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蒼月の交響曲  作者: 由希
第二章 いざ北方の地へ
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第六十一話 ラナの事情

「……あたしは、あの魔物に助けられたんだ」


 アロアのヒーリングの治療を受けながら、ラナさんがぽつりぽつりと話し始める。さっきの魔物はラナさんが食事を摂り終わるのを確認すると、また森の奥へと消えてしまった。


「早く集落を害する魔物を倒さないとと、気がはやっていたんだ。だから足元への注意が疎かになり、高く盛り上がった木の根から足を滑らせ酷く足を挫いてしまった」

「そこに、あの魔物が現れた……?」


 僕が問い掛けると、ラナさんはこくりと頷いた。そして、今は傍らに置かれている弓矢を見ながら話を続ける。


「あたしは当然戦おうとした。例えここで死ぬとしてもただでは殺されないと、何本もの矢をあいつに放った。……それなのに、あいつは、あたしの矢で体が傷付いたのに、それでも構わずあたしを抱き上げ、安全なこの洞窟まで運んでくれた」

「あの姿……あれは恐らくオーガーという種族だろう。オーガーは人間の何倍も頑丈な体を持っているというから、貴様の矢を受けても動けたのはその為かもしれん。……だが文献によれば、オーガーは好戦的で人間との衝突も多かった種族だ。それがこのように人間を巣に匿い、世話をするなどという話は聞いた事がない」


 ラナさんの話に、半信半疑と言った顔でクラウスが口を挟む。それに気を悪くした風でもなく、ラナさんがふう、と息を吐いた。


「あたしがお前達の立場なら、やはり信じようとはしなかっただろうな。だが事実なんだ。あいつは最初は森で狩ったらしい狸を食事として持ってきたが、あたしが生肉を食べないと知ると今度は森に生った果物を採ってきてあたしに食べさせ、夜あたしが眠る時はずっと側についていてくれた。どこからか摘んできた薬草で、足の手当てまでしてくれた。あいつは、あたしの恩人なんだ」

「……それが本当だとして、君はこれからどうするつもりなんだ? ただ森の魔物に救われたと話をするだけでは、集落の人間は納得しないだろう」


 心なしか、少しだけ厳しい目付きでサークさんが言うとラナさんは顔を俯かせてしまった。ラナさんは俯いたまま、少し弱々しい声で答える。


「……何とか、家畜を襲ったのがあいつじゃないという証明を立てたい。恐らくどこかに真犯人がいる筈なんだ、そいつさえ退治出来れば……」

「それなんだけど、確かにあんたを助けたのがあの魔物だとしてもイコールそれが身の潔白の証にゃなんねえだろ? 家畜を襲いつつ、あんたの事も何かの気紛れで助けたんじゃねえの?」


 それにランドがそう反論した途端、ラナさんの表情が険しいものに変わった。ラナさんはランドに食って掛かるように、大きくその場から身を乗り出す。


「あいつは無実だ! あいつはあたしが森を訪れてからは、ずっとあたしの面倒を見てたんだ。あいつは家畜を襲ったりなんかしてない!」

「ずっと見てたのかよ? この森から絶対あの魔物が出てないって言い切れるのかよ!」

「ぐっ……!」


 負けじと放たれたランドの問いに、ラナさんが言葉を詰まらせる。そして、アロアの治療を中断するように弓矢を手にし勢い良く立ち上がった。


「あっ、完全に治るにはもう少し時間をかけないと……」

「もう歩くには支障ない! お前達に話したあたしが間違っていた。こうなったら一人ででも、集落の家畜を襲った真犯人を探し出してやる!」

「待ってラナさん、僕らも……」

「ついてくるな! 足を治して貰った事は礼を言うが、これ以上あたしに付きまとうようなら射殺してやるぞ!」

「あっ、ラナさん……!」


 ラナさんは僕やアロアが止めるのも聞かずに殺気に満ちた目で僕らを睨み付けると、そのまま洞窟を出ていってしまった。その背中が見えなくなったところで、ランドが盛大に溜息を吐く。


「……悪ぃ、皆。余計な事を言っちまったみたいだ」

「気にするな。お前が言わなかったら、俺が同じ事を言っていた。彼女はあの魔物をすっかり信じきっている。物事を客観的に見れなくなっている程にな」


 落ち込んだ様子のランドを、サークさんが軽く背中を叩いて励ます。それからアロアが、ラナさんの消えた洞窟の入口から視線を外さずに呟いた。


「……でも本当に、あの魔物が家畜の血を吸ったのかしら。ラナさんの言葉じゃないけど……私も、何だか信じられない……」

「そりゃ俺だって、なるべくならそうあって欲しくないとは思うけどさ。相手は魔物なんだぜ? 何考えてるかなんて解んねえんだぜ?」

「うん……でも……」


 ランドのもっともな意見に、アロアもまた顔を俯かせる。それを聞きながら僕は、最初に集落を襲う魔物の話を聞いた時の事を思い出していた。

 あの時僕は、三メートルもあるような大きな魔物がただ獲物の血を吸うだけで済ませるだろうかと考えた。けどもしも、この森に古くからいる魔物と最近になって集落を襲うようになった魔物がそれぞれ別にいるとしたら?


「……」


 不意に僕は、さっきからクラウスが黙ったまま一言も言葉を発していない事に気が付いた。こういう時、いつものクラウスならラナさんの態度に憤慨しそうなものだけど……。


「クラウス、どうかしたの?」


 僕の問いに、クラウスはゆっくりと顔を上げた。そして皆の顔を見回しながら、静かに口を開く。


「……これはあくまでも、文献に記されていたオーガーの習性だが。オーガーは肉食だ。仕留めた獲物の肉を喰らい尽くす事はしても、血だけ吸って主食である肉を放置するなどという事はまず有り得ん筈だ」

「じゃあ、誰が牛や馬を襲ったんだ?」

「今、その条件に該当しそうな魔物を記憶の中から探っていた。夜行性で獲物の血を残さず吸い尽くす、となれば恐らく集落の家畜を襲ったのは……」


 エルナータの疑問に、クラウスが答えようとしたその時だった。森中に、突如として悲鳴が響き渡ったのは。


「うわああああああああああああ!!」

「!? 今の声は!?」


 その悲鳴に、全員が即座に立ち上がる。今の悲鳴は……間違いない、ラナさんのものだ!


「くそっ……皆、急ぐぞ!」

「はい!」


 サークさんの指示に僕らはすぐに洞窟を飛び出し、ラナさんの姿を探し始めた。

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