第六十八話 逆鱗に触れた報い
奥に見える灯りへと向かい、駆け足で進んでいく。後は僕とサークさんとで、ブリムを叩けばいいだけだ。
灯りが近付くにつれ、次第にブリムの楽しそうな笑い声が辺りに響き出す。僕はブリムに足音を聞かれないようそこで一旦足を止めると、忍び足で慎重に前へと歩を進めた。
「んー、クララちゃん、そろそろおでの顔を真っ直ぐ見て欲しいんだな。クララちゃんの可愛いお顔を、もっと正面からよく見てみたいんだな」
「ご、ごめんなさい。私、どうしても恥ずかしくてっ」
「ご主人様、クララだけでなく私も構って下さいな。はい、もう一杯」
「おっ、すまないんだなサーラちゃん。サーラちゃんも美人だけど、せめて人間にやられたとかいうその傷がなければもっと良かったんだな」
微かに聞こえてくる話から判断する限り、今はクラウスに積極的に絡んでこようとしてくるブリムの気をサークさんが何とか逸らしているという状況のようだった。サークさんの努力とここまで持ちこたえたクラウスの堪忍袋の緒に感謝しながら、僕は無事ブリムのいる部屋の前へと辿り着く。
壁に身を隠しながら中を覗き込むと、ブリムがクラウスとサークさんを両脇に侍らせグラスに注がれた葡萄酒を飲み干しているところだった。幸いブリムと二人以外には誰もいないようで、これで拐われていた集落の女の子達は今ランドが連れているので全員という事になる。
「……!」
不意にこっちを向いたクラウスが、僕の存在に気付いて涙目になる。その目は僕に、早くこの地獄のような時間を終わらせてくれと訴えかけてきているように思えた。
そろそろ、ランド達も遺跡を出た頃だろう。なら、いたずらにこの時間を長引かせる理由はどこにもない。
「そこまでだ、悪魔ブリム!」
声を上げ、僕は部屋の中に飛び込んだ。ブリムが完全に虚を突かれ驚いている隙にまずクラウスがこちらに駆け寄り、一拍置いてからそれを追うようにサークさんもこっちに向かって駆けてきた。
「なっ、オメェ、何でおでの酒盛りを邪魔しに……それにクララちゃんにサーラちゃん、どうしておでから離れていくんだな!?」
「馬鹿め、すっかり騙されおって! 僕達は男だ、残念だったな!」
今までの鬱憤を晴らすかのように、目を白黒させるブリムにクラウスが勝ち誇ったようにそう宣言する。ブリムはその発言が余程ショックだったようで、がくりと短い膝を床に着き愕然とクラウスを見つめた。
「クララちゃんと……サーラちゃんが……男……おとこ……」
「……丁度良い。ショックを受けている間に始末させて貰おう。リト、武器を」
「あっ、はい……あの体型が相手だから……切り裂け、斧よ!」
表面上はにこにこしてたけど内心サークさんもかなり我慢の限界に来ていたのか、そんなブリムを見てそう冷たく言い放つ。僕がそれに合わせて腕輪を斧に変えると……おもむろに、ブリムがすくっと立ち上がった。
「ちっ、もうショックから立ち直ったか?」
「……でも、いい……」
「は?」
ブリムが呟いた言葉が聞こえず、僕らは揃って耳を澄ませる。すると今度は大声で、ブリムはこう言ってのけた。
「こうなったら男でも構わないんだなああああ!! クララちゃんとサーラちゃんはおでのものなんだなああああああああ!!」
「何いいいいいいいい!?」
クラウスの顔が、今までにない最大の恐怖顔に変わっていくのが解った。正直僕も、困惑でよく話についていけてない。
……ええと? 男でもいいって事は、つまり、クラウスもサークさんも引き続き狙われ続けるって事で……?
「力が効かないとかこの際関係ないんだなあああ……力を使わなくたって、言う事聞かせる手段なら幾らでもあるんだなあああ……!」
そう言うブリムの目は異様に輝いて、ただでさえ荒かった息は更に荒くなり涎まで垂れているほどだ。も、物凄く相手にしたくない感じだけど、武器がなくても霊魔法が使えるサークさんはまだしも杖を置いてきた今のクラウスは完全に丸腰。ここは、僕が守らなきゃ……!
「頼む、サーク、リト! 一生のお願いだ! 早くあいつを何とかしてくれえっ!!」
「う、うん!」
「クララちゃん、サーラちゃん! 今から少ぉし痛い目を見て貰うけどそれもおでからの愛なんだなああああっ!」
――ドゴオッ!
ブリムが叫んだのと同時。そんな大きな破壊音が、突然辺りに響き渡った。
何事かと、音のした方を見る。するとサークさんの拳が石壁に叩き付けられていて、拳に接した部分は深く陥没しヒビまで入っていた。
「……誰が、テメェのもんだと……? もう一度言ってみやがれ、オラ」
今まで聞いた事のない、底冷えするような低い声でサークさんが言う。……これは、余程鈍くない限りは解る。完全にキレている。
「さ、サーク……?」
クラウスもこんなサークさんの姿は初めて見るのか、今までブリムに怯えていた事も忘れて困惑の視線をサークさんに向けている。サークさんは気の弱い人なら腰を抜かしてしまいそうな鋭い視線でブリムを睨み付けると、ドスを効かせた声で叫んだ。
「うちの糞餓鬼はなあ……テメェごときの嫁にさせる為に今日まで預かって育ててきた訳じゃねえんだよ、この変態クソブタザコ悪魔!!」
「なっ……いくらサーラちゃんでも言っていい事と悪い事があるんだなあ!」
その言葉に憤慨したブリムが、短い手足を丸め勢いをつけてこちらに転がってくる。それに対しサークさんは精霊語で人形サイズの土色の肌をした筋肉質な壮年の男性を呼び出し、正面に石畳を割って現れた分厚い土壁を展開させる。
ブリムの巨体が土壁にぶつかり、激しい衝突音を立てる。その僅かな膠着時間を利用して、サークさんは更にブリムの四方を完全に土壁で覆ってしまった。
「こ、こんな壁くらいすぐに壊して……!」
「……そんな暇与えると思うか?」
サークさんが壮年の男性はそのままに、更に精霊語を唱える。すると壮年の男性の隣に今度は同じく人形サイズの真っ赤に燃え盛る女性が現れ、獰猛な笑みを浮かべた。
「命令だ。……灰になるまで焼き尽くせ」
「な、なんだな!?」
その静かな号令と共に、部屋にあった松明の火が一気に勢いを増し炎の渦へと姿を変えた。炎の渦は高く天井まで巻き上がり、それから土壁に囲まれたその中へと吸い込まれるように落ちていった。
「ブオオオオオオオオオオオオッ!!」
脂肪が焦げる、嫌な臭いが辺りに広がっていく。それでも尽きる事のない炎は、中から悲鳴が聞こえなくなるまで延々とブリムの全身を焼き続けた。
「……サークさんの事は、本気で怒らせないようにしよう……」
そのあまりにも凄惨な処刑現場を目の当たりにした僕とクラウスは、サークさんには聞こえないよう小声でそう誓い合ったのだった。
ブリムの体が完全に消し炭になったのを確認したところで、サークさんはやっと二人の精霊を解放した。二人もの精霊を長時間操り続けるのはやはり相当な精神力を消耗するようで、総てが終わった後のサークさんは自力で歩くのもやっとという有り様だった。
無事に遺跡から戻ってきた僕らに、集落の人々は大喜びした。そのお陰で同盟の話もスムーズに運び、馬の産地でありいい弓の使い手も多いマヌアも協力しているならという事もあってカーソンの集落もレムリアに協力する事を約束してくれた。
その後は化粧を落としてやっとの就寝となり、色々な意味で疲れたせいもありすぐに眠気が僕の体を支配した――。




