第七十三話 古城の悪逆王
その後は幸い残った集落の住人達に捕まる事もなく、僕らは馬達を繋いである集落の入口まで引き返す事が出来た。集落の住人達が狙うよう命じられていたのはあくまで人間だけだったようで、馬達は異常な空気に少し怯えてはいたものの怪我もなく無事だった。
馬達を繋いでいた縄を解いてその背に飛び乗り、集落を迂回するように湖を目指して走り出す。時間短縮の為に集落内を突っ切っていく事も考えたけど、まだ集落の住人達がどの程度残っているか解らない事から危険は冒せないと安全策を取る事になった。
「……」
ランドはあれからずっとどこかぼんやりとした感じで、返る返事も上の空だ。そんなランドが心配ではあったけど、今は時間をかけてランドを労っている余裕はなかった。
「見えてきたぞ! あれが恐らく湖の遺跡だ!」
クラウスの声に、進行方向へと視線を戻す。すると遠くに、月明かりの中に浮かび上がる大きな城のようなものが見えた。
あそこに、この事態を引き起こしたゴゼがいる……! 僕は逸る気持ちを抑えながら、目的地に向けて馬を走らせ続けた。
遺跡の手前にあった林に馬達を残し、大きくそびえ立つ遺跡の入口の門を見上げる。万一の事を考え、馬達は敢えて繋がず危険が訪れればすぐに林から逃げ出せるようにしておいた。
長い時を経てすっかりと朽ちた木の門は、補修される事もなく穴だらけの姿を晒していた。僕らはその中でも一際大きな、人一人が余裕で通れるサイズの穴を潜って遺跡内に侵入する事にした。
「……っ!?」
と、いつものように安全を確かめる為一番最初に穴を潜ったサークさんが軽く踞る。まさか罠でも仕掛けられていたのかと、僕らは慌てて穴の近くへ集まる。
「サークさん! 大丈夫ですか!?」
「ああ……大丈夫だ。ただ……遺跡の中に入った途端、とても嫌な感じがした。それだけだ」
振り返った顔は少しだけ青く、その言葉が嘘ではない事を示している。僕らはその事に不安を覚えつつも、罠がないならと次々に穴を潜る。
(あれ……?)
遺跡内に入ってはみたけど、サークさんの言うような嫌な感じは特にしなかった。他の皆も同じだったらしく、それぞれ首を傾げている。
「……俺の気のせいだったのかもしれないな。妙な事を言ってすまない。先に進もう」
サークさんが気を取り直し、再び先頭に立って歩き始める。僕はそれに漠然とした不安を覚えながらも、サークさんの後に続いた。
遺跡内は今まで入った遺跡とは違い、壁や天井に設置された松明とは違う灯りが煌々と輝き内部を照らしていた。そのお陰で視界の確保に困る事はなく、僕らはどんどん先へと進んでいく。
「エルナータがリト達と初めて会った部屋と、ちょっとだけ似てるな」
「これも、ずっと昔の古代文明の賜物なのかな?」
「……ああ、そうだな」
試しに遺跡の仕組みについてランドに話を振ってみるけど、やっぱり聞いているのかいないのか解らない感じだ。いつものランドなら、絶対に乗ってくるところなのに……。
「クラウス、お前はゴゼがいるとしたらどこにいると思う?」
「恐らくは玉座だろうな。ゴゼは自己顕示欲のとりわけ強い悪魔だったと文献にあった」
「なら……最上階か」
「可能性は高い」
クラウスとサークさんは、ゴゼの居場所についてそう分析をしながら歩を進めている。それでいて視線は周囲への警戒を怠っていないのが、いかにも旅慣れたこの二人らしい。
「……リト」
不意に列の真ん中、僕のすぐ前を歩いていたアロアが僕を振り返る。その表情は固く、目には微かな怯えも浮かんでいた。
「どうしたの、アロア?」
「ここ……何かいる。入口の辺りにいた時は気付かなかったんだけど、奥に進むにつれてだんだん怖い気配が強くなっていくの。何かとても、邪悪な気配が……」
アロアの言葉に、僕の気持ちも引き締まる。アロアはアンジェラ神に仕えるシスターだから、悪魔の気配も感じ取りやすいのかもしれない。
……ゴゼは間違いなく玉座にいる。そう確信した僕は、これから始まる激しい戦いを予感し小さく息を飲んだ。
途中に罠が仕掛けられているような事もなく、間もなく僕らは最上階の玉座の間まで辿り着いた。ここまで来ると、どの神の信者でもない僕ですら内から放たれる強い威圧感を感じ取れる。
今まで戦ったパヴァーとも、ブリムとも違うこの気配。最も強い悪魔のうちの一人、という言い伝えはどうやら間違いがなさそうだった。
皆もそれを感じ取っているらしい。僕らは無言で顔を見合わせ頷き合うと、入口の門ほどではないけどやはり朽ちてボロボロな両開きの扉を開け放った。
扉の向こうは、とても広い空間だった。奥行きだけでも皆生きていた頃のタンザ村の住人が余裕で全員入れそうな広さなのに加え天井までの幅も高く、頭上には精巧な芸術品のようなとても大きく綺麗な照明が鎖に吊るされ幾つも飾られていた。
そして、最奥の玉座には……パヴァーのように蝙蝠のようなボロボロの翼を持ち、山羊を思わせる大きな二本の角にバツ印の形に裂けた口、既に見慣れた黒目のない白目をギョロギョロと剥き出しにした筋肉質の化け物が足を組んで座っていた。
「いよおおおおおこそ! 親愛なる脆弱で無力な人間共!」
芝居がかった調子で化け物――恐らくはゴゼが組んでいた足を戻して両手を広げ、イーリャの村で出会ったゴースト達よりも更におぞましい声で告げる。まるでこちらを挑発するようなその態度に、しかし流される事なく冷静にサークさんが口を開く。
「お前が悪魔ゴゼか?」
「その通ぉり。今の時代の人間共にも知られてるなんざ嬉しいねえ。聞いたぜえ? お前らがあのクソ屁理屈ばっかりの自惚れ屋のパヴァーと、女の事しか考えてねえクッソキモいデブのブリムを殺ってくれたんだろお?」
その言葉に、自分の眉根が寄るのが解る。こちらの動きが完全にグランドラに把握されていると確信を持てたのもそうだけど、仮にも同じ悪魔同士なのに情の欠片も感じさせない言い分に嫌悪感が湧いたのだ。
「俺ぁあいつらが大っ嫌いでよお。あいつらを殺ってくれたお前らにゃ感謝してんだあ。そこでだ、お前らこの俺と手を組まねえかあ?」
「……何だと?」
答えるサークさんの声から、感情が消えるのが解る。それに気付いていないのかそれとも気にも止めていないのか、上機嫌にゴゼが続ける。
「グラン……何だったっけか。忘れたがとにかくそこの使者とかいう奴がここでお前らを待ち伏せて殺せとか言ってきやがったけどよお、俺ぁ大した力もねえのに偉そうな顔する奴がだぁいっ嫌いでよお。殺して俺の手下に加えてやったぜえ。そいつ、魔除けだか何だか持ってたみたいだが俺ほどの力の持ち主にゃあどうやら効果がなかったみてえだなあ。まあ、その点お前らにゃ俺より弱いとはいえ悪魔を倒すだけの実力がある。俺と組みゃあ、この世の総てを意のままに出来るぜえ。勿論この俺の部下として、だがなあ」
完全にこちらを舐めてかかっている様子のゴゼがべらべらと喋ってくれるお陰で、グランドラが魔物達を好きな場所に出現させる事が出来たカラクリが解った。グランドラは恐らく何らかの魔導遺物の力を使って、魔物や悪魔達を従わせていたんだ。
「どうだあ? 特別にお前らだけは、殺さないで生かしたまんま部下にしてやる。悪い話じゃねえだろお?」
これがこの悪魔の笑みなのだろう、右上と左上の口の端を上へと吊り上げながらゴゼが言う。ふざけるな、そう僕が叫ぼうとするより早く、隊列の中からゴゼのいる方へ飛び出す一つの影があった。
「ランド!」
「よくも……よくもよくもよくもよくも!!」
両手にダガーを握り締め、ゴゼへと向かっていくランド。ゴゼはそれを見て面倒くさそうに舌打ちをすると、ゆっくりと玉座から立ち上がった。
「戻れ、ランド!」
「うおおおおおおおおおっ!!」
サークさんの制止の声も、ランドには届かない。僕らはすぐにそれを追いかけるも、追い付く前にランドはゴゼの目の前に辿り着きダガーを大きく振りかぶった。
「邪魔だあ、カス」
ダガーが降り下ろされる直前、ゴゼがかろうじて目で追えるほどの素早い動作で腕を振り抜き、ランドの横面を殴り付ける。悲鳴を上げる間もなかったのか殴られたランドの体は無言で宙を飛び、近くの太い柱に激突してその根元を破壊した。
「いやあああああっ! ランドおおおおおっ!!」
悲痛なアロアの悲鳴が、辺りに木霊する。ランドは口から血を流し瓦礫に埋もれたまま、ピクリとも動かなかった。
「けっ、雑魚がこの俺に逆らいやがって。待ってろお前らあ、話の続きはあいつを始末してから……」
その言葉を、ゴゼが最後まで言う事は出来なかった。いつの間に距離を詰めたのか、サークさんが先程のゴゼの拳にも劣らないスピードで曲刀をゴゼの頭に降り下ろしていた。
けれどゴゼもすぐにそれに気付き、ランドを吹き飛ばしたのとは逆向きに大きく横に飛んでそれをかわす。ゴゼは心底意外、という風に目を見開き、サークさんを見つめる。
「おいおい、まさかお前まで俺に歯向かう気かあ?」
「テメェは仲間を傷付けた。許せる筈がねえだろうが」
ともすればブリムを相手にした時と同等の、けれどあの時とは違った静かな殺気を全身から放ちサークさんが告げる。僕も腕輪を剣に変え、その横に並んだ。
「それにお前は、罪のない沢山の人々を殺した! そんなお前を許す事は絶対に出来ない! ……煌めけ、剣よ!」
「そうだ! 悪い奴は、エルナータが皆やっつける!」
エルナータも鼻息荒く、僕の反対側のサークさんの隣に並ぶ。そして僕の空いている隣には、杖を構えたクラウスが立った。
「貴様は悪魔だ。そんな貴様が、人間である僕達との約束を守るという保証はどこにもない。……アロア、僕達が戦っている間に貴様はランドを治療しろ。いいな」
「う、うん!」
「……揃いも揃って、ちょっと甘い顔をしてやりゃあ調子に乗りやがって。いいぜえ。そんならお望み、全員ここでぶっ殺してやらあっ!」
苛立ちを隠さない様子で、ゴゼが大きく吠える。そして僕らは、同時にゴゼに向かって駆け出した。




