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蒼月の交響曲  作者: 由希
第三章 世界の決断
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第百三十一話 決断の時

 ――遠くで、誰かが呼ぶ声がする。


 全身が、何かに包まれているように温かい。その心地好さに、夢の中なのに微睡まどろんでしまいそうになる。

 ……夢? そうか、僕は夢を見ているのか。

 滅びた筈の魂でも、夢を見れる。それはささやかな幸せなのかもしれない……。


『目を覚まして――リト!』


 そう考えていた僕の耳に。祈るようなそんな声が届き、僕の意識は急浮上を始めた。



 重い瞼を、ゆっくりと開ける。目に飛び込んできたのは、涙に濡れた目で僕を見つめるアロアの顔。


「リト……良かった、目を覚ました……!」


 目の前のアロアの顔が、みるみる笑顔に変わっていく。……僕は、まだ、夢を見ているんだろうか?


『意識を取り戻したようですね、レクス』


 僕が困惑していると、アロアの向かい側から誰かの顔が覗き込んでくる。それは、相変わらず瞳を閉じたままのアンジェラ様だった。


「アロアに……アンジェラ様。という事は、僕は……」

「お前な! むちゃくちゃヤバいとこだったんだぞ!」


 この声はランドだ。良かった……無事だったんだ。


「俺らが駆け付けるのがあとちょっと遅かったら、お前、魂ごと消滅しちまうとこだったんだぞ! そりゃ、お前なら必ず勝つって信じてたけどさ!」

「貴様も大概死にかけだっただろうが。人の事を言えるか」

「なっ……それを言うならお前だって!」


 そこにクラウスの声が割り込んで、辺りは一気に賑やかになる。その様子に、僕は自分が確かに生きてここにいるのだと実感した。

 左腕を持ち上げ、視界に映す。失った筈の左腕は、すっかり元通りになってそこに存在していた。


「良かった! 皆生きてて!」


 そんな僕にぎゅっと抱き付き、エルナータが満面の笑顔を見せる。そこで僕は……ある事に気が付いた。

 今僕は床に横たえられているらしく、体が感じる感触は固く冷たい。けれど頭の感触だけは、柔らかくて温かい……。

 これって……もしかして、膝枕……。


「ごっ、ごめん! 今起きる!」


 それを認識した僕は慌てて跳ね起き。直後、体に走った激痛に再び崩れ落ちる事となったのだった。



 辺りを見回すと、そこはアンジェラ様が眠っていた部屋だった。そうか……僕らは地上まで戻ってきたのか。

 僕の体の痛みが落ち着き、問題なく立てるようになり。そうしてからやっと、アンジェラ様は語り始めた。


『……原初の神々は、皆力を失いました。彼らが蘇る事は、もう二度とないでしょう』

「それってつまり、もう魔物が生まれてくる事もなくて、世界が平和になったって事っすよね!? よっしゃあ! 俺達世界を守ったんだ!」

『いいえ……そうとも言い切れません』

「へ?」


 喜びの声を上げるランドに、けれどアンジェラ様は首を小さく横に振る。戸惑う僕らに、アンジェラ様はこう続けた。


『世界を滅ぼそうとする原初の神々は、確かにこの世から姿を消しました。けれど、人間同士の争いまでなくなった訳ではありません。それに……神が私一人となった事で世界のバランスがこれからどうなっていくのか……それは私自身にも解らないのです』

「そんな……」


 脳裏に、ウルガル神の最期の言葉が蘇る。ウルガル神は自分の死が、混沌の時代の幕開けだと言った。

 僕らのした事は間違っていたのか? 人間は、世界は滅びるべきだったのか――?


『――ですが』


 そんな僕らの心を見透かしたかのように、アンジェラ様が笑みを浮かべる。慈愛に満ちた、柔らかい笑みだった。


『私の力を借り、神の武器を持っていたとしても神々に創造された存在が創造主たる神々を倒す……あなた達は、私に無限の可能性を見せてくれました。私も勿論世界を見守り続けますが、これから世界がどう変わっていくか……それは総て、世界に根差すあなた達地上の生物の手に委ねられたのです。私は信じています。人間がいつか変わる事を。あなた達の作り出す、平和な世界を……』

「アンジェラ様……」


 僕らは互いに顔を見合わせる。きっと、そこに宿る思いは一つだ。

 人間も、エルフも、ドワーフも、もしかしたら生き残った優しい魔物も……皆が心から笑う事の出来る世界を作る為、力を尽くそうと。


『私は蒼き月に昇り、そこから世界を支えます。蒼き月はウルガルが作った、生物の記憶を神々の力へと変換する装置。私が内側からその力を抑えれば、もう蒼き月に生物が記憶を奪われる事はないでしょう。ですがその前に――レクス』

「は、はい」


 突然名を呼ばれ、僕は慌ててアンジェラ様に向き直る。アンジェラ様は閉じた瞼の向こうから真っ直ぐに僕を見つめ、真剣な表情になって言った。


『あなたは今ここで決断しなければなりません。このままこの時代で生きるのか、それとも――元の時代に戻るのかを』

「……え?」


 その言葉に僕は、虚を突かれたようになって固まった。



 まじまじと、アンジェラ様の顔を見返す。心臓が早鐘のように、早くうるさく鳴り響く。

 戻れる。元の時代に。もう会う事は叶わないと思っていた父さん達に、もう一度会える……。


『一度元の時代に戻れば、もう私の力ではこの時代に再び送る事は出来ません。そして私がこのまま蒼き月に昇ってしまえば、やはりあなたを元の時代に戻す事は出来なくなります。あなたが決めるのです。これから、どちらの時代で生きていくかを』

「リト、エルナータはリトにもう二度と会えなくなるなんて嫌だぞ! エルナータ達と一緒にこの時代で暮らそう!」


 眉を八の字に下げたエルナータが、僕にしがみつきそう訴える。皆の顔を見渡すと、全員が一様に離れがたいという表情をしていた。

 暫しの間、無言で葛藤する。そして、僕は決断した。


「……元の時代に戻ります。元の時代には、まだまだやらなきゃならない事が沢山あるから」

「……そうか。寂しくなるな」


 始めにそう言ったのはクラウスで。素直に吐露されたクラウスの感情を、いつもみたいに誰かがからかう事はなかった。


「行っちまうのか、リト……向こうに戻っても、俺らの事忘れないでくれよな! ……って、あれ、何か涙が……」


 ランドが溢れる涙を手の甲で拭いながら、それでも笑ってみせる。その涙に、これまでの楽しい思い出が蘇ってくるのを感じた。


「未来だったらまた生きて会える可能性はあったが、過去は流石に無理だな。……元気でな。無事を祈ってる」


 サークさんが、苦笑を浮かべながら優しい目を僕に向ける。年長者のサークさんには、特に色々とお世話になった。


「リト……」


 エルナータは、ずっと泣きそうな顔で僕を見ている。人とは体の造りが違うエルナータは、この先どんな未来を描いていくのだろうか。


「……」


 アロアはじっと僕を見つめたまま、何か言いたげな顔をしている。そんなアロアを見つめ返し、僕は言った。


「……最後に少しの間だけ、アロアと二人きりにさせて貰っていいかな? ……アンジェラ様、いいですか?」

『ええ。私達は隣の部屋で待っています。悔いの残らないよう、しっかりと話し合って下さい』


 アンジェラ様が頷き、皆を連れて隣の部屋に移動する。部屋にアロアと二人きりになると、まず口火を切ったのは僕の方だった。


「どこから話せばいいのかな……アロア、アロアは気を失っていたから知らないと思うけど、僕は本当は千年前の人間で……」

「知ってる」

「え?」

「本当は気が付いてたの。リトが、昔の記憶を取り戻した時には」


 その告白に、僕は驚く。気が付いていたなら何で、ずっと気を失ったフリを……。

 僕の戸惑いが伝わったのだろう。アロアは俯き、肩を震わせながら続けた。


「怖かったの。目を開けて、リトの顔を見たら私、行かないでって言っちゃいそうだったから。でなかったら、私も行くって言っちゃいそうだったから。リトのやるべき事を邪魔したくなくて、足手纏いにもなりたくなくて、そう思ったら、目を開ける事が出来なくなったの」

「アロア……」


 アロアの思いに、胸が詰まりそうになる。もしも僕がアロアの立場だったら、同じように自分の思いを抑える事が出来ただろうか。


「待ってる間、ずっと不安だった。リトが、皆が二度と帰って来ないんじゃないかって怖くて仕方なかった。皆が傷だらけで帰って来て、リトが死にかけてる姿を見た時は、私もショックで死んじゃうんじゃないかって思った……」

「でも……僕は生きてる。生きて、ここにいる」

「うん……そしてまた、新しい戦いに向かおうとしてる。今度こそ、本当に手の届かない場所へ……」


 怖々と、アロアの顔が上げられた。その瞳は濡れていたけど、もう僕から逸らされる事はなかった。


「本当は、行かないで欲しい。ずっと側にいて欲しい。けど、それは我が儘だから。リトを産まれてからずっと側にいた人達と引き離す事になっちゃうから。だから、私、笑っては無理だけど、笑ってお別れなんて出来ないけど、だって、私、リトの事……」


 アロアの目から、堪えきれない涙が溢れた。それはとても透明な、美しい涙だった。

 そこで僕は、やっと認識する。自分がアロアに対して抱いていた、思いの正体を。


「……好きだ」

「え?」


 形になった思いを言葉にすると、アロアの目が大きく見開かれた。僕はそんなアロアに、精一杯の微笑みを返す。


「僕は、アロアが好きだ。一人の女の子として、お嫁さんにしたい相手として、アロアが好きだ。だから、絶対に忘れない。遠い未来、そこに、誰よりも大好きなアロアがいるって事」

「リト……私も、リトが好き。誰よりも何よりも、リトが大好き……!」


 気が付けば、僕らは自然と抱き合っていた。腕から、胸から伝わってくる温もりが、とても尊いものに思えた。

 忘れない。この時代で出来た友達の事、そして、大好きなアロアの事。どんなに時が流れても、絶対に。


「……神の刃よ、一度ひとたびの眠りに就け」


 どのくらいそうしていただろうか。僕は未練を振り切るようにアロアから体を離すと、父さんから教わった『神殺し』を外す言葉を口にした。

 右腕から『神殺し』が消え、腕輪の形のまま掌の上に収まる。それを僕は、そっとアロアに差し出した。


「これはアロアが持っていて。元の時代に持って帰れば、これは間違いなく争いの元になる。そうならないよう、アロアに託しておきたいんだ」

「……解った。大切に持ってる。ずっとずっと……」

「ありがとう。……離れていても、いつもアロアを想うよ」

「私も。離れていても、いつもリトを想う」


 アロアが『神殺し』を受け取り、大切に抱え込む。それに安堵した僕は、隣の部屋のアンジェラ様の方に振り返った。


「お待たせしました。……いつでも行けます」

『解りました。……レクス、私の元へ』


 こちらに歩み寄るアンジェラ様の動きに合わせ、僕もアロアから完全に離れてアンジェラ様に近付く。そして中央でアンジェラ様と向かい合わせになると、ゆっくりと目を閉じた。

 体中を、温かい光が包み込んでいく。この時代で出会った皆の、そしてアロアの顔が、瞼の裏に次々と浮かんでくる。


「皆! ……ありがとう!!」


 最後に心からの感謝を叫び。僕の意識は、次第に暗転していった。

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