第八十六話 謂われなき嫌疑
「起きろ! 人間共!」
そんな叫びが、僕の目を強制的に覚ました。何事かと体を起こすと、外をエルフ達が包囲しているのが見えた。
状況が見えず、僕は辺りを見回す。クラウスとサークさんは既に起きて警戒態勢を取り、アロアとランドはまだ寝ぼけ眼。エルナータとエリスさんは、この状況に気付いていないように未だすやすやと眠りに就いていた。
「リィンを返せ、人間共! さもなくば死より酷い目に合わせてやる!」
「何の話だ! 人にものを聞くなら、まず説明をするのが筋じゃないのか!」
「お前は黙っていろ、サーク! 人間なぞをこの神聖な集落へ呼び込んだエルフの面汚しが!」
「何だと!?」
エルフ達からの容赦ない罵倒に身を乗り出しかけたサークさんを、クラウスが咄嗟に肩を掴んで制する。完全に目を覚ましたアロアとランドが、不安げにその様子を見守っていた。
「らしくないぞ、サーク! 今ここで下手に暴れれば逆効果な事くらい、いつもの貴様ならばすぐに解る事だろう!」
「クラウス……ああ、そうだな、悪かった。こんな時こそ、冷静にならねえと……」
「むにゃ……何の騒ぎ……?」
その時、目を擦りながらエリスさんが身を起こした。途端、それに強く反応した一つの声がする。
「姉さん、そいつらから離れるんだ! リィンのように拐われてしまうぞ!」
「……ヒューイ? え? リィンが拐われたって……どういう事?」
「エリス、リィンと言うのは?」
まだ半分寝ぼけたようなエリスさんに、サークさんが問い掛ける。エリスさんは訳が解らないというように眉を下げながら、それでも素直に答えてくれた。
「ああ、リィンの事はサークは知らないわよね。あなたがこの集落を出てから、新しく産まれた子よ。小さい頃のあなたやヒューイに似た、とても元気な男の子」
「……話が大体読めたな。どうやらその子供が行方不明となり、余所者である僕達が疑われているという流れのようだ」
「何だよそれ! 俺らはんな事してねえぞ!」
クラウスの推理を聞いたランドが思わず出した大声に、周囲の殺気がより濃くなったのが解った。そしてエルフ達が口々に、非難の声を上げる。
「嘘を吐け! お前達の狙いは解ってるんだ! サークに取り入りこの集落に潜り込んで、我々エルフを捕まえて売り飛ばそうという魂胆なんだろう!」
「お前達汚ならしい人間の考える事などお見通しだ! 人間なぞ、千年前に魔物に滅ぼされてしまえば良かったんだ!」
「さあ、リィンを返せ! お前達がどれだけ腕に自信があろうとも、大いなる自然の力を借りられる我らエルフをこれだけ相手にして勝てるなどと思うな!」
「違います! 私達は本当に何もしていません!」
アロアが声を限りに潔白を訴えるも、その声はエルフ達の怒号に呆気なく掻き消される。いつの間にか起きていたエルナータがそんなアロアの隣に並び、不機嫌そうにエルフ達の集団を睨み付ける。
「……エルナータ、あいつら嫌いだ。纏めてぶっ飛ばしていいか?」
「駄目! 私達が先にあの人達に手を出してしまったら、本当に取り返しがつかなくなる!」
「皆、誤解よ! 私はずっとこの人達と一緒にいた。この人達にリィンをどこかに連れ去る時間なんてなかった、それは私が証明出来るわ!」
「お前の言い分なんて信じられるか、人間贔屓のエリスめ! お前もサークも、人間共と同罪だ!」
「そんな……!」
エリスさんも僕らを弁護してくれるけど、逆にそう切って捨てられてしまう。エルフ達は、僕らがリィンを拐ってどこかに隠したと信じて疑っていないようだった。
場の空気は一触即発、いつエルフ達が襲い掛かってきてもおかしくない。戦ってこの場を切り抜けるしかないのかと、僕が覚悟しかけたその時。
「――皆、静まれ」
そう厳かな声が辺りに響くと、急に辺りのエルフ達が静かになった。人垣が自然と二つに割れ、その向こうからエルフの老人がゆっくりと歩いてくる。
「族長……」
老人を目にしたサークさんが、ぽつりと呟く。僕らの目の前までやって来た老人は、鋭い目付きで僕らの顔を一通り見回してから口を開いた。
「……お前達が、サークと共に旅をしているという人間達か。率直に聞こう。我らが同胞、リィンをどこへ隠した?」
「僕らは、リィンという子を拐ってなんかいません! 本当です!」
「まだ言うか、人間め! 族長、こんな人間共などさっさと殺してしまいましょう!」
僕は必死に抗弁するけど、それは余計にエルフ達を殺気立たせる事にしかならなかった。再び騒がしくなった周囲を、老人――エルフの族長は手をかざしただけでまた静かにさせる。
「あくまで、自分達は人拐いなどしていない。そう言うのかね?」
「こちらとしては、そう主張する他ない。居場所も知らないものを出せと言われても、どうにも出来ん」
「ふむ……」
クラウスの言葉を聞いたエルフの族長は顎に手を遣り、何事かを考える。やがて、顔を上げると鋭い視線はそのままにこう告げた。
「お前達を断罪するは容易い。だがそれではリィンの行方は永久に解らぬまま。……チャンスをやろう。お前達が本当に潔白だと言うのなら、リィンを探し出し我らの元へ帰すのだ。そうすれば、命だけは助けてやる」
「……さっきから聞いてりゃ何様だよ……命だけは助ける? 人を散々疑って、謝りもしない気かよ……!」
「抑えろ、ランド! ……これだけのエルフを相手にまともに戦うのは、いくら何でも分が悪すぎる。要求を、飲むしかないだろうな」
傲慢が過ぎる言い分に怒りを滲ませるランドを、クラウスが強い口調で抑える。……サークさんの様子がいつもと違うからだろうか。いつものクラウスならばとっくにランドのように怒っている状況なのに、今は努めて冷静に僕らの立場を分析している。
そのサークさんは憎しみすら感じさせる目で、じっとエルフの族長を睨み付けている。けれどやがて、怒りを抑えているからか感情の一切読み取れない声で言った。
「……解りました。リィンを集落に連れ帰ればいいんですね?」
「そうだ。但し人質として、何人かは集落に残らせる。誰が残るかは、そちらで決めていい。それからこちらからも、見張りを付けさせて貰う」
「それならその役目は俺に! 姉さんとサークをたぶらかした奴らを、絶対に逃がしはしません!」
「ヒューイか。ふむ、いいだろう。精霊使いとしての資質が高いお前なら、人間相手にそう遅れは取るまい」
ヒューイさんが前に進み出てそう志願し、エルフの族長がそれに頷く。それからもう一度僕らを見て、まるで自分が絶対の権力者であるかのような堂々とした振る舞いと共に高らかに言い放った。
「いいか人間達よ。今日の日没までにリィンを連れて来なければ、人質の命はないと思え。この雄大な自然そのものである我らエルフに逆らい、生き延びる道などないと知れ」
その言葉にわっと沸き立つエルフ達の姿に、僕はどこか薄ら寒いものを覚えた。




