第四十三話 蒼き月の夜
「はい、確かに。これで依頼は完了です。お疲れ様でした」
レムリア国王都フェンデルで生活を始めて、もうすぐ一ヶ月。僕はいつものように簡単な依頼を終え、ギルドに報告にやってきていた。
「いつもありがとうございます、ヒルデさん」
「こちらこそ。こういった些細な依頼は、引き受け手も少ないので助かっています」
報酬の入った小さな革袋を受け取り、懐にしまい込む。それを見ていたヒルデさんが、不意に思い出したように言った。
「……ああ、そうそう。リトさん、明日はいつもより早めにギルドに来て下さいね。アロアさんもご一緒に」
「アロアもですか?」
「はい。頼みましたよ」
その言葉を不思議に思ったけど、今日は後ろに人が並んでいてそれ以上何かを聞けそうにはなかった。僕は仕方なく頷いて受付を離れ、次の人に順番を譲った。
(どうしたんだろう、改まって……)
小さな疑問を抱えたまま、僕は皆が待つマッサーの宿への帰路に着いた。
宿に帰ると、まだお客さんのいない食堂の隅っこでランドとエルナータが何やらひそひそと話をしているのが目に入った。近付くべきか僕が迷っていると、ランドの方が先に僕に気付いて無言で手招きをしてくる。
「どうしたの、二人とも?」
「パーティーだ、リト!」
「え?」
キラキラと目を輝かせて言うエルナータに、僕は何の事か解らず首を傾げる。そんな僕の戸惑いを察したように、溜息を吐きながらランドが説明を引き継いだ。
「あー……エルナータから聞いたんだけど、もうすぐアロアちゃんの誕生日なんだってよ。それで誕生日の日の終業後、皆でアロアちゃんの誕生日パーティーをやろうかと思ってさ。とっつぁんには、もう許可は貰ってある」
「アロアの?」
思わぬ情報に、目が丸くなる。そういえば、今年で十五になるとは聞いていたけどちゃんとした誕生日がいつかまでは今まで聞いた事がなかった。
「アロアちゃんも……まあお前もだけど、フェンデルに来てそろそろ一ヶ月になるだろ? 遺跡調査の件で特別報酬も出たし、丁度いいからたまにはパーっと皆で騒ごうかってな。な、エルナータ」
「ああ! おめでたい事はいっぱいお祝いしないといけないんだぞ!」
はしゃぐ二人に釣られて、僕の心も何だかわくわくし始める。アロアの誕生日を皆で祝う……何て、素敵な提案なんだろう。
「うん、とってもいいと思う! ねえ、他にも神殿にいる神父様と、それからクラウスとあともう一人、呼んじゃ駄目かな?」
「え、あいつ呼ぶのか? エルナータは嫌だぞ」
「まあまあ……ああ、あいつアロアちゃんとも知り合いだったみたいだしな、いいんじゃねえの? こういうのは賑やかな方がいいからな」
「解った、じゃあ僕から三人に話をしてみるよ。クラウス達が泊まってる宿の場所はこの前聞いたし」
「ちぇー……あいつも来るのかー……」
途端にテンションが下がったエルナータに苦笑しながら、僕はいずれ来る当日に想いを馳せる。皆で誰かを祝って、皆で思いきり騒いで……それは、僕自身記憶を無くしてから初めて経験する事。
記憶を無くす前の僕も、誰かをこうして祝っていたりしたのだろうか。久しぶりに、そんな事を考える。
今も戻る事のない記憶。その中で、皆と一緒に大切な誰かを祝っていた自分を想像してみる。
「おっと、この事はアロアちゃん本人にはまだ内緒だからな! 解ったか? 特にエルナータ!」
「大丈夫だ! お口にチャックだぞ!」
けれどその想像はすぐに、今の仲間達とアロアの事を祝う姿に置き換わっていったのだった。
食堂に来ていた泊まり客でない最後の客を送り出し、閉店の看板を出しに外に出る。空を見上げると、いつもとは違う美しい蒼い月が静かに辺りを照らしていた。
「そっか……今夜は蒼い月の夜か」
蒼い光が降り注ぐ夜空を、じっくりと見つめる。村で目覚めてから見る二度目の蒼い夜空は、病的なまでに冷たく美しく思えた。
「リト、どうしたの?」
その声にハッと振り向くと、いつの間にかアロアが後ろに立っていた。僕がなかなか戻らないので、様子を見に来てくれたのだろう。
「ああ、いや、今日の月は蒼いなって」
「そうね。あの森でリトを見つけて、もう二ヶ月が経っちゃうのね」
僕らは並んで、蒼い月を見つめる。暫く無言でそうしていたけど、ぽつりとアロアが言った。
「私ね。あの森でリトを見つけた時、予感がしたの。大きな何かが始まるような予感」
「何かって?」
「それは解らないけど……でも、私、今になってあの予感は間違ってなかったんだって思うの」
アロアが僕の方に視線を向ける。僕もまた、アロアをじっと見返した。
「リトと一緒にいれば、これからももっと色んな事が起きる気がするの。楽しい事もあれば、辛い事だってあるだろうけど。でも、リトと一緒ならきっと乗り越えられる」
「アロア……」
「だから……これからもずっと一緒にいさせてくれる?」
上目遣いに、アロアがそう問い掛ける。それに対する答えは、もうとっくに決まっていた。
「勿論だよ。アロアがいるから、僕も頑張れるんだ」
「嬉しい……ありがとう、リト……」
「おーい、二人でずっと何してんだー? いちゃついてる暇があるなら片付け手伝えっつーの!」
その時宿の中から、ランドの呆れたような声が聞こえてくる。僕らはみるみる赤くなり、同時にばっと顔を逸らした。
「も、戻ろうか」
「う、うん。あんまり長く外にいて、また記憶が無くなっちゃったら大変だもんね」
急いで閉店の看板をかけ、宿に戻る。赤くなった顔は、暫く元に戻る事はなかった。




