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蒼月の交響曲  作者: 由希
第二章 いざ北方の地へ
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第六十二話 血に飢えた獣

 起伏の激しい森の中を、急いで駆け抜ける。幸いにと言うべきか不幸にもと言うべきか、悲鳴は絶えず聞こえてきていたので進む方向に迷う事はなかった。


「頼む! お願いだから止めてくれえええええっ!!」


 悲鳴は命の危機を感じさせると言うより、何かに向かって哀願するような色合いが強いように思えた。その事に違和感を感じながらも、僕らは足を止めなかった。


「あれは!?」


 先頭を走っていたサークさんが、前方を見て声を上げる。間もなく僕の目にも、前方の様子がはっきりと見えてきた。

 それは異様な光景だった。人型にも見える小山の上に、何か小さい生き物がびっしりと張り付いている。そして悲鳴は、その小山の中から聞こえてくるのだ。


「離してくれ! お前だけでも逃げてくれ、頼む!!」

「! 解った、オーガーがラナさんを守ってるんだわ!」


 アロアの言う通りだった。小山だと思っていたものは、ラナさんを内にしっかりと抱き締めたオーガーの姿だったのだ。その上から何かの生き物が無数に張り付いているという事実を認識した瞬間、言い様のない嫌悪感が胸の奥から込み上げてきた。


「やはり……あれはヴァンパイアバットだ!」


 襲われるオーガーの様子を見たクラウスが、大声で叫ぶ。その声に、ランドがクラウスを振り返る。


「あいつらが家畜を襲った犯人って事かよ、クラウス!」

「恐らく間違いない。あれはなりは小さいが立派な魔物だ、夜になると集団で飛び回っては獲物の血を一滴残らず吸い尽くす。この森は暗いから、昼間でも活動が出来ているのだろう」

「くそっ……俺らがもっとラナとオーガーの事を信じてやってりゃあ……!」


 僕もランドと同じ事を悔やんだけど、今は反省だけしたってどうにもならない。二人を救い、ヴァンパイアバットを倒す事が今現在、何よりも優先されるべき事だった。


「……まずは二人からあいつらを引き剥がさないとどうにもならないな。皆、俺の周りに固まれ!」


 サークさんが叫び、精霊語で前にも見た淡い碧色の女の人を呼ぶ。そして以前とは比較にならない、身に受けたら僕らでも吹き飛んでしまいそうな猛烈な風を僕らを中心に巻き起こした。

 ヴァンパイアバット達が為す術もなくオーガーの体から引き剥がされ、宙に吹き飛ばされていく。僕らはそれを確認すると、すぐにラナさんとオーガーの元へと駆け寄った。


「大丈夫ですか、ラナさん!?」

「お前達!? あたしの事はいい、こいつを! こいつはあたしを庇って……!」

「待ってて下さい、今傷を塞ぎます!」


 僕が声をかけると、ラナさんは泣き腫らした目でそう訴えてきた。僕らはすぐに動かなくなったオーガーの体を横たえ、アロアによるヒーリングを開始する。

 ヴァンパイアバット達は一度は風に吹き飛ばされたものの獲物を諦める気はないようで、風の影響の少ない辺りを飛び回り僕らを包囲し始めた。サークさんが風を止めれば、恐らく一斉に襲い掛かってくるだろう。


「どうすりゃいいんだよ……二人は何とか助けられたけど、このままじゃ俺らまで……」


 ランドが青い顔をしながら、ヴァンパイアバットの大群を見て呟く。確かに今の状況は、ただヴァンパイアバットの餌が増えただけに過ぎない。


「……今まで人を避けてきていた筈のヴァンパイアバットがこれほどまでに僕達に執着するのは、さっきオーガーの血を吸った事により人型の生き物の血に味を占めたからに他ならない。ただこの場を切り抜けるだけでは、ヴァンパイアバット共の牙は次は集落の人間に向かうだろう」

「何が何でもこの場で全滅させるしかないって事かよ……ん?」


 クラウスの言葉にますます身を震わせていたランドだったけど、ふと何かに気付いたようにヴァンパイアバットの大群をじっと凝視し始めた。そして、少しだけ自信なさげに言う。


「……気のせいかもしんないんだけどさ、蝙蝠達の間に隠れるようにして他の奴より一回りでかい蝙蝠が飛んでるような……」

「! それはクイーンかもしれん! ヴァンパイアバットの群れの中には必ずそれを統率するクイーンがいると文献で見た事がある!」

「じゃあそのクイーンを倒せば……! でも、どうやって?」

「……作戦が、ない訳じゃない」


 僕らを守る為風を吹かせ続けているサークさんが、ぽつりと呟いた。ずっと精霊の力を使い続けるのは負担が大きい事なのか、顔にはうっすらと汗が滲んでいる。


「まず誰かが囮として群れの中に飛び込み、クイーンを狙い続ける事で奴らを一ヶ所に集める。そこを俺が風を使って外に逃げられないようにし、クラウスの雷で群れごとクイーンを焼き払う。それで仕留めきれなければ、逃げられる前に速攻で決着を着ける。……問題は、誰が囮をやるかだ。下手すれば囮役もまた、命を落とす危険がある」


 それは聞くからに危険な賭けだったけど、それ以上のいい方法も僕には思い付かなかった。そうなると確かに、誰が危険な囮役をやるかという事になる。

 皆を守りたいなら、やはり僕がやるべきだろう。けれど今の僕の腕前で、どこまでヴァンパイアバット達を引き付けられるだろうかという不安もある。

 本当はアロアのプロテクションがあればいいけど、アロアはオーガーの治療にかかりきりだ。頼る事は出来ない。


「よし! エルナータがそのオトリ?とかいうのをやるぞ! あいつらの中に飛び込んで、とにかく暴れてきたらいいんだろう?」


 ところが僕が悩んでいる間に、エルナータが張り切った様子でそう言い出した。それを慌てて止めようとして、ふと思い出す。

 僕と戦った時、エルナータは大鎚の直撃を受けても平然としていた。もしもエルナータの体が、普通の人間よりも頑丈に出来ているとしたら。


「エルナータがか? しかし……」

「……サークさん。エルナータに賭けてみましょう」

「リト!?」


 エルナータの幼さから承諾を躊躇うサークさんに、僕はそう言った。それを聞いたランドが、驚きの顔で僕を見る。


「ランド、ランドはあの時の戦いを少ししか見てないから知らないと思うけど、エルナータの体はとても頑丈なんだ。あいつらの牙も、エルナータには通らないかもしれない」

「で、でもよ……」

「エルナータなら大丈夫だぞ! あいつらを皆から引き離してやる!」


 心配するランドを余所に、エルナータが早く暴れたくて堪らないといった目でサークさんを見る。サークさんは暫しの思索の後、心を決めたようだった。


「……解った。任せたぞ、エルナータ」

「サークさん!」


 サークさんを非難するように、ランドが大声を上げる。それにサークさんは、努めて冷静に言葉を返した。


「リトは何の根拠もなしに、仲間を危険に曝すような事は言わない。だからここは、リトの言葉に賭けてみようと思う」

「ああ! エルナータに任せとけ!」

「ランド、お前はエルナータが正確にクイーンを狙えるように群れをよく見て誘導するんだ。エルナータは頑丈かもしれないが、一体の敵をひたすら狙い打ちするには注意力が足りない。出来るな?」


 冷静な指示とは裏腹に、有無を言わせないような視線をランドに向けてサークさんが言う。ランドは少しだけ迷う素振りを見せた後、覚悟を決めた表情で言った。


「……やります! やらなきゃどうせ、俺ら全員化け物蝙蝠の餌っすからね!」

「よし、じゃあ今から正面の風の勢いを弱めるから、エルナータはそこからヴァンパイアバット達に向かってくれ。戦いの間はランドの指示をよく聞く事。俺が口笛を吹いて合図したら、すぐに群れから離脱するんだ。いいな!」

「ああ!」

「よし……じゃあいくぞ!」


 サークさんがそう言うと、正面の風の壁が少し薄くなったのを感じた。それと同時にエルナータが髪の刃を掲げてヴァンパイアバットの大群の中に突っ込んでいき、思いっきり暴れ出し始める。


「エルナータ、もう少し左に移動しろ! クイーンはそこにいる!」


 そこにランドが的確な指示を出し、暴れるエルナータをクイーンに近付けさせる。クイーンを守る為だろう、僕らの周りを飛び回っていたヴァンパイアバット達が少しずつエルナータの方に集まっていくのが見えた。


「ふん! この程度の牙じゃ、エルナータは怪我なんてしないぞ!」


 ヴァンパイアバット達はエルナータの血を吸おうと群がるけど、僕の読み通りその小さな牙はエルナータの頑丈な皮膚を貫通するには至らないようだった。そうするうちにやがて、その場にいる総てのヴァンパイアバットがエルナータの元へと集まった。


「よし、これで準備は整ったな。エルナータ!」


 サークさんが作戦通り、口笛を吹いてエルナータを呼ぶ。エルナータは周りのヴァンパイアバットを切り裂き、すぐに群れの中から抜け出してきた。

 ヴァンパイアバット達は、当然エルナータを追おうと動き出す。けれど、それは叶わなかった。

 吹き荒れる風の壁がいつの間にか、完全にヴァンパイアバット達の動きを封じていたのだ。ヴァンパイアバット達が逃げ出そうと思っても、風の壁に弾かれて外に出る事は出来ない。


「後は任せろ! 『我が内に眠る力よ』……」


 それを確認したクラウスが、呪文の詠唱を始める。膨れ上がった雷の勢いは、いつもの比ではなかった。


「『雷に変わりて……敵を撃て』!」


 そして杖から放たれた特大の雷が、ヴァンパイアバットの群れを飲み込んだ。激しい雷の嵐が通り過ぎた後、そこには消し炭と化したヴァンパイアバットの死体ばかりが転がっていた。


「お……終わった?」


 静まり返った森の様子に、力が抜けたようにランドがへたり込む。それでも僕らは気を抜かず、ヴァンパイアバットの死体の山から目を離す事はなかった。


「!!」


 不意に、ヴァンパイアバットの死体の一部が小さく蠢いた。それを視認した瞬間、僕はその場に向けて走り出していた。


「貫け、槍よ!」

「ギイイイイイイイイッ!!」


 僕が腕輪を槍に変えるのと、死体の山の中から全身が黒焦げになったクイーンが飛び出したのとはほぼ同時だった。やっぱり、クイーンは部下のヴァンパイアバットを盾にする事で致命傷を免れていたんだ!


「逃がすかああああああああっ!!」


 クイーンは羽ばたきその場から逃げようとするけど、それより僕がクイーンの元に辿り着く方が僅かに早かった。僕は瞬時に狙いを定めると、僕の頭の高さまで浮き上がったクイーンの腹を思い切り槍で貫いた。


「ギ……イ……」


 短い呻き声を上げるとクイーンは全身を痙攣させ、やがて動かなくなった。ヴァンパイアバットの大群との戦いは、こうして終わりを告げたのだった。

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