第五十五話 真夜中の語らい
やがて外に出ていたランドのお父さんも加わり、皆でランドのお母さんとランドが作ってくれた夕食を頂く事になった。ランドのお父さんはランドに顔はよく似ていたけど寡黙な人で、ランドの明るい性格はお母さん似なのかもしれないと思った。
大きなテーブルに大量の料理が置かれ、ランドの弟達はランドやランドのご両親の膝に、それでも椅子が足りなかったのであぶれた残り二人はサークさんと僕の膝に乗り、楽しい夕食の時間が始まった。ランドの弟達、特に育ち盛りの男の子であるミゲルとヨハンの食べっぷりは凄まじく、それに負けじとエルナータも口一杯に料理を頬張っているのが何だか可笑しかった。
「こらお前ら! お客さんの食う分がなくなっちまうだろうが!」
ランドが声を張り上げて、そんな弟達を叱りつける。それを見ていたアロアが、くすくすと笑い声を上げた。
「賑やかね。こんな賑やかな食卓、私初めて」
「僕もだよ。アロアのお誕生会の時も賑やかだったけど、今日のはそれ以上だね」
今はもう遠く感じる、アロアの誕生日の時の事を思い出す。先への不安がなかった訳じゃないけど、皆が心から笑い合った楽しい時間。
あの時間を、そして今のこのひとときをまた迎える為に……僕らは頑張らないといけないんだ。
「……思い出すな。お父さんやお母さんが、生きてた頃の事」
そう決意を固める僕に、どこか遠くを見るような目でアロアが呟く。僕もまた、言われてもう一度食卓を見回す。
家族皆が揃った、温かな時間。アロアが失い、そして、僕が忘れ去ってしまったもの。
僕も故郷では、こんな風に家族と過ごしていたんだろうか。もしもこの先故郷に辿り着けたとして、記憶を失った僕に家族は何を思うのだろうか。
いや、そもそも僕の家族は今も生きているのだろうか。もしもアロアのように、天涯孤独の身の上だったとしたら。
「……浮かない顔をしているな」
だんだんと暗くなっていく考えに気持ちを沈ませていると、不意にクラウスが声をかけてきた。僕はハッと顔を上げ、大きくかぶりを振る。
「ご、ごめん。何となく、僕の家族は今どうしてるのかなって考えちゃって」
「いくら考えたとて、どうにもならない事も世の中にはある。それよりは今を楽しみ、鋭気を養う方が余程自分の身になる。違うか?」
クラウスの言葉は淡々として愛想がなかったけど、きっと僕を励ますつもりで言ってくれているのだろうという事は十分に感じ取れた。だから僕はクラウスに向けて、笑みを浮かべて言った。
「うん。ありがとう、クラウス」
「……ふん。いらん感傷で貴様が戦力として使い物にならなくなったら困る。それだけだ」
「にーちゃ、うー、うー」
照れたようにそっぽを向くクラウスと入れ替わりに、膝の上のモリスが僕の頭に向かって一生懸命手を伸ばし始める。どうやら頭を撫でようとしてくれているのだと気付き、今度こそ僕の口から心からの笑みが零れた。
「大丈夫だよ。ありがとう、モリス」
「モリス、頭がいいのね。リトが落ち込んでるって、ちゃんと解ったんだわ」
そんな僕らの姿を見ていたのか、アロアが柔らかな笑顔を浮かべる。その顔にはもう、先程の陰りは見られなかった。
「……アロアこそ、大丈夫?」
「え? 何が?」
思わず出た僕の問いに、首を傾げるアロア。それはとぼけていると言うより、自分の内心が僅かながらに表に出ていた事に心底気付いていないという様子だった。
「……ごめん、何でもない」
「ふふ、おかしなリト。早く食べましょ、もうおかずが半分もなくなっちゃった」
その反応にすぐに言い繕うと、アロアはくすくすと笑い出す。僕は気を取り直して、食卓のおかずに再び手を付け始めた。
「……エルナータお姉ちゃん。このおかず、美味しいよ。メル、これが一番好きなの」
「どれどれ? ……ホントだ! 凄く美味しいぞ!」
気が付くと、エルナータとメルがとても仲が良さそうに楽しげに話をしている。他の皆も、すっかりランドの家族と打ち解けたようだ。
そんな光景にまた笑みを零しながら、僕は一番手前のおかずを口に運んだ。
僕らは皆、ランドの弟達と同じ部屋に雑魚寝する事になった。狭くて申し訳ないけど、と眉を下げて言ったランドのお母さんに、僕らは急に来たのはこちらなのだから構わないと答えた。
陽気がまだ暑く、大した寝具がいらないのが幸いした。僕らはここまでの疲れもあり、借りたお風呂で湯あみを終えるとすぐに眠りに就いてしまったのだった。
闇の中、ぼんやりと重い瞼を開ける。まだ朝日は昇っていないようで、暗闇と静寂が家の外を支配していた。
多くの寝息が重なって響くのを聞きながら、ゆっくりと体を起こす。一度目覚めた体は、軽く水分を欲して疼いていた。
(水を、飲ませて貰おう)
立ち上がり、皆の眠る部屋を出る。手探りで記憶を頼りに水飲み場まで向かうと、途中の居間に灯りが灯っているのが見えた。
(誰か起きてるのかな?)
そう思い居間へと近付くと、そこにはカンテラの灯りの中で編み物をするランドのお母さんの姿があった。声をかけようか僕が迷っていると、ランドのお母さんの方が先に僕に気付き微笑みかけてくる。
「あら……リト君、だったわね。どうしたの? 眠れないの?」
「あ、はい、ちょっと目が覚めちゃって水を飲みに……おばさんは何をしてるんですか?」
「冬に向けて子供達の靴下を編んでるのよ。子供は成長が早いから一年経てばもう服は合わなくなるし、それにあの人数だから今のうちから編み始めないとね。……待っててねリト君、今温かいミルクを用意するから」
ランドのお母さんが立ち上がり、竈に向かう。僕は慌てて、それを止めようとする。
「いえ、ミルクなんて……水で十分ですから!」
「若い子が遠慮するものじゃないの。温かいミルクを飲めば、すぐに眠れるようになるわ」
けれどランドのお母さんはそう言って、手早くミルクを瓶から鍋に注ぎ薪に火を点けてしまった。僕は仕方なく、椅子に座ってミルクが温まるのを一緒に待ち始める。
「……あの子は……ランドは、街ではどんな様子かしら?」
鍋から視線を外さないまま、ランドのお母さんが言う。その質問に僕は、正直に答える。
「とても明るくて、頼れる相手です。時々強引な時もあるけど……でも、いつも皆の事を思いやってくれる僕の自慢の友達です」
「……そう。あの子らしいわね」
僕の答えに、ランドのお母さんは穏やかな笑みを浮かべた。そして、ミルクが固まらないよう時折ヘラでかき混ぜながら話を続ける。
「本当は少し心配だったの。あの子、普段は愚痴ばっかりだけど本当に辛い時には絶対弱音を吐かないから。だから、街で無理をしているのじゃないかって。……でも、今日あなた達を連れてきたのを見て安心したわ。あなた達といれば、あの子はきっと大丈夫だって」
「いえ、僕らはそんな……」
「あの子が友達だと連れてきた子達よ。だから私達も、あなた達を信じる」
やがて、ミルクから小さく泡が立ってきた。ランドのお母さんは竈の火を消し、鍋からコップにミルクを注ぐ。
「あの子をよろしくね、リト君。あの子が無茶をしないように、ちゃんと見ていてあげてね」
湯気を立てるミルクの入ったコップを僕の前に置きながら、ランドのお母さんは言った。その優しい眼差しに、僕は決意と共に力強く頷き返す。
「はい。ランドの事は、絶対に助けます」
「まあ、そこまで気負わなくてもいいのよ? あの子ももう十八の大人なんだし……でも嬉しいわ。ありがとう、リト君」
「いえ。ランドには、いっぱいお世話になりましたから」
熱いミルクに息を吹き掛け冷ましてから飲み干し、笑みを返す。ランドのお母さんもまた笑みを浮かべ、そして椅子に座ると再び編み物に取り掛かる。
「ミルク、美味しかったです。ご馳走様でした。お休みなさい」
「お休みなさい。ゆっくり休んでね」
僕はランドのお母さんに別れを告げると、皆の眠る部屋へと戻っていったのだった。
次に目を覚ますと、家中が何だか慌ただしい雰囲気になっていた。僕より先に起きたらしいクラウスやサークさんも、揃って難しい顔をして何かを話し込んでいる。
「あの……何があったんですか?」
一番近くにいたサークさんに向けて、そう尋ねてみる。サークさんはこちらを振り返り、固い表情で口を開いた。
「起きたのか、リト。実は……」
「リト! ゆうべメルが起きて来なかったか!? お前ゆうべ水飲みに起きたんだろ!?」
けれどサークさんが何かを言う前に、ランドが部屋に飛び込んできて僕の肩を掴む。僕はランドの必死な様子に気圧されながら、何とか答える。
「ううん、皆寝てたと思うけど……」
「……そうか……」
僕が答えると、ランドは明らかに落胆したようだった。そして、声を振り絞るようにその言葉を口にする。
「メルが……いないんだ。朝起きてからずっと……」
その瞬間、僕の視界が真っ暗になったような、そんな気がした。




