第三十八話 未知なる蟲
フェンデルを出て三日。僕らは大きなトラブルに見舞われる事もなく二つ目の宿場町を出発し、街道から外れたデュマの町へと続く道を歩いていた。
クラウスの口数は相変わらず少なめだったけど、初日のあの余裕のなさは大分薄れていた。だから僕も敢えて、今は多くを語らない事にした。
道はやがて、森の中へと続いていく。同じ森でもタンザ村の近くの森はどこか爽やかで清浄な雰囲気だったのに、この森はいやに木が鬱蒼として際限なく伸びた枝葉が太陽の光を遮り、何だか不気味な場所に思えた。
「……嫌な雰囲気だな」
僕と同じ印象を持ったのか、眉根を寄せクラウスが呟く。それはもしかしたらこの辺りで起きているという事件の凄惨さがそういう印象を植え付けているのかもしれないけど、そう思ったところで一度根付いた不気味さが払拭される訳ではなかった。
森の道を、暫く無言で歩く。と、僕らの足が同時にぴたりと止まった。
「リト」
「……うん」
目配せし合い、どちらからともなく背中合わせの格好になる。辺りに響く、枯れ枝を踏む乾いた音。自分の気配を、まるで隠そうともしない。
間もなく、うらぶれた格好の男達が十数名、木々の隙間から姿を現す。服は所々が黒ずんでいて、持っている剣も軽く錆が浮いている。それが何故なのか考えて、僕は酷く気分が悪くなった。
「……殺す……」
譫言のように、先頭の男が呟く。不格好な伸ばしかけの髭面に、どこか虚ろで焦点の合っていない目。ふらふらとしたおぼつかない足取りは、まるで酒にでも深く酔っているかのようだった。
よく見ると、様子がおかしいのはその男だけじゃなかった。こちらに向かってくる男達は皆一様に、虚ろな眼差しを僕らに向けていた。
恐らくはこの男達が討伐対象の盗賊団なんだろうけど……何かが妙だ。まるで、全員揃って気でも違ってしまっているかのような……。
いつでも動けるようにと身構える僕らに対し、男達はゆっくりと包囲を狭めてくる。そして。
「殺す……コロス……コロスコロスゴロズエアアアアアアアア!!」
「っ、煌めけ、剣よ!」
「『我が内に眠る力よ、雷に変わりて敵を撃て』!」
狂ったような絶叫と共に剣を振りかざし向かってくる男達を、僕は剣で、クラウスは雷でそれぞれ迎え撃った。
僕の剣が一人の男の肉を断ち、骨を砕き、心の臓を貫く。その慣れる筈もない感触に思わず顔をしかめながら、僕は力を失った男の体を思い切り足で押しやり、剣を引き抜いた。
「グワオオオオオオオオッ!!」
そこに二人の男が左右から剣を振りかぶり、僕の頭を叩き割ろうとする。僕はすぐに後ろに飛びのいてそれを紙一重でかわし、着地と同時に腰を深く落として地面に強く踏み込み、剣を水平に半回転させて二人の腹肉と臓物を同時に切り裂いた。
「ヴア……ア……」
「ちいっ……邪魔だ!」
その声に振り返ると、クラウスが杖を振るって一人の男の剣を弾き返しているところだった。接近戦も出来たのかと、僕はついつい状況も忘れて感心の視線を送る。
「イヒヒィ……皆殺しだあ……みんなごろろろろろろろっ!!」
余所見をした僕に、不気味な笑い声と共に錆び付いた刃が迫る。それにすぐに気付いた僕は、体を回転させ、下から掬い上げるように自分の剣を力一杯相手の剣に叩き付けた。
鋭い音と共に相手の剣が舞い、近くの枝に突き刺さる。丸腰になった相手の男に、僕は握り手を変え、足を踏ん張り今度は逆に体を捻って肩から逆側の脇腹にかけて全力で剣を降り下ろした。
「そろそろ終わりにしてやる。『我が内に眠る力よ』……」
呪文を詠唱するクラウスの杖の先端に、激しい雷が渦巻いていく。クラウスが上手く立ち回った為か、残りの男達は全員クラウスの正面に集まっていた。
「『雷に変わりて……敵を撃て』!」
そして、杖からほとばしる特大の雷の嵐が男達の群れを貫いた。
「……ふう。片付いたか」
額の汗を拭い、クラウスが大きく息を吐く。僕らに襲い掛かってきた男達は全員地面に倒れ伏し、もう起き上がってくる様子はなかった。
「……何だったんだろう、一体。皆、正気とは思えなかった……」
「解らん。とにかくこれで、依頼は完了という事だな」
クラウスの言葉に、もう一度辺りを見回す。森は一部の木がクラウスの雷の余波で焼け焦げた程度で、今はもうシンと静まり返っている。
「でもクラウス、ちゃんと雷の威力セーブするようにしたんだね。この間までのクラウスなら、敵と一緒に森まで焼いちゃいかねなかった……クラウス?」
気を取り直す為にとわざとクラウスをからかう言葉を口にしかけて、気付く。……クラウスの視線が、男達の方を向いたまま固まっている。
どうしたんだろうと、僕も男達を見る。そこで僕は、異様なものを目にした。
それは、細長い蟲だった。体色は黒で、所々に大きな黄緑の斑点が浮かんでいる。その蟲は百足のような沢山の細かい足をざわざわと動かしながら、びくびくとのたうち回っていた。
問題は、蟲のいる場所だ。蟲は倒れている男達の死体の口の中から、ぞろぞろと這い出てきているのだ。その光景は襲い掛かってきた時の男達の様子よりももっとずっと、異常なものに思えた。
「そんな、まさか……じゃあ、あの本が確かなら……」
蟲を見つめるクラウスの顔が、みるみるうちに青ざめていく。その表情の変化に何か嫌な予感がした僕は、大声でクラウスに問い掛けた。
「クラウス! 何か気付いたの? 答えて!」
僕の声に、クラウスははっと我に返ったようだった。振り向いたクラウスは酷く焦った様子で、すぐに町へと続く道の先に視線を遣る。
「リト、デュマの町へ急ぐぞ。僕の予測が当たっていれば……町の人間達が危ない!」
そう言って全力で駆け出すクラウスを、僕もまた全力で追った。




