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蒼月の交響曲  作者: 由希
第二章 いざ北方の地へ
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第六十九話 それぞれの休暇

 ブリムとの戦いが夜更けまでかかった為に睡眠時間が短かった事とサークさんの消耗が思ったより激しかった事、何よりここまでの旅の疲労が皆に蓄積されていた事を理由に、翌日はまるまる一日が自由時間となった。エルナータはここぞとばかりにサークさんを巻き込んで乗馬の練習に励み、アロアは集落にあったアンジェラ教会の出張所を訪ね、ランドは逃げる途中で仲良くなったらしい集落の女の子達との会話に興じ、クラウスは、


「今日は一人にしてくれ……もう二度と女装などするものか……」


 と、余程昨日の一件が精神的に堪えたらしくそう言って部屋に引きこもってしまった。

 宿代は、自分の娘を救ったお礼だと言って宿の主人がタダにしてくれたので心配はいらない。となると、どうやってこの降って湧いた休暇を過ごすかなんだけど。


(そういえば僕……まともな休日って、今まで一度も経験した事ないな)


 タンザ村にいた頃は、毎日村の誰かの手伝いをしていた。フェンデルに移りマッサーの宿にお世話になってからは、大体宿の仕事をするか冒険者として依頼をこなすかのどちらかだった。つまり僕は、自分の為に時間を使った事が殆どない。


(思い返してみれば、趣味とか好きな事とか全然考えた事がなかったな……)


 今まではお世話になってるお礼をしようとか、自分の記憶に繋がる何かを見つけようとかそればかり考えてきた気がする。そういう事を抜きで自分自身が何をしたいか、考えてみれば全く気にした事がなかった。

 ……僕は本当は、つまらない人間なんだろうか? そう思い、やりたい事を考えてみるけど気にし始めたからってそうそうやりたい事が浮かぶ訳でもなく。


(……ちょっと、外でも歩いて気分転換しようかな)


 このまま部屋でウジウジと思い悩むよりはマシかもしれないと、僕はカーソンの集落をあちこち見て回る事にしたのだった。



 宿を出て少し歩くと、ランドが女の子達と楽しく談笑しているところに行き合った。ランドもこっちに気付き、軽く手を振ってくる。


「よっ、リト。散歩か?」

「うん。そっちは話が盛り上がってるみたいだね」

「彼女達フェンデルの話に興味津々でさ。色々と話してやってるんだ」


 そう言ったランドの鼻の下が、若干伸びている事に僕は気付く。フェンデルにいた頃は女の子に囲まれるなんて姿は見た事がなかったから、もしかしたら今の状況が嬉しいのかもしれない。


「ねえ、あなたもレムリアから来たのよね? 王都の女の子の間では今何が流行ってるか知ってる?」

「王都って綺麗な服も美味しいものも沢山あるんでしょ? いいなあ……」


 するとランドと話をしていた女の子達の関心が、少しずつ僕へと移り始めた。ランドは女の子達の関心を自分の方へと戻そうとするかのように、大袈裟に手を振り声を張り上げる。


「あー、あー、それだったら俺が教えるよ! フェンデルでの流行りって言ったらさあ……!」


 そんなランドの気持ちが解らないほど、野暮でも鈍くもない。僕は女の子達に話を続けるランドの邪魔にならないよう、早々にその場を離れる事にした。



 更にのんびりと歩いていくと、行く手に見慣れたシンボルが屋根の上に付けられた建物が見えてきた。恐らくあれが、アンジェラ教会の出張所だろう。

 まだアロアはここにいるだろうか。そう思いながら、開いたままになっている扉に近付きそっと中を覗き込んでみる。

 出張所の中に、アロアはいた。この出張所に住んでいるシスターだろうか、随分と歳のいった白髪のお婆さんと何か会話をしている。

 声をかけようとして、開きかけた口が止まる。アロアの表情は、酷く真剣そのものだった。

 ……もしかしたらアロアは、マヌアの集落でオーガーを救えなかった事をまだ気に病んでいるのかもしれない。アロアは責任感の強い子だ。もしもあの時自分にもっと力があったらと、そう考えていてもおかしくはない。

 暇潰しなんかで、そんなアロアの邪魔をしていいのだろうか。そう思い、僕はそのまま出張所から離れる事を決めた。



 歩を進めるうち民家は疎らになっていき、広い平原が目の前に広がり始める。その平原の中に、一生懸命な女の子の声が響いていた。


「それっ! 走れっ! ……うー、こいつ全然動かないぞ!」

「頑張ってるね、エルナータ」

「あ、リト!」


 馬に跨がり躍起になっている女の子――エルナータに声をかける。エルナータは僕の方を振り向くと、思いきり頬を膨らませて言った。


「リト、駄目だこいつ! 全然走らない!」

「エルナータは力みすぎなんだ。もう少し力を抜いて手綱を操らないと」

「サークの教え方は難しすぎる! エルナータ、ちゃんと言われた通りにしてるぞ!」

「うーん……エルナータ、ちょっといいかな。僕の素人考えで悪いんだけど」


 傍らのサークさんに文句を言うエルナータを宥めるように、僕は柔らかさを心掛けて口を開く。そして、馬の頭を優しく撫でながらこう続けた。


「エルナータは馬に乗る時、どんな事を考えてる?」

「んー? クラウスに負けないくらいめちゃくちゃ早く走らせてやろうって考えてるぞ!」

「それじゃ駄目なんだよ。いいかい? 馬も生き物で、意思を持ってるんだ。だから無理矢理走らせるんじゃなくて、馬の方に走りたいって思って貰わなきゃならないんだ」

「むー……じゃあどうすればこいつは走りたいって思うんだ?」


 僕の言っている事が少し難しいのか、小さく首を傾げてエルナータが唸る。そんなエルナータに苦笑しながら、僕は自分の考えを述べる。


「エルナータは、人にどんな事をして貰ったら嬉しい?」

「そうだな……優しくして貰ったり、褒めて貰うと嬉しいな!」

「逆にされたら嫌な事は?」

「そうだなー……何かを押し付けてくる奴は嫌いだ! クラウスみたいに!」

「馬もそれと同じだよ。優しくしてあげて、走って下さいってお願いするんだ。そうすれば馬も、きっとそれに応えてくれるよ」

「馬も、エルナータと同じ……」


 エルナータの目が、じっと馬の頭を見つめる。暫くそうした後、エルナータが馬の頭にぽん、と手を置いた。


「エルナータ、お前と一緒に走りたいんだ。……走ってくれるか?」


 その言葉に、馬が小さく鼻息を鳴らしながらエルナータの方を振り返る。そしてゆっくりとだけど、エルナータを乗せたまま平原を歩き出した。


「わっ、動いた! 馬が動いたぞ、リト!」

「ははっ、どうやら俺よりリトの方がよっぽど優秀な教師だったみたいだな」

「そ、そんな……止めて下さいよ、サークさん……」


 笑いながらそう言ってくるサークさんに、顔が赤くなるのを感じる。僕はただ、思ったままを言っただけなのに……。


「よーし、こいつと一緒にもっともっと早く走れるようになるぞ!」


 馬が動いた事で俄然やる気を取り戻したらしいエルナータは、それから日が暮れるまで乗馬の練習を続けた。



 湯あみを終え、さっぱりした気持ちで廊下を歩く。結局自分の事は何も出来なかったけど、充実した一日ではあったと思う。

 時間が遅いせいか、通りがかった食堂にも誰もいない。いや……隅の方で、見慣れた人物が一人でお酒を飲んでいた。


「サークさん、こんな時間に一人酒ですか?」


 その人――サークさんは僕に気付くと片手を上げて応えた。僕はサークさんの座るテーブルに近付き、隣の椅子に腰を下ろした。


「ここのところ賑やかな酒が多かったからな。たまには静かに飲みたくてね」

「じゃあ、僕はお邪魔ですか?」

「いや、一人増えたぐらいじゃ大して変わらないさ。……そうだ、リトは酒はいける口か?」

「はい、多少は」

「なら、少し付き合ってくれるか? 一人酒もどうにも味気なくてね、飽きてきてたところだ」

「僕で良ければ、お付き合いします」

「そう来ないとな。主人、この子にもエールを」


 サークさんがそう言うと、ジョッキに注がれたエールが僕の前にも運ばれてくる。僕らはジョッキを掲げ、軽く縁を合わせる。


「乾杯」

「乾杯」


 二人で一気にエールを煽り、大きく息を吐く。するといつもより上機嫌な様子で、サークさんが言った。


「誰かとこうやってサシで飲むのも、そういえば久しぶりだな」

「クラウスとは飲まないんですか?」

「あいつは駄目だ、エール一杯ですっかりべろべろになる。もう十六になったってのに、飲ませ甲斐がない奴だよ」

「……クラウスとは、やっぱり付き合いが長いんですか?」


 僕の質問に、サークさんは一度エールを口に含んだ。そしてそれを飲み干してから、しんみりと口を開く。


「まあ……長い、ってほどでもねえな。あいつが旅に出る事になって初めて出会ったから、ざっと二年くらいの付き合いになるか。出会った頃のあいつは今以上に頭でっかちで、危なっかしくて……他人を信用しなかったな」


 その頃のクラウスの様子が、何だか思い浮かぶ気がした。今もまだその傾向はあるけど、きっと二年間のサークさんとの旅で多少なりとも改善されたんだろう。


「尊大な口調ですぐ他人を威圧しようとするわ、火力重視で周りを巻き込んで攻撃するわ……正直何回放り出してやろうかと思ったけどな。けど最初から、一度決めた事は最後までやり遂げるっつー責任感は人一倍だった」


 大分酔いが回ってきたのか、いつもより砕けた口調でサークさんが語る。その言葉ぶりと小さな笑みを浮かべた表情から、クラウスをまるで自分の息子のように可愛がっているんだろう事が伝わってきた。


「ま、でもクラウスに関しちゃ、リト達には感謝してんだ」

「僕に?」


 意外な言葉に、僕は目を丸くする。クラウスに特別な何かをした記憶は、全然ないんだけど……。


「あいつはリト達に会って変わったよ。リト達みたいにあいつの態度を気にせず自然体で接してくれる友達が、今まであいつにはいなかったからな。他人に認められる事で、あいつの中にも他人を認める事が出来る余裕が生まれたんだろう」

「そんな、僕らは何も……そりゃ最初は殺されかけたりして面食らったけど、クラウスが悪い奴じゃないっていうのはすぐ解ったし……」

「それに、あいつの両親の事を知っても態度が変わらなかったろ。……口には出さねえけど、クラウスの奴、お前達にかなり感謝してると思うぜ」


 そう言われて、クラウスのこれまでを思う。英雄と呼ばれたお父さんと比較され、何をするにも『英雄の息子』という呼び名がついて回っただろう日々。個人としてのクラウスを、家族以外誰も見ない生活。

 クラウスは、どんな思いで旅に出るまでの日々を過ごして来たのだろう。どんなに周囲に人がいても埋まらない、圧倒的な孤独。それを感じて、胸が苦しくなった。


「だから、まあ……本当はこういう事は頼む事じゃねえんだが、クラウスの事をどうかこれからもよろしく頼む。あいつにとっちゃ、お前達は多分……初めての友達だからな」

「はい、勿論です。僕にとっても、クラウスは大切な友達の一人ですから」


 僕の返事を聞いて、サークさんは嬉しそうに笑った。これがこの人の、飾らない素の笑顔なんだろうと僕は思った。

 それから僕らは何杯かエールを飲み交わし、サークさんが酔い潰れる前にと静かな酒宴はお開きとなった。

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