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蒼月の交響曲  作者: 由希
第二章 いざ北方の地へ
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第五十七話 自然の洗礼

 メルを連れて村に戻った僕らは改めてランドのお母さんが作ってくれたご飯を食べ、出発の準備を整えた。ランドのお母さんはもう一泊ぐらいしていったら、と申し出てくれたけど、寄り道してしまった分一刻も早くノーブルランドに向かわなければいけなかったしあまりランドの家族に甘えすぎてもいけないので丁重にお断りした。

 それからすっかりと忘れていた、村と街道を結ぶ道の途中の落ちた橋に関してはランドのお父さんが後で自分が村の人達に話をすると言ってくれた。その事に安心を覚えながら、僕らはいよいよ出発の時を迎えた――。



 村の入口まで見送りに来てくれた、ランドの家族と向かい合う。この村で過ごした、ほんの一日だったけどとても充実した時間を思い返すと一抹の寂しさが胸をよぎる。


「クラウスお兄さん、今度来た時は僕にも魔法を教えて下さいね」

「いいだろう。その時は僕の杖を使う事を特別に許可しよう」


 口調は相変わらずだけど、酷く親しげな様子でクラウスがミゲルに言う。


「またな、サーク兄ちゃん! 次はメルを見つけた時みたいな魔法、俺にも一杯見せてくれよな!」

「ああ、機会があったらな」


 サークさんが柔らかく笑って、元気なヨハンの頭を撫でる。


「アロアお姉ちゃん、次に来る時にはティーア、お姉ちゃんみたいな素敵なお嫁さんになってるからね!」

「ティーア、だから私はお嫁さんじゃ……もう」


 ティーアの言葉に、アロアが顔を真っ赤に染める。


「……エルナータお姉ちゃん、絶対にまた来てね。約束」

「ああ。絶対絶対、また遊びに来るぞ! エルナータはメルのお姉ちゃんだからな!」


 エルナータとメルが、互いに小指を絡め合い再会を誓う。


「にーちゃ、ばい、ばい」

「バイバイ、モリス。モリスがもう少し大きくなったら、また来るからね」


 そして僕はよたよたと手を振るモリスに、小さく手を振り返す。


「親父、お袋、そういう訳で暫くはレムリアの冒険者ギルドから直接生活費が届くから……連絡出来なくなって悪いけど……」

「解ったわ。大事なお仕事なんでしょう? 私達なら心配いらないから、しっかりお務めを果たしてらっしゃい!」

「……お前なら出来る。俺達の、息子だからな」

「ああ。……それじゃ、行ってくる」


 最後にランドがご両親とそう声を掛け合って、僕らはランドの家族に背を向ける。太陽は真上より少し西に傾いていて、次の町までの距離は解らないけどどうやら今夜はまた野営する事になりそうだった。


「皆さん! お世話になりました!」


 皆で一度だけ振り返り、笑顔で大きく手を振る。それにランドの家族が手を振り返してくれるのを確認すると、僕らは再び前を向いて歩き出した。



 カルナバ村を出発してからは、僕らの旅は順調そのものと言って良かった。目立ったトラブルと言えば何かにつけてクラウスとエルナータが張り合う事くらいで、突然の雨に降られるような事もなく、今が戦時中だと忘れてしまいそうなほど穏やかな旅が続いていった。

 フェンデルを発って十日あまり。僕らは遂に、レムリアとノーブルランドの国境にある駐屯地まで辿り着いた――。



 国境を意味する柵の間にそびえる門を囲むように存在するその駐屯地は、普段はノーブルランドとの国境を越える旅人など殆どいないのか酷く閑散とした雰囲気だった。宿らしきものもなく、あるのは警備兵達の寄宿舎と申し訳程度に建てられた訓練場くらいのものだった。

 国境を守護する警備兵達にサークさんが使者の証である銀時計を見せ話をすると、先にギルドから早馬で連絡が来ていたらしくあっさりと門は開け放たれた。そして僕らは門を潜り、とうとうノーブルランドの地に足を踏み入れる事になったのだった。


「ここがノーブルランド……」


 目の前に広がる、広大な平原を見渡しながら僕は呟く。門の先には道はなく、草と木が疎らに生えた大地がどこまでも続いているかのような錯覚を覚えた。


「ここから北に暫く直進した場所に、最初の目的地のマヌアの集落がある。皆、小まめに方位磁石を確認しながらついてきてくれ」


 ただ一人、細かい旅程を知らないエルナータに説明するようにサークさんが言い、先に立って歩き出す。僕らは荷物袋から方位磁石を取り出すと、それに続いた。

 今まではずっと、何かしらの指標がある場所ばかり歩いてきたから気付かなかったけど、何も目印がない場所を今いる位置から見えないほど遠い目的地に向かって歩くと言うのはとても大変な事だった。方位磁石がなかったら、今頃どこにいるかも解らなくなってやがてこの地で果てる事になっていたかもしれない。


「あっ、アロア! 見ろ! 兎の親子だぞ!」


 そんな中、色んなものを見つけてははしゃぐエルナータの声は僕にとって癒しになっていた。僕にとっても新鮮な光景ではあるけどエルナータには特に何もかもが珍しいらしく、目立ったものを目にする度にこうして声を上げていた。


「本当。可愛いね、エルナータ」

「なあ、ちょっとだけ触りに行っちゃ駄目か?」

「止めとけ止めとけ。兎は臆病なんだから、逃げられて終わりだって」


 エルナータと同じ方に目を向けて笑うアロアに、目を輝かせて兎を触りに行きたがるエルナータを嗜めるランド。そんな皆を見てクラウスは呆れ顔を返し、サークさんは微笑ましげな表情を浮かべる。


「全く、あいつらはこれが重要な旅だという自覚に欠けている! そうは思わんか、リト!」

「え? 僕?」


 急にクラウスから話を振られ、僕は目を丸くする。クラウスは僕に視線を移し、じっと僕の返答を待っている。


「……僕は、いいと思うよ。ピリピリしっぱなしの旅より、皆が笑い合える旅の方が」

「ふん、甘ちゃんだな貴様は! いいか、レムリアの運命は僕達の双肩にかかって……」

「……ちょっと待て。風が乱れ始めてる」


 宥めるような僕の答えにますます不機嫌さを募らせるクラウスを制するように、先程までとはうってかわった真剣な顔でサークさんが言う。そしていつかのように精霊語で小さな子供の精霊を呼び、空へと飛ばした。


「サークさん、もしかしてまた雨が……」


 僕の問いには答えず、サークさんは精霊が戻るのを待ってその報告を聞く。精霊が姿を消すと、焦った様子でサークさんが皆の方を振り返った。


「……不味い、雷雨が来る。この辺りに雨を防げそうな場所はない。どこまで集落に近付けるかは解らないが、走るぞ!」

「サーク、ライウって何だ?」

「雨だけじゃなくて、雷まで落ちてくるって事だよ! やっべえ、俺らんとこに落ちねえだろうな!」


 意味が飲み込めていないエルナータにランドが補足し、僕らは慌てて走り出す。空にはみるみるうちに暗雲が垂れ込め、雷が落ちる音が遠くに聞こえ始めた。


「アンジェラ様、どうか、私達をお守り下さい……!」


 金のシンボルを握り締めそうアロアが祈ったと同時、空から落ちてきた水滴が勢い良く地面を叩き付け始めたのだった。

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