第百二十六話 神をも貫く意志
巻き起こった水が幾つもの槍の形になって、俺とエルナータを狙い放たれる。俺達は分散する形で何とかそれをかわしていくけど、床を見て着弾点に小さいけど穴が空いている事に気付き思わずゾッとする。
だってこの塔の壁や床は、これまで俺達がどれだけ暴れたって傷一つ付く事はなかった。あの水、まともに喰らえば命がない……!
「このっ!」
エルナータが攻撃が途切れた隙を見計らい、床を蹴って飛び上がりユノキスに特攻を仕掛ける。だけどその時ユノキスの纏う水がうねり、分厚い水の壁となってエルナータの行く手を阻んだ。
「負けるか!」
それでもエルナータは果敢に、髪を一振りの大きな刃に変えて水の壁を切り裂こうとする。水の壁はそんなエルナータを包み込むように蠢くと、そのままエルナータの体を丸ごと飲み込んでしまった!
「がぼ……っ!」
「エルナータ!」
水の壁の中でエルナータはもがくが、幾らエルナータが中から切りつけても貫いても水の壁が壊れる様子はない。このままじゃやべえ。俺がエルナータを助けねえと……!
エルナータに近付こうと動き出す俺に、水の壁から生まれた槍が撃ち出される。その雨に逆らうように動く俺の腕や足の肉を、完全にはかわしきれなかった槍が削ぎ取っていく。
痛みと血の流しすぎで目が少し霞んできたが、ここで倒れたら終わりだ。俺は何とか水の壁の真下まで辿り着くと、エルナータごと水の壁を吹き飛ばすように竜巻を起こした!
「おらあっ!」
流石の水の壁も、竜巻の勢いには勝てずに散り散りに吹き飛んでいく。エルナータも一緒に巻き上げられ床に激突したが、その痛みより水の拘束から解き放たれた開放感の方が強かったみたいで、よろよろとうつ伏せに身を起こすとごほごほと咳き込みながら水を吐き出していた。
「ごほっ、げほっ! ありがとうランド、助かっ……げほっ!」
「いいって、あんな助け方しか出来なくて悪ぃ!」
『随分と無茶をするものだ。もっとも寿命が少々伸びただけに過ぎないが』
新たな水の壁を生み出しながら、ユノキスが俺達を見下ろす。あの澄ました面をぶん殴ってやりたいが、迂闊に近寄ればあの水の壁に取り込まれるだけ……くそ、どうすりゃいい!?
『私の水を破る事は、例えウルガルにだって出来はしない。いずれはウルガルすら下し、私が世界の総てになってみせよう』
そう笑うユノキスは、自分の勝利を信じて疑っていない様子だ。付け入る隙があるとしたら、この自尊心の高さしかなさそうだが……。
考えているうちに、再び水の槍の雨が俺達を襲う。俺は致命傷だけは避けるように動きながら、この戦いの光明になるものはないかじっとユノキスを守る水の壁を観察する。
水の壁は、どうやら攻撃をしている間だけは僅かにだが層が薄くなるようだ。だがそれも短い間だけで、攻撃が途切れればすぐに水が補充されちまう。
つまり向こうが攻撃してる最中にこっちの攻撃を当てられれば……。でもそれをどうやる? 真っ向から向かっていけば、水の槍に撃ち抜かれちまうのがオチだ。
こんな時、皆ならどうする。頭のいいクラウスなら、経験豊富なサークさんなら、ここぞという時は絶対間違えないリトなら!
俺とエルナータに今出来る事、あいつの攻撃パターン。全部を合わせた最適解は……!
ふと、俺は床に目を遣る。あるのは動きを停止した、無数の偽エルナータの亡骸ばかり……。
……待てよ? これ、使えねえか? 上手くいく確率は高かねえが……こうなったら賭けるしかねえ!
「おい、ユノキスさんよ! 随分と自信たっぷりな割にゃ未だに俺ら二人を仕留められないなんざ、神なんて名乗ってても大した事ぁねえな!」
『……何だと……?』
「ランド!?」
突然挑発の言葉を口にし始めた俺に、エルナータが驚きの視線を向ける。ユノキスはと言えば、攻撃の手を止めこめかみを震わせている。
「あんたは自分をウルガル以上だっつってるが、どうだかな。ウルガルどころか、神様ん中で一番弱いのあんたじゃねえのかよ?」
『人間の分際で……私を、愚弄するか……!』
いいぞ、挑発に乗ってきた。馬鹿にし切ってる相手に馬鹿にし返されりゃ腹が立つのは、人間も神様も一緒ってとこか!
「まあ、俺とエルナータ二人に全滅させられる程度のポンコツ用意して粋がってた辺り、学問の神って肩書きも怪しいくらいの頭の悪さだけどな!」
『……!』
俺のとどめの一言で、遂にユノキスから表情が消えた。同時に水の壁の周りに、幾つもの大きな水の球が生み出される。
『……初めてだ、このような屈辱は』
俺達を見つめる、その蒼い目にたぎるのは冷たい怒り。俺はそれにビビった風を装い、エルナータに近付き小声で作戦を告げる。
エルナータは俺の意図を察し、それに小さく頷くだけの返事を返した。そんな俺達のやり取りなんてお構い無しという風に、ユノキスがおもむろに右手を上げる。
『神の怒り、存分に味わいながら……死ね』
ユノキスが手を降り下ろすと水の壁と水の球、それぞれから生まれた槍が俺達の方を向き、一斉に降り注ぐ。そのタイミングに合わせるように俺は、竜巻を起こして床に転がる偽エルナータ達の亡骸を勢い良く巻き上げた!
『我が下僕を盾にするか。無駄な足掻き!』
その言葉通り、水の槍は巻き上げられた偽エルナータ達を次々貫き貫通していく。だが――俺の狙いは、それだけじゃない。
『それにしても下僕達のせいで、奴らがよく見えん。まああの量の水から逃げられる筈も……!?』
ユノキスの呟き声が、途中で止まる。そりゃそうだ。偽エルナータの渦の中から、いきなり猛スピードで俺が飛び出してきたんだからな!
俺の狙いはこうだ。地面に転がっていた偽エルナータ達を竜巻で巻き上げ、向こうからこっちを確認出来なくするついでに槍の威力も出来るだけ削いでおく。
後はエルナータにユノキスの方に投げ飛ばして貰い、威力の弱まった水の槍の軌道を自分に纏わせた風の壁で逸らしたって寸法だ。偽エルナータにぶつかった水の槍の威力が弱まる保証も、それを風の壁で逸らせる保証もない神頼みと言ってもいい作戦だったが……どうやらアンジェラ様っていう勝利の女神は俺に味方してくれたようだ!
『ふん……だが! その程度の風でこの水を貫けると……』
「風よ、集まり二重の層になれ!」
『何だと!?』
そこで俺は竜巻に使っていた風を解き、その分を自分の防御に回した。アンジェラ様に力を貰った今だから、ダガー一本分の精霊の力でも竜巻を起こせたんだ。
一気に厚くなった風の壁が、対照的に薄くなった水の壁を蹴散らしていく。ユノキスを守るものは、もう何もない!
「うおおおおおおおおおっ!!」
俺は固く握り締めた拳で、思い切りユノキスの顔面を殴り付けた。拳をもろに喰らったユノキスの体が傾ぎ、そのまま床に叩き付けられる。
へっ、どうだ……。俺の魂の一撃、喰らわせてやったぜ!
『よくも……よくもこの私の顔を……!』
殴られた頬を押さえ、俺を睨み付けながら立ち上がろうとするユノキスの姿が流れていく視界の中に映る。おいおい神様……いいのかい? 俺ばっかり見てて、さ?
その答えはすぐに出た。ユノキスのすぐ近くまで接近した影によって。
「てやああああああああっ!!」
『!!』
倒れたままのユノキスに、エルナータが飛び掛かった。千切れかけの左腕をぶらぶらと下げながらもその闘争心は衰えずに、残った髪をまるで針鼠みたいにしてユノキスを串刺しにしようとする。
『は、早く水を……!』
「遅いっ!!」
ユノキスは急いで水を集めようとしたが、一歩遅かった。エルナータの髪はユノキスの全身を隈無く貫き、この死闘の決着は着いたのだった。
「……あー、もう一歩も動けねえわ、俺」
全身から血を垂れ流している上にエルナータに自分をぶっ飛ばさせた衝撃も加わって、すっかり力尽きた俺はそのまま床に体を投げ出す。勝ったはいいけどこのまま死ぬかもな、なんて、そんな事を妙に冷静に考えたりする。
「情けないぞ、ランド! ならエルナータだけでもリト達の所へ……あれ……」
そんな俺を叱咤したエルナータも、突然その場にがくりと膝を着く。考えてみれば当たり前だ、エルナータの今の怪我の具合は人間だったらとっくに死んでるレベルのものだ。
「あれ、あれ、上手く体が動かないぞ?」
「そりゃそうだろ。腕千切れかけてんだぞ、腕。痛くねえのか?」
「ちょっと痛い。でも平気だ!」
「……便利な体してんなあ……」
つい溜息を吐きながら、天井を見上げる。……先に行った皆は、無事でいるだろうか。
きっと負ける事はない。それは信じている。なら、俺達が今出来る唯一の事は――。
「……あとちょっと休んだら、上に向かうぞ、エルナータ」
「皆を助けに行くのか?」
「違う。無事な姿を見せに行くんだ。きっと今頃は同じように戦いに勝った、あいつらにな」
そうだ。こんな所で死んでられねえ。帰るのに誰か一人でも欠けちまったら、それは本当の勝ちじゃねえ。
めちゃくちゃ痛ぇし、怠ぃし、意識もちょっと怪しいけど……。最後の一踏ん張りだ、俺!
「さあ、エルナータ。皆を迎えに行くぞ!」
「ああ!」
重い体を何とか起こし、エルナータと顔を合わせると、俺達はどちらからともなく笑い合っていた。