第六十話 神秘の森
集落内の家に快く泊めて貰える事にはなったものの、ランドの家でしたように一つの家に全員が泊まるのは無理という事で僕らは二人ずつに分かれて別々の家に泊まる事になった。組み合わせはいつも通り僕とランド、アロアとエルナータ、クラウスとサークさんで分かれた。
僕らはそれぞれの家で服を乾かさせて貰い、出して貰った食事を摂って早めに眠った。皆早起きは出来る方だったけど、集落の為にも、そして僕らの目的の為にも時間を無駄には出来ないので念には念を入れた。
そして朝日が昇り始めたばかりの頃。目を覚まし、集まった僕らは湖対岸の森に向けて出発した――。
辿り着いた森は今まで入ったどの森よりも深く、暗かった。けれども不気味な感じはせず、大自然の神秘というものを表すかのような不思議な美しさに満ちていた。
これも魔物を恐れた集落の人達が、森を殆ど手付かずのままにした為だろうか。だとすると、魔物が出るというのも悪い事ばかりじゃないのかも、と不謹慎にもそんな考えが浮かんでしまうのだった。
「素敵な森……タンザ村の近くの森よりもずっと綺麗。こんな所に、恐ろしい魔物がいるなんて……」
「魔物の生息範囲は種族によって異なっていると聞く。人の住めないような土地を好むものもいれば、人とそう変わらぬ場所を住処に定めるものもいると。もっとも人と生息域がぶつかるような魔物は、遥か昔に粗方討伐されたと聞いたが……ここノーブルランドは、まだ人の手が加わっていない場所も多い未開の地だ。生き残りがいたとしてもおかしくはない」
森を眺めながら感嘆の息を吐くアロアに、クラウスがそう説明を加える。……そうだ、僕らは観光をしにこの森に入ったんじゃない。集落に害を為し、族長の娘さんを襲ったかもしれない魔物を退治しに来たんだ。
ゆうべもまた馬が一頭、被害にあったらしい。これ以上の被害が出る前に、早く魔物を倒さないと……。
「魔物と言えど生き物だ。それほど長くこの森に住んでいるなら、どこかに生活の跡が必ず残っている筈だ。それを探そう」
「了解っす」
サークさんに頷き返し、僕らははぐれないよう互いを常に確認しつつそれぞれに魔物の生活の跡を探し始める。足元の太い木の根で転ばないよう気を付けながら森の奥へと進んでいくと、暫くしてエルナータが大きな声を上げた。
「おい、あそこに洞窟みたいのがある!」
エルナータの視線の先を追うと確かに地面に高い段差が出来ていて、その壁に穴がぽっかりと空いている。穴の高さからして、大きい熊ぐらいは中に住めそうだった。
「この森に住む獣の巣穴か? それとも……」
「それを確かめるには、直接中に入るしかなさそうだな」
クラウスとサークさんが互いに頷き合い、穴に近付いていく。僕らも急いでそれに続こうとした、その時。
「動くな!」
突然、凛とした女の人の声が辺りの空気を切り裂いた。僕らは全員、その声に反射的に歩みを止める。
声は森の中からではなく、穴のある方からしたようだった。目を凝らして暗い穴の中を見つめると、僅かに降り注ぐ木漏れ日に何かが反射しているような小さな光が微かに目に映った。
「お前達、何者だ。事と次第によっては生かしてはおけない」
姿を現さないまま、厳しい口調で声が問う。それに口を開き答えたのは、一番穴の近くにいたサークさんだった。
「君はもしかして、族長の娘のラナか?」
「何故あたしの名前を知っている。お前達、集落の人間じゃないだろう?」
「君のお父上のラムゼイ殿に頼まれた。君が生きているかどうか、確かめてきて欲しいと」
「父さんが? ……」
サークさんの言葉に、声の主は暫し何かを考えていたようだった。やがて穴の中から光が消え、さっきまでより幾分か柔らかい声が響く。
「入れ。但し妙な真似をすれば、容赦なく射殺す」
僕らは警戒を解かずに、穴の中に入っていく。穴に入ると外からの薄明かりの中、弓矢を手にした一人の女の人が座っているのが目に入った。
年の頃は恐らく、ランドと同じか少し上。長い黒髪を後ろに一つに纏めて三つ編みにし、動きやすそうな服に身を包んだ黒瞳の勝ち気そうな顔立ちの女の人だ。
「君がラナか。無事で何よりだが何故こんなところに?」
「森の魔物を追っている最中、転んでしまって酷く足を挫いた。それで何とか辿り着いたここで、足が直るのをじっと待っている」
「君一人でか?」
「……そうだ」
サークさんの質問に、淡々とラナさんが答える。地面に投げ出されたラナさんの足をよく見ると、言葉通りに酷く腫れ上がった足首に何かの草が貼られていた。
「この治療も君が自分で?」
「そ、そうだ。それくらいの体力は残っていたからな」
「……」
ラナさんがどこか動揺したようにそう言うと、サークさんは顎に手を当て何かを考え出した。……僕の目にも、さっきからのラナさんの態度はどこか不自然であるかのように思える。
怪我は自分で治療したとラナさんは言うけど、あの足で起伏の多いこの森をまともに歩いて薬草を探せたとは思えない。ラナさんの態度は、まるで僕らに知られたくない事でもあるかのようだった。
「と、とにかく。探しに来てくれた事には礼を言う、しかし森の魔物を討つまであたしはこの森から出るつもりはない」
「ならエルナータ達も手伝うぞ! 一緒に悪い奴をやっつけよう!」
「い、いや。ここは危ない、あたし一人で十分だ」
「だーい丈夫だって。こっちにゃあの『竜斬り』がついてるんだからな! なっ、サークさん!」
「……いや、ランド。なるべくならその呼び名はあまり触れ回らないでくれると嬉しいんだが……」
「『竜斬り』……?」
『竜斬り』の名前を聞いたラナさんの顔色が、明らかに変わった。そして慌てたように手を振り、言葉を捲し立てる。
「いやっ! いや、大丈夫だ。『竜斬り』殿が出るまでもない。ここの魔物はあたし一人でも片がつく、だから大丈夫だ!」
「でも、一人より皆の方が……それに、その足もヒーリングならすぐに治せるわ」
「いいから! あたしの事は構わず、集落に帰ってくれ!」
「……ちっ、おい貴様、さっきから黙っていれば一体何を隠している。そんなに僕達に知られたくない事でもあるのか?」
「何も隠してなんかない! 早く帰って……あ……」
苛立ちを募らせるクラウスに反論しようとしたラナさんの言葉が、途中で止まった。その目は酷く大きく見開かれ、絶望を映し出しているかのようだ。
視線の先を、ゆっくりと追いかける。すると穴の入口に、体長三メートルはあろうかという頭に角を生やした巨人が立っているのが見えた。
「魔物!? 煌めけ、剣よ!」
急いで剣を出し、魔物に向けて構える。皆も同じように戦闘態勢を取る中、背後から悲痛なラナさんの叫び声が響いた。
「逃げろ! 逃げるんだ!」
「大丈夫だぞ! エルナータ達がやっつけてやる!」
「頼む、頼むから逃げてくれ!」
威勢良く返すエルナータの言葉を無視するように、更にラナさんは訴える。魔物は両手に何かを抱えて立ち尽くしたまま、動き出す様子を見せない。
「何をやってるんだ! 逃げろと言ってるだろう!」
三度目の懇願が聞こえてきたところで、僕は不意に気付く。ラナさんの言葉は、僕らに向けられているんじゃない。
目の前の――この魔物に向けられているのだという事に。
「襲って来ないなら、さっさと片付けるまでだ。『我が内に眠る』……」
「待って、クラウス!」
呪文を詠唱しかけたクラウスを押し留め、剣を手放す。剣が腕輪の姿に戻るのを確認すると、僕は魔物の方へゆっくりと歩いていった。
「お、おい、何やってんだよリト!」
ランドの焦った声を聞きながら、魔物の目の前に立つ。魔物は白目のない黒い瞳で、静かに僕を見つめてくる。
「……君は僕らにも、ラナさんにも危害を加えるつもりはない。そうなんだね?」
魔物の首が、その言葉に大きく上下した。それを見て、僕は皆の方を振り返る。
「皆、武器をしまって。この魔物をラナさんの所へ通してあげるんだ」
「何を言っている! 貴様、正気か!?」
「……リトの言う通りにしてみよう、皆」
「サークさん!?」
僕とサークさんの言葉に皆が、特にクラウスとランドが大きくどよめく。皆は暫くラナさんと魔物とを見比べた後、武器は手から放さないままだったけど魔物がラナさんの元へ行けるよう道を譲ってくれた。
魔物が歩き出し、ラナさんに近付いていく。それをラナさんは、身動き一つせずに見守る。
ラナさんの目の前に立つと、魔物は身を屈め足元に持っていた何かを置く。それは、森で採れたのだろう幾つもの新鮮な果物だった。
「お前……何でそこまであたしの事を……う、ぅ……」
声を殺して涙を流すラナさんと、そんなラナさんを優しくじっと見つめる魔物。僕らはその奇妙な光景を、ただただ見守る事しか出来なかった。




