第七十五話 亀裂
土煙を上げる照明の周りに、皆で集まる。ランドの治療が無事終わったのか、アロアもいつの間にか僕の側にいた。
部屋の入口から入り込んできていた集落の住人達は全員が倒れ、物言わぬ死者に戻っていた。ゴゼが死んだか、死んでいなくても死者達を操るだけの力はもうないのだろう。
「……ぅ……」
微かな呻き声に、視線を下に降ろす。徐々に土煙が晴れ視界が良くなっていったそこには、肩から下を照明に完全に押し潰され息も絶え絶えなゴゼの姿があった。
「助けて……くれ……。また、また死ぬのは……嫌だ……」
先程までの傲慢な態度が嘘のように、弱々しい声でゴゼが声を絞り出す。そんなゴゼを、サークさんが冷徹な眼差しで見下ろした。
「……質問に答えろ。返答次第では考えてやる」
「何でも、何でも答える……。だから、命だけは……」
「なら、聞かせて貰う。テメェを蘇らせたのは誰だ」
「解らねえ……俺は一度殺された筈なのに、気がついたらこの時代にいやがった……本当だ……。それからグラン何とかの使者が来て、後はお前らに言った通りだ……」
ゴゼの返答に、僕らは顔を見合わせる。……悪魔達を復活させたのは、グランドラじゃないのか?
「僕からも質問したい。……お前達を産み出したのは、一体何者なんだ」
続けて僕が質問すると、ゴゼは一瞬目を見開いた。そしてニイッと嘲るような笑いを浮かべると、楽しそうに語り始めた。
「そうか……そうか……! お前ら何も知らない……この時代には何も伝わってねえんだな……! くくく……なら、親切な俺が教えてやるよ……俺達悪魔や、その他の魔物共を産み出したのはなあ……他ならぬ大地母神、アンジェラ様よお……!」
「嘘よっ! アンジェラ様が、そんな事なさる筈ないわ!」
その言葉に即座に反応したのはアロアだった。アンジェラ神の熱心な信者であるアロアが、アンジェラ神が悪だと言わんばかりの発言を受け入れられる筈がない。
「お前はアンジェラの信徒か……なら残念だったなあ。アンジェラこそ、地上に魔物や俺達悪魔を産み出して人間を滅ぼそうと計画した俺達の母……人間の敵……!」
「嫌っ! そんなの信じない!」
アロアが耐え切れず耳を塞ぐのも構わず、朗々とゴゼが続ける。その醜く歪んだ顔は、アロアが苦しむのが愉快で愉快で堪らないと言っているかのようだった。
「自分の産み出した人間の命を同じく自分の産み出した魔物を使って殺す……それがテメェが信じてきた女神の正体なんだよおおおおおっ!! ぎゃはははははははっ!!」
「止めてええええええええっ!!」
悲痛な叫びを上げるアロアとそんなアロアを嘲笑うゴゼ。僕は――嗤い続けるゴゼに斧を振りかぶると、そのまま身動きの取れないゴゼの首に降り下ろした。
「あひゃっ」
小さな悲鳴を残し、ゴゼの頭が床を転がる。その光景に僕はハッとなって皆を見たけど、皆が僕を咎めるような目を向けてくる事はなかった。
「……ごめん、皆。もっと色々聞き出せたかもしれないのに」
「気にするな。あの様子では、どこまで本当の事を喋っていたかも怪しい」
クラウスはそうフォローを入れてくれたけど、折角色々聞き出せる機会をふいにしてしまったのも事実だ。自分の短慮さを反省しながら、僕はアロアを見る。
アロアは両手で耳を塞いだまま、ぷるぷると微かに震えていた。それもそうだろう。自分が今まで信じてきた存在が多くの人達が死ぬ事になった元凶だなどと言われたら、きっと誰だってこうなる。
「……アロア」
名前を呼んでみたけれど、続く言葉が思い付かない。もしゴゼの言葉が正しいとしたら、アンジェラ教を邪教と呼んだグランドラの言い分もまた正しかったという事になってしまう。
だとしたら、僕らの行動の方こそ間違っているのか? 考えてみたけれど、ハッキリとした答えは出なかった。
「……とにかく、ランドを連れて一度ディアッカの集落まで引き返そう。あそこも死体だらけだが……ベッドがある分、ここよりはマシだろう」
僕らはサークさんのその言葉に従い、死体の山を踏み越え遺跡を後にした。
長い長い夜が明けて、朝がやってきた。僕らは集落の適当な家で休む事にしたけど、あの悪夢のような夜の事を考えると結局ろくに睡眠を取る事は出来なかった。
集落に戻ってから目を覚ましたランドは、ゴゼが死んだ事を聞くと「……そうか」と一言だけ返してそれきり何も言わなかった。その胸にどんな感情が去来しているのか、今の僕には図り知る事が出来ない。
そうして、家に残っていた材料を戴いて朝食を摂った後。ぽつりと、サークさんが切り出した。
「ディアッカの集落は全滅。この様子じゃ、生き残りは期待出来ないだろう。最大の勢力を潰されたのは、俺達のこれからにとって痛いと言う他ない」
「他の集落にはディアッカでの事は伏せておいた方がいいだろうな。ゴゼほどの悪魔はそういないが、普通の奴はそんな事は知らない。レムリアにつけば同じ目に遭うと、警戒をしてもおかしくはない」
クラウスの冷静な分析もまた、心に重くのし掛かる。誰も救えなかった……自分のその無力さが、ただただ胸に痛い。
「私達……本当にレムリアを救えるのかな……」
僕よりもよく眠れていないのだろう、青白い顔を俯かせながらアロアが呟く。その問いに、誰も答えを返す事が出来ない。
「……あのさ、話があるんだ」
その時不意に、ずっと黙っていたランドが口を開いた。その場にいる全員の視線が、一斉にランドに向けられる。
ランドの表情は固く、何かを言おうか言うまいか悩んでいるような様子だった。けれどやがて意を決したらしく、視線は落としたまま言葉を続ける。
「皆、俺さ……ここで降りるわ」
「え……」
思わず、驚きが声になって漏れる。アロアとエルナータも同じように驚いた顔をしてたけど、クラウスとサークさんはどこか予想がついていたというような達観した目をしていた。
「俺、この旅が始まってから全然役に立ってねえし。馬にだって乗れねえ。皆みたいに上手く戦う事も出来ねえ。勇気を出して殴りかかってみたって……一撃で吹っ飛ばされて終わりだった」
「ランド、それは……」
「オーガーの一件だってそうだ。俺が余計な事を言わなけりゃ、ラナが一人になってヴァンパイアバットに襲われる事もなかった。オーガーだって……きっと死なずに済んだんだ」
「あれはランドのせいじゃないわ。あの時ラナさんを止めなかったのは、皆同じ……」
「もういい……もういいんだ」
ランドがぎゅっと拳を固く握る。その拳は……恐らくは自分の無力さに、ぷるぷると震えていた。
「このまま皆と旅をしても、きっといつか本気で足を引っ張っちまう。それに今回みたいな事がまた起きたら、正直耐え切れる自信がねえ。だから頼む。俺を、置いていってくれ」
「……解った」
「サーク!」
あっさりと了承を返したサークさんに、エルナータが非難するような視線を向ける。けれどそれに構う事なく、サークさんが続けた。
「但し、ここから歩いてレムリアまで戻るのは相当な日数がかかる。今は馬のお陰で手を出して来ないが、このノーブルランドには人を襲う野生の獣だっている。そんな中お前を一人で帰す事は出来ない。だから少々遠回りになるが、俺達がお前をレムリアとの国境まで送っていく。それが飲めるならだ」
「……解りました。お願いします」
「ランド、エルナータは嫌だぞ! 皆で一緒に旅を続けるんだ!」
エルナータが泣きそうな顔で、ランドに飛び付く。それに対しランドは、力なく首を横に振った。
「悪ぃな、エルナータ。もう……限界なんだ。始めから無理だったんだよ。ただの遺跡屋のこの俺には、過ぎた任務だったんだ」
「嫌だ、嫌だ、ランド、いなくなるな……」
繰り返し繰り返し紡がれるエルナータの哀願が、耳の中で反響する。こんなにも泣きそうな声なのにその目から涙が溢れる事がないのは、エルナータが純粋な人間ではないからか。
僕も、アロアも。そしてクラウスも、サークさんも。そんなランドに対し、何て言葉をかけたらいいか解らなかった。
そんな重苦しい空気を引きずったまま。行動するなら早い方がいいと、僕らはその日の昼前にはレムリアとの国境に向けディアッカを出発する事になったのだった。




