第八十四話 エルフという種族
サークさんと姿を現したヒューイさんの後に続きながら、目印一つない深い森の中を進む。ヒューイさんは亜麻色の短い髪に鳶色の目の、サークさんより背が低く細身の体格を若草色の一繋ぎの服で包んだ中性的な顔立ちをした美青年だった。
「集落に他の種族が入らない為の見張りか。まだそんな事をさせてるのか、族長は」
「森を汚されない為に、そうするのは当然だろう? ……サークの知り合いでなきゃ、この人間共も全員森で迷い死にさせているところだが」
そう言って、ヒューイさんが背後の僕らを睨み付ける。ラヌーンの集落に住むエルフ達は光の精霊の力で姿を隠して見張りに立ち、森を訪れた者を追い払っているそうだ。
……サークさんが故郷に帰らず旅をし続けていた理由が、何となく解った気がした。ヒューイさんのような考え方をするエルフが一般的なら、自由を愛するサークさんの気質にはとても合いそうにない。
「あいつ、めちゃくちゃ偉そうで気に入らない! 初めて会った時のクラウスよりも偉そうだ!」
「エルフが気難しい種族ってのは噂にゃ聞いてたけど、ここまでとはな……」
そんなヒューイさんの態度にエルナータは反発を隠さず、ランドも渋い顔をしている。隣のアロアは不安げな表情で、クラウスは……僕より前を歩いている為、表情が読み取れない。
「それよりサーク、もう旅に出る事はないんだろう? 姉さんもきっと喜ぶぞ、たったの二十年程度とはいえ俺達とは姉弟同然の仲のお前がいなくなったんだから」
「いや、用が済んだらすぐ出立する。まだ腰を落ち着けるつもりはない」
「そうか……残念だな。俺としては、今すぐこんな薄汚い人間共と縁を切って集落に残って欲しいんだが。大体人間絡みの用なんて、どうせ下らない、ろくでもない事に決まって……」
「……ヒューイ」
不意に、サークさんの足が止まる。垣間見える横顔はブリムやゴゼを相手にした時と同じくらい冷たく、ゾッとするような視線をヒューイさんに向けていた。
「彼らは俺の大事な仲間だ。言っている意味が解るな? ……それ以上侮辱の言葉を吐くようなら、今すぐ二度と喋れないようにしてやってもいいんだぞ」
「……っ」
その気迫に飲まれるように、ヒューイさんが口をつぐむ。そして僕らの方を振り返ったサークさんは優しい、だけど困った笑顔を浮かべていた。
「……重ね重ねすまないな。この通り、エルフは他の種族に厳しい。この二十年で少しは体制が変わっているんじゃないかと微かに期待していたから注意を促さず来たが……こんな事なら、最初からエルフ達には気を付けるよう言っておくべきだった」
「そんな……サークさんが謝る事じゃないです。私は、気にしてませんから」
「そーだそーだ! サークはいい奴だから悪くないぞ!」
僕らは皆、謝るサークさんにそう伝える。今はどうなっているか解らないエルフ達に対して先入観を持たせたくなかったからの沈黙だったのだろうし、何より、きっとサークさん自身が信じたかったのだ。
自分の故郷が、胸を張って故郷と呼べる場所になっていると。……その期待は、脆くも打ち砕かれてしまったようだけれども。
「……それじゃあ、行こうか。私情で足を止めてしまって悪かった」
そう言ってまた歩き出すサークさんの背中から、僕らは目を離す事が出来なかった。
どのくらい森の中を歩いたのか。やがて他の場所よりも、大木が密集し生い茂る場所に出た。
「うわあ……」
それは、何とも幻想的な光景だった。そびえ立つ木々の総てに大きな虚が空き、耳の長いエルフ達がその中で生活をしている。
エルフ達は皆若草色の一繋ぎの服を身に付けており、木々と一体化して暮らしているかのようなその姿はまさに妖精と言って差し支えがないほどだった。
「ここまで連れてきておいて何だがサーク、族長樣は人間とはお会いにならないと思うぞ? 幾らお前の紹介でも」
「だろうな。だから彼らを先に、エリスの元へ案内する」
「……姉さんは人間に優しいからな。お前といい、何で人間なんかにそこまで肩入れするのか俺にはさっぱり解らんが」
「解らなくて結構。こっちだ、皆ついてきてくれ」
集落の中に入り、木々を縫うようにして歩く。途中で僕らを目にしたエルフ達の顔が、露骨に嫌そうに歪むのが解った。
「……本気で僕達は招かれざる客らしいな」
先を歩くクラウスが、ぽつりと呟く。敵意に満ちた視線の中を歩くのは、例え短い距離だとしてもいい気分はしなかった。
ただ一人、敵意とは違う興味の眼差しを僕らに向ける子供もいた。けれどそれも親らしきエルフにすぐに連れていかれ、姿が見えなくなってしまった。
やがてサークさんとヒューイさんが、一本の木の前で立ち止まる。木に空いた虚の中では、サークさんと同じ砂色の髪を肩までに切り揃えた鳶色の垂れ目の美しいエルフの女性が何か縫い物をしていた。
「姉さん! サークが帰ってきたぞ!」
「えっ!? さ、サークが!」
ヒューイさんの声に、エルフの女性が慌てて立ち上がる。そして視界にサークさんを捉えると、急いで駆け寄……ろうとして足を縺れさせこけた。
「サーク、久しぶ……きゃあああっ!?」
どすんと、エルフの女性が派手な音を立て前のめりに倒れる。サークさんは一つ大きな溜息を吐くと、そんなエルフの女性に近付き手を差し出した。
「ドジなところは変わってないな。……久しぶり、エリス」
「あ、ありがとう……ふふ、こうしてサークに助け起こして貰うのも二十年ぶりね」
サークさんの手を取り恥ずかしそうに、けれどどこか嬉しそうにエルフの女性――エリスさんが立ち上がる。そして後ろの僕らを見ると、途端にキラキラと目を輝かせた。
「まあ! まあまあまあ! あなた達人間ね? もしかして、サークのお友達かしら?」
「……まあ、そんなところだ」
「それはおめでたいわ! サークったらこの集落では私とヒューイとぐらいしか付き合おうとしなかったから人間の世界でちゃんとやれてるか心配だったけど、こんなに沢山お友達が出来たのね! さ、人間さん達、うちの中へどうぞ! エルフは一人か二人で住むのが普通だから、こんな狭い家で申し訳ないんだけど」
クラウスの返事に顔を綻ばせると、エリスさんはそう言って僕らを家の中へ入るよう促した。その、他のエルフ達とはあまりに真逆な歓迎ムードに何だか逆に面食らってしまう。
「……エリスさんは、人間と接するのが嫌じゃないんですか?」
「嫌な訳がないわ。人間はこの集落を救ってくれた恩人だもの」
「姉さん! だからそれは……」
エリスさんの意外な言葉に目を丸くしていると、ヒューイさんが険しい顔で何かを言いかけた。けれどそれを、サークさんの声が遮る。
「ヒューイ、族長の元へ向かうぞ。お前もついてこい」
「わ、解った! ……もし姉さんに危害を加えてみろ、どんな手段を使っても貴様らを殺してやるからな!」
「サークがお友達と認めた相手が、そんな事する訳ないのに……人間さん達、サーク達が戻ってくるまで人間の世界のお話を沢山聞かせて頂戴ね!」
無表情で歩き出すサークさんとこちらに殺意たっぷりの視線を向けてくるヒューイさんを見送り、残された僕らはエリスさんの家にお邪魔する事になった。




