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蒼月の交響曲  作者: 由希
第二章 いざ北方の地へ
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第八十五話 人を拒む理由

 通された家の中には木製の小さなテーブルと同じく木製の食器棚だけがあり、他の家具は何も見当たらなかった。エリスさんは食器棚の下から何かの木の実を取り出すと、小型の精霊に果汁を絞らせて木で出来たコップに注いでいく。


「さ、どうぞ。搾りたてのジュースを飲めば、旅の疲れなんて吹き飛んじゃうわ」

「ありがとうございます。頂きます」


 ジュースの入ったコップを受け取り、一気に飲み干す。ジュースは微かな酸味と強い甘味の混ざった、喉越しの良い味がした。


「ごめんなさいね。ここに来るまで、きっと嫌な思いをしたでしょう。ヒューイからも、沢山悪口を言われたと思うの」

「あの、さっき言ってた人間が集落の恩人ってのはどういう事なんすか? それにしちゃエリスさん以外のエルフは、随分人間を嫌ってるように見えるんすけど……」


 視線をエリスさん……の大きな胸に向けながら、ランドがそう疑問を口にする。ランド……質問の内容は僕も気になってた事だけど、その視線は初対面の女性に対してちょっと失礼だと僕は思う。

 そんなランドの視線には気付かないように、エリスさんが悲しげに笑う。そして、ぽつりぽつりと語り始めた。


「……私達エルフは、自然と共に生きる事を教義とする種族。自然の中で生き、自然の中で死ぬ。そんなエルフにとって自分の欲望の為に自然をねじ曲げ、傷付ける人間は話し合う余地もない愚かな種族という認識だったし、私も昔はそう思ってた。……あの人が、集落に迷い込んでくるまでは」

「あの人?」

「あの人について語る前に、当時の集落の状況について語らなきゃならないわね。……今から四十年ほど前の事よ。この集落では、酷い流行り病が蔓延していたの。この病にかかったエルフ達は生きながらにして体が腐っていき、そして死んでしまう。私とヒューイのお父さんとお母さん、それに叔父様と叔母様……サークのご両親も皆その流行り病で……」

「えっ……」


 僕らは、驚きに顔を見合わせた。……サークさんにそんな過去があったなんて、全然知らなかった。


「このままじゃ、集落のエルフが全滅してしまう事は明白だった。遂にはまだ小さかったヒューイまで病に倒れて……そんな時、あの人が集落へやってきたの」

「どんな人……だったんですか?」

「あの人は、旅のお医者様と名乗っていたわ。この森に良質な薬草を採取に来て、それに夢中になっているうちに集落まで来てしまったみたい。最初は皆で追い出そうとしたわ。けど、流行り病の症状を聞いて自分なら病を治せるって……他の皆は反対したけど、私とサークでお願いしてヒューイを診て貰う事になったの。……本当に、あの時は藁にもすがる思いだった」

「それで、ヒューイさんは助かったんですね」

「ええ。これは以前人間の間でも流行った病だと言って、熱心に治療をしてくれた。それがどんなに嬉しかったか……ヒューイが良くなった後は、他の患者達の事も診てくれて。お陰で、流行り病で死ぬ者はそれきり出なくなった」

「いい話じゃないっすか。それなのに、何で……」


 ランドが重ねて聞くと、それまで嬉しそうに話をしていたエリスさんの顔に暗い影が落ちた。エリスさんは視線を落とし、重い声で告げる。


「……生き延びたエルフ達の大半は、人間に救われた事を恥だと考えたの。人間などに救われたせいで、自然に生かされ自然に殺されるエルフの生き方に反してしまった、と」

「そんな! じゃあ、流行り病で集落が全滅した方が良かったって言うんですか!?」

「勿論、そこまで達観した考えを本気で持つのは三百年以上も生きたような高齢のエルフくらい。残りは……ただ単に、プライドが許さなかったんでしょうね。今まで見下してきた人間に、命を救われたという事実が」


 思わず声を上げたアロアに、エリスさんが顔を歪める。それは心から、そんな事を思う同族こそが恥に思えて仕方がないと言っているような顔だった。


「エルフ達は集落から流行り病がなくなるとすぐに、結託して命の恩人の筈のあの人を追い出した。そしてあの人に命を救われた者を恥知らずと迫害するようになり、集落の周りにも見張りを置いて他の種族を寄せ付けないようになったの」

「じゃあ……ヒューイさんも」

「……ええ。今では迫害も大分軟化してきたけど、自分がこんな白い目で見られるのは人間なんかに救われてしまったせいだと過剰に人間を嫌うようになってしまった……。そんなエルフ達にサークはすっかり愛想を尽かして、今まで真面目に学んでこようとしなかった精霊語をたったの十八年で完璧にマスターするとすぐにこの集落を出ていったわ……」


 辺りが、しんと静まり返る。そのあまりの不条理さに、誰も何も言えなかった。

 命が救われたと思ったら、今度は同族から蔑まれるなんて。病気になったエルフ達も、それを救った旅のお医者さんも、誰も悪くない。それなのに。


「……一人で抱え込みおって。馬鹿者めが」


 辛そうに顔を歪めたクラウスが、ぽつりと呟く。一番サークさんに近い場所にいたのに何も知らされていなかった分、その衝撃はきっと僕らよりも強いものだっただろう。

 当時のサークさんの気持ちを思うと、胸が苦しくなった。サークさんは何を思いながら旅立ちまでの日々を過ごし、そして何を思いながらこの集落を出たのだろうか。


「……ごめんなさい、こんな暗い話をしちゃって。さ、今度は私が話を聞く番よ! サークがどんな風に人間の世界で過ごしてきたのか、人間の世界がどうなっているのか、色々と聞かせて頂戴ね!」


 重くなった空気を変えるように、無理やり明るく笑うエリスさん。そんなエリスさんを、僕は強い人だと思いながら見つめる事しか出来なかった。



 エリスさんに請われるまま人間の世界の話をしていると、やがてサークさんとヒューイさんが戻ってきた。サークさんの表情は暗く、ヒューイさんもまた顔に渋面を作っていた。


「お帰りなさい、サーク、ヒュー……きゃっ!」


 二人に駆け寄ろうと立ち上がったエリスさんが、また足を縺れさせ音を立てて転ぶ。その一連の行動に、暗かったサークさんの顔が少しだけ明るくなる。


「やれやれ。俺の従姉殿はいつまで経ってもドジなままだな」

「失礼ね。たったの二十年じゃそうそう人は変わらないわよ」

「生憎、ここと外とじゃ時間の感覚が違うもんで。外じゃあ二十年は、人が変わるのには十分な時間さ」

「も、もう! とにかく族長様とはどんな話をしてきたの!?」


 真っ赤になって土を払いながら、エリスさんが問いかける。すると、サークさんの表情が途端にまた暗くなった。


「……すまない、皆。予想はしていたが、エルフは人間に力を貸すつもりは毛頭ないようだ。明日の朝までは特別に置いてやるから、それが過ぎたら人間を速やかに追い出せ……だとさ」

「族長様は甘いんだ! 人間なんて、明日の朝と言わずすぐにでも追い出すべきだ!」


 隣のヒューイさんがそう憤るも、サークさんに横目で睨まれると途端に大人しくなる。成る程、ヒューイさんが渋い顔をしていたのはすぐに僕らを追い出す事が出来ないかららしい。


「それじゃあ今夜は皆と一緒にいられるのね? 嬉しいわ! 私、まだまだ人間の世界の話を聞き足りなかったの!」

「なっ……姉さん、まさかうちに人間を泊めるつもりか!?」

「ええ、勿論よ。サークも泊まっていくでしょう?」

「……そうだな。今夜は色々と、積もる話をさせて貰うとするよ」


 キラキラと目を輝かせるエリスさんにヒューイさんは鼻白み、サークさんは苦笑を浮かべる。ヒューイさんは僕らとエリスさん、サークさんに順番に視線を走らせると小さく唸った後叫んだ。


「……なら俺は外で寝る! たった一晩でも、人間なんかと一つ屋根の下で眠れるか!」

「あっ、ヒューイ!」


 エリスさんが止める間もなく、ヒューイさんは身を翻し走っていってしまった。その後ろ姿を、サークさんが複雑そうな顔で見送る。


「やれやれ……この二十年で、あいつの人間嫌いは更に悪化した気がするな」

「あんまりヒューイを責めないであげて、サーク。拗ねてるだけなのよ、あの子。私やあなたが、知らない人間にばっかりいい顔をするから。特にサーク、あなたがね」

「からかうのは止めてくれ、エリス」

「本当の事よ? あの子にとって、病気の後も変わらず接してくれたあなたは従兄というだけじゃない、大切な家族なんだから」

「……」


 その言葉に、サークさんは少しだけバツが悪そうな顔になった。僕もエリスさんの話を聞いた後だからか、さっきまでのようにヒューイさんに嫌な印象は持てなくなっている。

 例えるなら、ヒューイさんは子供なんだと思う。大好きな人に構って欲しくて、ついつい悪態をついてしまう子供。


「とにかく、皆泊まっていくならそろそろご飯にしましょう? この集落に食べ物は木の実くらいしかないけど、今夜はフルコースでいくから期待しててね!」


 エリスさんのその言葉と共に、この日のささやかな夕食の時間が始まった。

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