第二十三話 孤独の月夜
それからは何事もなく、宵の口を少し過ぎた頃に僕らは宿場町ガンドルに辿り着く事が出来た。雨と幽霊騒ぎに体力を奪われた体は、宿に着く頃にはもうすっかりへとへとになっていた。
サークさんはあれからずっと、クラウスと何かを話し合っている。何を話しているのか気にはなったけど、その真剣な様子から間に割って入るのは何だか躊躇われた。
部屋割りは僕と神父様、クラウスとサークさん、そしてアロアがそれぞれ一部屋ずつという事で落ち着いた。女の子を男性陣と一緒の部屋に泊める訳にはいかなかったし、お互いに慣れた相手と一緒の方がいいだろうという事で、異論は特に上がらなかった。
「はあ……旅って大変なんですね、神父様」
指定された部屋に入り、荷物を床に置くと僕はベッドの上にごろりと横になった。神父様もよいしょと、隣のベッドに腰を下ろす。
「そうですね。私も一年に一度、年の始めに王都に行くぐらいですから」
「何をしに行かれるんですか?」
「去年一年、無事に過ごせた事への感謝の祈りを本神殿のアンジェラ様の像に捧げに行くのです。このレムリア国の王都フェンデルは、アンジェラ教の総本山ですから」
「へえ……」
その話は初めて聞くので、僕は思わず関心の声を上げる。アンジェラ教は、この国の国教みたいなものなのかもしれない。
「アロアも、一緒に王都に行ったりしてたんですか?」
「いえ、あの子はまだ見習いなので……丁度今年で十五になり成人を迎えるので、来年から連れていこうと思っていたところでした」
「見習いでも、聖魔法は使えるものなんですか?」
「特別に教えれば。本来ならば洗礼前の教徒に無闇に聖魔法を教える事はあまり奨励されないのですが、あの子は熱心で才能もあり、つい私も教えてしまったのです」
言われて、廃村で二人がターンアンデッドを使った時のあの目映い光を思い出す。確かに神父様と一緒に行ったとは言え、あれは並の人間に出せる力じゃないと僕は納得した。
「二人とも、ご飯を食べに行きましょう。サークさん達は先に行ってるって」
その時、ノックの音と共にアロアの声がした。僕は重い体を起こすと、話を切り上げ神父様と共に部屋を出た。
その深夜。僕はなかなか眠る事が出来ないまま、一人天井を見上げていた。
浮かぶのは、ここ数日の間に起こった様々な出来事。火を吹く魔物の脅威、自在に姿を変える腕輪、初めて人を殺した事、そして廃村での悲しい一時……。
色んな事が、脳裏に浮かんでは消える。これから先、どんな事が僕を待っているのだろうか。僕の記憶は、本当に戻るのだろうか。
「……水でも飲んでこよう」
だんだん自分の考えが悪い方に行っている気がして、それを振り払う為に僕は起き上がった。そしてすやすやと寝息を立てる神父様を横目に見ながら、部屋の扉を開けた。
「あれ?」
部屋を出てすぐ、僕は廊下の角を曲がる人影に気が付いた。見間違えようのない、綺麗な栗色の長い髪。
「……アロア?」
こんな夜中に、一体どこに行くのだろう。心配になった僕は、アロアの後を追いかける事にした。
アロアは足早に食堂を横切り、入口から外に出る。僕もアロアを見失わないよう、それに続いた。
月明かりの中、宿の裏手に回ったところでアロアの足が止まった。僕が声をかけるべきかどうか悩んでいると、微かに啜り泣く声が聞こえ始める。それがアロアのものだと解ったのは、こちらに背を向けたアロアが小さく震えているのが見えたからだった。
「……よ」
ぽつり、アロアが何かを呟いた。もっとよく聞こうと、僕は耳を澄ませる。
「会いたいよ……寂しいよ……お父さん、お母さん……!」
アロアは繰り返し、そう呟いて泣いていた。静かな月の光が、一層アロアを孤独に見せていた。
……アロアはきっとずっと、こうやって一人で泣いていたのだ。死んだ両親を今でも想う弱い自分を、誰にも見せないようにして。
今すぐに飛び出して、アロアを抱き締める事は簡単だった。けれどそうすれば、きっとアロアは泣けなくなってしまうだろう。誰かの前で泣けないからこそ、こうして一人隠れて泣くしかないのだから。
僕はアロアに背を向けた。今僕に出来る事は、いつかアロアが両親を失った辛さを自分で乗り越える日までそっとしておく事だと思った。
勿論いつもは、アロアの側でアロアを守る。けれどアロアが泣きたくなった時だけはそっと遠くから見守ろう、そう思った。
静かな夜、アロアの微かな泣き声だけがいつまでも耳に残っていた。




