第四十八話 最高の誕生日
「ねえ、まだ目を開けちゃ駄目?」
「駄目だ! アロア、ぎゅーって目を瞑ってるんだぞ?」
エルナータと一緒に、固く目を閉じたアロアの手を引き宿の廊下を進む。これから始まる事を考えると、僕もエルナータもワクワクが止まらなかった。
「リトもエルナータも、今日は皆変よ? 何だか妙にそわそわしてるし……」
「その理由は、これから解るよ」
アロアを連れて、食堂の中に入る。準備はもう、すっかり整っていた。
「よし! もう目を開けていいぞ!」
「解ったわ。んー……」
閉じられたアロアの目が、ゆっくりと開かれる。それと同時に、クラッカーの大きな音と飛び散る紙吹雪が辺りを彩った。
『アロア、誕生日おめでとう!』
皆で声を揃えて、そう声をかける。アロアは何が起こっているのか理解が追い付いていないらしく、その場で目を丸くしてきょとんとしていた。
「え……え?」
「ははっ、ビックリしてるな。今日の為に、ずっと前から皆で準備してたんだよ」
「ちなみに発案者は俺な、俺! アロアちゃん、惚れてくれてもいいんだぜ?」
サークさんが笑い、調子良さげにランドが嘯く。それを見ていたクラウスが、鼻を鳴らして言った。
「ふん、僕は別に貴様の誕生日なんて興味はなかったんだがな。リトの奴がどうしてもと言うものだからな」
「なら来なくても良かったんだぞ? 寧ろエルナータは来ない方が良かったぞ?」
「うるさいチビ! 貴様に指図される謂われはない!」
「チビじゃない、エルナータだ!」
「はいはいそこまでそこまで。悪いなエルナータちゃん、うちのひねくれ坊主が。クラウス、お前も友達の誕生日パーティーに呼んで貰うのなんて初めてなんだからお利口にしてなきゃ駄目だろ?」
「なっ、貴様何故それを……じゃない、子供扱いするな!」
「ふふ……賑やかですね。若者達の元気な会話を聞いていると、こちらも若返るようです」
そんな皆の騒がしいやり取りを、微笑ましげに見つめる神父様。アロアはその様子にやっと思考が追い付いてきたようで、くしゃりと泣きそうに顔を歪ませながら笑みを浮かべる。
「これ……全部、私の為に……?」
「うん。皆、アロアの誕生日を祝う為に集まってくれたんだよ」
「私……私……!」
遂に感極まって、アロアが泣き出してしまう。それを見たエルナータが、おろおろとアロアにしがみつく。
「ど、どうしたアロア!? 怪我したのか!? どっか痛いのか!?」
「嬉しくても涙ってもんは出るもんなんだよ、エルナータ。でもなアロアちゃん、こんなおめでたい日に涙は似合わないぜ! 今日は思いっきり楽しんでくれよな!」
「……うん!」
ランドの言葉に、アロアが涙を拭って満面の笑みで頷く。こうして僕達の、ささやかだけれど楽しい時間が始まった。
「さって、宴もたけなわ、そろそろお待ちかねのプレゼントタイムだな!」
皆で作った料理を食べて、マッサーさんが用意してくれた果実水を飲んで。そうやって暫く楽しく騒いだ後、おもむろにランドが口を開いた。
「え? プレゼントまで用意してくれたの?」
「むぐむぐ……ぷはあ。はい! はい! 一番手はエルナータだぞ。絶対エルナータだからな!」
口の中一杯に料理を詰め込んでいたエルナータが、急いでそれを飲み込み手を上げる。そしてカウンター裏に回ると、深緑のリボンで綺麗にラッピングされた大きな箱を持ってきた。
「ふふふ、エルナータのプレゼントは凄いぞ! ビックリだぞ!」
「綺麗な箱……中身は何かしら?」
「それは開けてみてからのお楽しみだ!」
アロアが丁寧にラッピングを解き、箱を開ける。すると中には、旬のフルーツがふんだんに使われた大きなケーキが入っていた。
「わあ……! とっても美味しそう!」
「そうだろう! エルナータ、凄く食べたかったけどアロアの為に一生懸命我慢したんだ! 偉いか?」
「うん、とっても偉いわ。ありがとう、エルナータ。……でも、こんな大きなケーキ一人じゃ食べきれないから後で皆で分けて食べましょう?」
「エルナータも食べていいのか!?」
「ふふ、勿論」
「わーい! アロア、ありがとう!」
「全く、お前が喜んでどうすんだっつーの……っと、次は俺だな」
続けてランドがカウンター裏に向かい、エルナータの箱とは対照的に小さく細長い箱を持ってくる。藍色の、上品さを感じさせる箱だ。
「今度は何かしら?」
「ふふふ、一味違う大人の男のプレゼント、見せてやるよ」
得意気なランドに笑みを返しながら、アロアが箱を開ける。箱の中には、色とりどりの小さな装飾品が幾つも付いた朱色の髪紐が入っていた。
「綺麗……とっても素敵……!」
「それさ、今フェンデルで流行りの新色なんだぜ? アロアちゃんには赤系の色がよく似合うから、丁度いいと思ってさ」
「ありがとう、ランド。大事に使うね」
「へへっ、どういたしまして」
「では、次は私ですね。大したものは贈れませんが……」
次にカウンター裏に向かったのは神父様だった。神父様は、手に何か金色の鎖の付いたものを持って戻ってくる。
「神父様、それはもしかして……」
「はい、洗礼がまだなので本当は少し早いのですが……あなたを正式なアンジェラ様の信徒と認め、これを授けます」
神父様がアロアに差し出したのは、金色に輝くアンジェラ神のシンボルだった。そういえば同じアンジェラ神のシンボルでも、アロアのものは銀で神父様のものは金だったと今更ながらに思い至る。
「それじゃあ、私……!」
「これからはアンジェラ様に仕える一人前のシスターとしてよく学び、よく善行に励むのですよ」
「はい! 私、頑張ります! 神父様、ありがとうございます!」
「……やれやれ。次は僕か」
軽く溜息を吐き、クラウスがカウンター裏に向かう。戻ってきたクラウスの手にあったのは、紫色を基調にした美しい花束だった。
「見たことのないお花……! 凄く綺麗!」
「女へ贈り物をするなんて初めてだからな。月並みなもので悪いが」
「ううん、とっても嬉しい! ありがとう、クラウス!」
「そうそう、この花の花言葉は『献身』だそうだ。世話焼きの貴様にはぴったりだろう」
「お、何クラウス。それ口説き文句? お前も密かにアロアちゃん狙ってんの?」
「貴様と一緒にするな、阿呆が!」
「ははは……じゃあ次は俺だな」
茶化してくるランドに真っ赤になるクラウスを尻目に、サークさんがカウンター裏に入る。そうして持ってきたのは、エルナータとランドの丁度中間ぐらいの大きさの白い箱だった。
「ちょっと重い……何かしら?」
「開けてみてくれ。サイズが合うといいんだが」
「サイズ?」
首を傾げながら、アロアが箱を開ける。中には、新品の丈夫そうな革靴が入っていた。
「えっ、こんな高そうなもの……いいんですか?」
「勿論。この間足元を見て思ったんだが、今履いてる靴、もう結構ぼろぼろだろう? ただ目測でサイズを計ったから、ちゃんと合っているかは少し自信がないんだが」
「あ、ありがとうございます! 私、ちょっと履いてみます」
アロアが履いている靴を脱ぎ、貰った靴に足を通す。アロアの足は、まるでアロアの為にあつらえた靴であるようにピッタリと靴の中に収まった。
「凄い! ピッタリです!」
「はは、良かった。よく似合ってるよ」
「何てスマートな……これが……真の大人の男……っ!」
「……まあ、ああいう事だけは妙に上手いんだ。あいつは」
ランドが何故か悔しがり、クラウスが半ば呆れたような視線をサークさんに向ける。……残すは、あと、僕一人だ。
「さって、いよいよトリだな。リト、ビシッと決めろよ!」
「う、うん。ええと、僕のプレゼントは……」
カウンター裏に行き、用意したプレゼントを手に取る。それはランドが贈ったものよりも更に小さい、赤いリボンでラッピングされた掌サイズの箱。
胸の鼓動が早くなるのを感じながら、アロアの元へ戻る。そして手に持った箱を、アロアの目の前に差し出した。
「はい。改めて、誕生日おめでとう、アロア」
「ありがとう、リト。中身は……?」
「うん……とりあえず、開けてみて?」
僕の言葉に従い、アロアがラッピングを解き箱を開く。中から出てきたのは、小さな羽の形の飾りの付いた銀色のブレスレットだった。
「これは……?」
「フェンデルの女の子の間で、最近流行ってるお守りなんだって。その羽の飾りがブレスレットから取れた時心の奥で願ってる事が叶うんだって、お店の人が教えてくれた」
アロアがブレスレットを手に取り、まじまじと見つめる。やがてその顔が、花の咲くように綻んだ。
「ありがとう……私、ずっと大切にする。ずっとずっと、肌身離さず身に付ける」
「ちぇっ、結局リトには叶わないか」
「仕方ないさ。二人の絆は特別だからな」
僕らの様子を見てランドが唇を尖らせ、サークさんがそれに苦笑しながらランドの頭をぽんぽんと撫でる。そのやり取りに、頬が少し赤くなった。
「……あのね、皆」
改めてその場の皆を見回し、アロアが口を開く。その表情は、とても満ち足りたものだった。
「私、村には同年代のお友達っていなかったから。だからこんな賑やかなパーティーを開いて貰った事、今までなかったの。今日は、本当に楽しかった」
そこでアロアは、一旦言葉を切った。そして、パーティーの始まりの時にも負けない満面の笑顔で言った。
「皆、本当にありがとう! 今日は今まで生きてきた中で、最高の誕生日よ!」
皆の顔にも、笑顔が伝染していく。あのクラウスですら、小さく笑みを浮かべていた。
「よし、じゃあエルナータのケーキ食おうぜケーキ! アロアちゃん、まだまだパーティーは終わらないぜー!」
「ランド、アロアが一番おっきいのだからな! それで二番目におっきいのがエルナータのだ!」
「ふん、食い意地の張った奴らだ」
「お前はケーキいらないのか? ならお前の分もエルナータが貰うぞ」
「だ、誰も食わんとは言ってないだろう!」
「はいはい、クラウスの分もちゃんと切り分けてやるからな。主人、包丁をお借りします」
「おお、サークさんケーキ切るの上手いっすね。流石大人の男……!」
「ふふ……良い友人達に恵まれましたね、アロア」
「……はい!」
パーティーは続いていく。皆の、明るい笑顔と共に。
それを眺めながら、僕は、この時間が永遠に続けばいいと心から願った。
――それがどんなに儚い願いだったかなんて、知る由もないまま。
いつものように、空を飛ぶ小鳥達の声で目を覚ます。ゆうべは夜更けまでずっと皆で騒いでいた為、まだ少し頭の中が霞みがかっていた。
隣のベッドのランドは、気持ち良さそうに寝息を立て起きる気配は全くない。僕はランドを起こさないよう物音に気を付けながら、外の空気を吸う為に部屋を出た。
窓から見た朝日が昇ったばかりの空は、まだうっすらと白んでいた。今日もまた、いつものように慌ただしい毎日が始まるのだ。
そう僕が思っていると、何だか外が俄かに騒がしくなってきた。何だろうと、僕は宿の入口から外に出る。
まだ早朝だと言うのに、外には小さな人込みが出来上がっていた。その中央で、誰かが何かを叫んでいる。
「戦争だ!」
耳を澄ますと、声はそう言っていた。戦争? ……どこが?
「グランドラ国がレムリアに宣戦布告した! 戦争が始まるぞ!」
レムリアはこの国だ。グランドラは隣の国。それが、戦争……?
「戦争だ! 戦争が始まるぞ!」
声は何度もそう繰り返す。穏やかだった日常の、終わりを告げるかのように。
――こうして、小さなトラブルはありつつも平和だった日々は唐突に終焉を迎えた。




