番外編 湯煙大騒動
前略。僕らは今ガザの集落内にある、温泉に入りに来ています。
「うっひゃー! すっげえな! 広え!」
温泉を一望したランドが、嬉しそうに歓声を上げる。湯煙に包まれた温泉はマッサーの宿の食堂くらい広く、十人以上は余裕で浸かれそうだった。
「いちいち騒ぐな。子供ではあるまいし」
そこに後からやってきた長い髪を上げ、女の子のように頭の上でお団子にしたクラウスが呆れ顔でランドを見る。……線の細さもあって後ろから見たらどう見ても女の子だというのは、本人の名誉の為にも黙っておこう。
「だってよ、こんなでかい風呂だぜ。テンション上がんねえ?」
「風呂は風呂でしかない。さっさと体を洗うぞ」
「ちぇ、面白みのねえ奴ー。そう思わないっすか、サークさん」
「ああ、クラウスの実家の風呂も大分大きいからな。見慣れてるんだろう」
唇を尖らせランドが振り返ると、サークさんがそう苦笑を返す。ちなみに僕らは今、全員タオルを腰に巻いただけの状態だ。
「マジか……流石英雄宅……英雄は風呂のスケールもでけえのか……」
「余計な事は言わなくていい! 大体風呂がでかくて何がいい事があるんだ!」
「んー……泳げる?」
「……それはしちゃ駄目な奴だと思うよランド……」
冗談なのか本気なのか解らないランドの言葉に、思わず制止を口にする。ランドは時々子供っぽい部分があるから、止めておかないと本当に泳ぎ出すかもしれない。
この露天風呂という風呂は西の大陸に伝わる風習で、以前西の大陸に修行に出ていたドワーフの一人が露天風呂をいたく気に入って元々ガザの集落にあった温泉を露天風呂に改造したという経緯があるそうだ。確かに、満天の星空を見ながらお風呂に入れるのは解放感に満ちていて凄く気持ちが良さそうだと思う。
「まあ、湯に浸かる前にしっかり汚れを落としておくか。クラウス、皆で背中流しっこでもするか?」
「誰がやるか! 成人してる僕達が連れ立って背中を流し合うとかどんな罰ゲームだ!」
今やすっかり耳慣れたクラウスをからかうサークさんの声を聞きながら、僕は石鹸を手に付けて頭を洗い始めた。
体の汚れをしっかりと落としてから、温泉に浸かる。ちょっと熱めのお湯に最初ぶるりと体が震え、そこからじわじわと熱が全身に染み渡っていく。
「っかー! 効くねえ。やっぱ風呂は熱めがいいよな!」
「ランド、何だかおじさん臭いよ……」
ランドの感想に苦笑しつつ、向かいで湯に浸かるクラウスに視線を向ける。……よく見ると、その右肩に星のようにも見える不思議な形の痣があった。
「クラウス、その肩の痣は? どこかで怪我でもしたの?」
「いや……これは、産まれた時からある痣だ。あまり気分のいいものではないので、人前ではなるべく晒さないようにしている」
「……それを見せてもいいと思うくらいには、僕らはクラウスに信頼されてるのかな?」
「……さあな」
照れているのかそれとも温泉の熱さのせいか、ほんのりと頬を赤らめながらクラウスがそっぽを向く。けどこういう時のクラウスの態度は肯定を示しているんだって、そろそろ解るくらいの付き合いはしてきたつもりだ。
「……」
ふとランドに視線を戻すと、お湯の中を何やら凝視している。もしかして逆上せたのかと心配になって声をかけようとすると、ランドが顔を上げて拳をグッと握り締めた。
「……よし。リトとクラウスには勝ってる」
「何の話!?」
ランドが何を凝視していたのか理解した僕とクラウスは、その言葉に慌てて股間を隠す。い、いくら男同士でもこういうのは恥ずかしいんだけど!
「後はサークさんだな……実力ではまだまだ敵わねえけどあそこぐらいは……」
「止めようよそういうの! クラウスも黙ってないで止めて……」
「お前達、はしゃぎすぎだぞ。風呂ってのはもう少し落ち着いて入るもんだ」
そこに体を洗い終わったサークさんが温泉に足を入れ、こちらに近付いてくる。その最中、固定が緩かったのか腰に巻いていたタオルがずるりとほどけて落ちた。
「……」
露になったサークさんの股間を凝視したランドの動きが一瞬、止まる。そして次の瞬間……全身の力が抜けたようにお湯の中に沈んでいった。
「……己の小ささを知る、いい機会になっただろう」
完全に撃沈したランドを見遣り、クラウスがぽつりと呟く。うん、上手い事言ったつもりなんだろうけど反応の仕方が解らない……。
「わあ、見ろアロア! 凄いぞ! お風呂の王様だぞ!」
その時、突然垣根の向こうからエルナータの声がした。声に目ざとく反応したランドが即座に復活し、垣根に素早く近付いていく。
「本当……こんな大きなお風呂、初めて」
「アロア、このお風呂で泳いでいいか?」
「駄ー目。お風呂で遊ばないの」
どうやら声のする方は、女湯になっているようだった。垣根一つ隔てた向こうにアロアが……裸でいるのかと思うと、何だか急に恥ずかしくなってきた。
「この垣根の向こうに桃源郷が……パラダイスが……なら! 男としてここは挑まねえ訳にはいかねえよな!」
そんな僕の葛藤を余所に、ランドが垣根をよじ登ろうとし始める。僕は慌ててランドの元へ駆け寄り、それを止めようとする。
「ちょちょっ、ランド! 何しようとしてるの!」
「何って、決まってるだろ? 男の! ロマンを求めにいくのさ!」
「馬鹿な事言ってないで! 駄目だよ、女湯を覗こうなんて!」
何故かどや顔で決めポーズを取るランドの腕を、慌てて引っ張る。ちなみに僕もランドも、女湯には聞こえないよう小声の会話だ。
「いーや、海の時は失敗したが今回こそお前に邪魔はさせねえ……何故なら楽園が俺を呼んでいるからだ!」
「さっきからテンションがおかしいよ!?」
「いやー、若いねえ。クラウス、お前も混ざっちゃどうよ?」
「ふん、覗きなどという下劣な行為、誰が加担するか」
クラウスとサークさんはいつの間にか、僕らに巻き込まれない位置で遠巻きに成り行きを観察している。た、他人の振りをしてないで一緒にランドを止めて欲しいんだけど!
「大体お前も興味があるならいい子ちゃんぶらずに一緒に覗けばいいんだよ、このムッツリが!」
「ムッツリって何!? そんな事してバレたらアロアが怒るに決まってるじゃない!」
「女子の顰蹙、買って何ぼ! 覗きには……それだけの夢がある!」
「とにかく温泉に戻ろうよ、穏便に済ませる事に越した事はな……!?」
言い争いながら、僕の手を強く払いのけようとしたランドがバランスを崩す。側にいた僕も巻き込まれる形となり、一緒に……男湯と女湯を隔てる垣根へと倒れ込んだ。
僕とランド、二人分の重みを受けた垣根が音を立てて傾いていく。そして僕らは崩壊した垣根の上に乗ったまま、もつれ合いながら女湯へと雪崩れ込む。
「……」
「……」
……見えたのは辛うじてタオルで大事な部分は見えないようにしている髪をお団子に結い上げたアロアと、一糸纏わぬ姿ながらやはり髪で大事な部分は隠れているエルナータ。二人は僕らを凝視し、そして……。
「……っきゃああああああああっ!! 見ないでええええええええっ!!」
倒れたまま逃げる術のない僕らに、アロアの強烈なビンタが炸裂する事になったのだった。
――なお。サークさんは二人に気付かれる前に上手く温泉から脱出し、クラウスは視界に広がった女湯に硬直し逃げ遅れてやはりビンタを食らう羽目になった事を追記しておく。




