように、現れた緑色の老人はすぐに姿を消してしまった。
「何だこれは? 精霊が、俺達の呼び掛けを拒絶した?」
「そういえばランドもさっき、精霊が騒いでいる気がすると……まさか……長老の樹に異変が?」
「長老の樹?」
クラウスが問いかけると、サークさんの目が一瞬ヒューイさんの方を見た。それから一つ溜息を吐き、重々しく口を開いた。
「……長老の樹とは、この森に住む精霊達を統括する大精霊の宿った巨木の事だ」
「サーク! 人間に長老の樹の事を教えるなんて正気か!?」
「異常事態だ。それにお前が何と言おうが、俺は彼らの事を信頼している」
「大精霊……聞いた事があるわ。長く生きた精霊が変化した、一際強い力を持つ精霊……ですよね?」
「その通りだ。大精霊がいる地は、精霊が活発化し自然の力が強くなる。この森のエルフ達が長い間外との関わりを拒んでこれたのも、長老の樹に宿る大精霊がエルフ達の操る精霊の力を強めているからだ」
アロアの言葉に、サークさんが大きく頷き返す。成る程、だから集落のエルフ達は僕らに対してあんなに強気に出ていたんだ。
「さっき、精霊達が怯えていると言ったな。もしもこの地の大精霊が、何らかの理由で精霊達を守れなくなっているなら……」
「サークさん! 長老の樹って、どこにあるんですか!?」
僕とクラウスは、同時にサークさんの方を見る。けれどそこに、ヒューイさんが猛然と噛み付いてきた。
「サーク! 絶対に教えるんじゃないぞ! あそこは俺達エルフですら、族長様以外の者は立ち入ってはいけないとされる聖域だ! ましてや人間共なんかが立ち入っていい場所では決してない!」
「貴様……今は人間だエルフだと小さい事を気にしている場合か! つまらない意地を張った結果、その長老の樹とやらが取り返しのつかない事になってもいいのか? それとも自分達のちっぽけなプライドさえ守れれば森も大精霊も何もかもどうでもいいというのが、貴様達エルフのやり方か!」
「何だと……言わせておけば、この人間風情が!」
ここに来て遂に苛立ちが抑えきれないところまで爆発したのか、クラウスがヒューイさんを睨み付ける。ヒューイさんもまたクラウスを睨み返し、一触即発の空気が出来上がった。
二人を止めなければいけない。けれどどう止めていいか解らない。僕とアロアが、そうやって二人の間にどう割って入るか悩んでいると。
「二人とも、そこまでだ」
冷ややかな声が降り、サークさんがクラウスをヒューイさんから引き離した。サークさんはそのまま二人の間に立ち、その顔を交互に見た。
「ヒューイ、いい加減にしろ。大精霊に何かあったかもしれない以上、今は体面なんて気にしてはいられないだろう。クラウス、お前もお前だ。お前の言ってる事は大体は正しいが最後の一言だけは余計だ。無駄に相手を煽ってどうする」
「くっ……!」
「……すまない。熱くなりすぎた」
サークさんの言葉にヒューイさんは苦々しげに顔を歪め、クラウスはバツが悪そうに目を背ける。その反応にまた一つ大きな溜息を吐くと、サークさんが僕ら全体を見回し言った。
「……長老の樹のある場所へ、今から案内する。大精霊には及ばないが上級精霊なら、下級精霊のようにすぐに消える事なく道が聞ける筈だ。大精霊を落ち着かせる事が出来れば、きっと行方不明になったリィンの居場所も教えて貰えるだろう」
「解りました。お願いします」
ヒューイさんはそれに軽い舌打ちを返しただけで、もうそれ以上反対の意を唱えようとはしなかった。僕らはサークさんの先導の元、長老の樹へ向かう事になったのだった。




