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蒼月の交響曲  作者: 由希
第三章 世界の決断
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第百二十話 神の目覚め

 ――総ての動きが、まるで水の中を掻き分けるかのように遅くなったように感じた。

 目を見開き、胸から血を噴き出しながら後ろ向きに倒れていくサークさんも。それを目の当たりにしたアロアの、絹を割くような悲鳴すらも。

 サークさんが床に倒れる音で、世界は元の速度に戻る。ゆっくりと背後を振り返ると……上半身だけを起こし、指先をこちらに向けたエンドラの姿があった。


「くそっ……『竜斬り』が、よくも邪魔を……!」

「……っ、貴様あああああっ!! 『我が内に眠る力よ、雷に変わりて敵を撃て』!!」


 激昂の叫びを上げ、クラウスが今まで見た事もないほどの巨大な雷を放つ。最早瞬間移動する力も残っていなかったらしいエンドラはその雷に全身を飲まれ、雷の収まった後にはただ人型の黒い塊が残っているだけだった。


「サークさん! サークさんっ……!」

「サーク、しっかりしろ! 死んじゃ駄目だ!」


 アロアがすぐに起き上がってヒーリングに入り、エルナータもサークさんの体にすがり付く。僕は目の前で起きている現実が受け入れられず、ただ呆然とサークさんを見つめるしか出来なかった。


「……はは。一緒にかわすつもりが、ドジっちまった……な」

「サーク!」


 微かに目を開け弱々しく苦笑するサークさんに、クラウスが駆け寄る。そしてその脇に跪き、サークさんの血塗れの手を取り強く握った。


「サーク、気をしっかり持て、サーク!」

「クラウス……悪ぃな。もう、お前の側に……いてやれなくなっちまった……」

「何を言っている! お前は僕の側にずっといるんだ! 生きてこれからもずっと!」


 クラウスの目から涙が溢れ、握った掌の上に落ちる。それを見たサークさんが、困ったような笑顔を浮かべた。


「参ったな……泣くなよ。お前は……もう、一人前だ。俺がいなくても……一人で、やっていける……」

「嫌だ! 僕にはまだお前が必要だ! いつも見守ってくれるお前がいなきゃ駄目なんだ! なあ、僕達は相棒なんだろう!? その相棒の僕を置いて逝くなんて、絶対に許さない!」


 こんな風に、クラウスが感情を剥き出しにして泣き喚くところを僕も、誰も見た事がなかった。それが僕らの知らない時間を共に歩んできた二人の絆を感じさせて、酷く胸を締め付けられる思いだった。

 僕は……僕は無力だ。サークさんが死の淵に瀕して初めて気付く。色々なものを犠牲にしながらも僕がここまで走ってこれたのは……その総てとの関わりが、それほど深くなかったからだったんだと。

 だって今僕を苛む胸の痛みは、今までの非なんかじゃない。タンザ村を失った時よりなお深い。既にいる事が当たり前になっていた人が、今この世から消えようとしているという苦しみ――。


「サーク、目を開けろ! 返事をしろ! アウスバッハの跡取りでも英雄の息子でもない僕を、最初に見つけてくれたのはお前なんだ! お前がいなかったら、僕はこれからどうしていけばいいんだ! なあ!」

「エルナータもサークがいなくなるのは嫌だ! 死ぬなんて絶対絶対許さないからな!」

「サークさんっ……畜生! 俺らには何にも出来ねえのかよっ!」


 いつしか瞳を閉じ、血の失せた顔で今にも止まりそうな弱々しい呼吸を繰り返すだけになったサークさんを見て、僕の目からもどうしようもなく涙が溢れる。何が『神殺し』だ……こんなもの、誰かを殺す役にしか立たないじゃないか!


「……アンジェラ様……お願いです。私はどうなってもいい……もう死に行く人を前に、何も出来ないのは嫌……!」


 アロアが不意に、そうぽつりと呟いた。そしてヒーリングの光がフッと消えたかと思うと、見た事のない印を一つ一つ丁寧に結び始めた。


「アロア? 何を……」

「私の命と引き換えにしてもいい。だからサークさんを……私達の大切な仲間を助けて!!」


 戸惑う僕の目の前でアロアがそう叫び、両手でサークさんの体に触れる。その次の瞬間――激しい光の柱がアロアから噴き出し、アロアとサークさんの体を丸ごと包み込んだ。



「アロア! サークさん!」


 光の奔流に飲まれた、二人の名を叫ぶ。一番近くにいたクラウスが慌てて光に触れるけど、まるで何かに弾かれるようにすぐに手を引っ込めた。


「中に入れない……くそっ、中はどうなっているんだ!」

「でも……やな感じはしないぞ、この光。何だかあったかい……」


 クラウスとは違いそっと光に触れるようにしながら、エルナータが呟く。成り行きを見守るしか出来ない僕らの前で光は徐々に収まっていき、やがて光が消えた後には倒れたままのサークさんと、それに折り重なるようにして倒れるアロアの姿があった。


「アロア!」

「サーク! 一体どうなったんだ!?」


 急いで僕がアロアに近付いて抱き起こし、クラウスがサークさんの様子を見る。アロアは青白い顔で気を失ってはいるものの呼吸は規則正しく、命に別状はないようだった。


「アロアは大丈夫。気を失ってるだけみたいだ」

「!? 傷が……!?」


 サークさんの様子を見ていたクラウスが驚愕の声を上げるのを聞いて、僕もサークさんに視線を移す。そして飛び込んできた光景に、僕は自分の目を疑った。


 血に染まり、穴の開いたままの服の向こうには、何の傷も存在していなかった。


「……ぅ……」


 心なしか血色も良くなった瞼がぴくりと動き、開いていく。その向こうにある紫の瞳には、何が起こったのか解らないような戸惑いの色が浮かんでいた。


「……俺は……ここは、あの世か……?」

「サーク……生き……返った……っ!」

「お、おいクラウス!?」


 その様子に破顔したクラウスがサークさんの胸元に顔を埋め、啜り泣く。普段見せる事のないクラウスのそんな姿に困惑しながらも、サークさんは身を起こし、子供をあやすようにその頭を撫でてやる。


「サーク! 良かった! 良かったー!」

「おいエルナータまで……っつーか、誰か説明してくれ。俺は死んだんじゃなかったのか?」


 更にエルナータまでもサークさんに抱き付き、それを受け止めながらサークさんが僕らを見回す。僕とランドは説明に困りつつも、何とか言葉を探し出し答えた。


「アロアが……何かの魔法を使ったんです。見た事のない印の組み合わせだった……」

「そしたらシュパーって凄ぇ光がアロアとサークさんを包んで、光が収まった時には、アロアが倒れてサークさんの怪我が治ってたんす……」

「見た事のない印……完全に致命傷だった俺の怪我を治せるほどの光……まさか最上位の聖魔法、リザレクション……?」

『その通りです、人の子達よ』


 その時透き通るような美しい女の人の声が、いつかドラゴンと話をした時のように直接脳内に響き渡った。この声は――間違いない、あの方・・・だ!


「……アンジェラ様!」


 棺の方を振り返り、その名を口にする。僕らが見ている前で棺は仄かに発光を始め、やがて蓋が横にスライドすると中にいた長い黒髪の女性――アンジェラ神が床に降り立ち、目を閉じた姿のままこちらに歩み寄ってきた。


『その娘は、自らの全生命力を魔力に変えて本来使える筈のないリザレクションを行使しました。私が命を繋げるだけの生命力を分け与えなければ、今頃はそこのエルフの子の代わりに彼女が死んでいた事でしょう』

「そんな……アロア……」


 アンジェラ神の口から語られた重い事実に、僕は思わず腕の中で眠り続けるアロアを見る。アロアは文字通り自分を犠牲にして、サークさんを助けようとしたんだ……。


「あの……アロアの事助けてくれて、ありがとうございます。……その、本当に神様、なんすよね? むちゃくちゃ綺麗なのは確かだけど、俺ら人間と見た目変わらなすぎてあんま実感湧かねえって言うか……」


 どう接していいか戸惑った様子でランドが頭を下げると、アンジェラ神は少し悲しげに微笑んだ。そして声のトーンを落とし、こう告げる。


『人間は、最も私達に似せた形で造った生き物。……きっと、だからなのでしょうね。私達の悪い部分を、最も色濃く受け継いでしまった。争いを好み、己の利益ばかりを優先する悪しき性質を……』

「そんな事ない! エルナータの周りにいるのは、皆いい奴だぞ! クラウスだけ未だにエルナータを名前で呼ばないけど!」

『神の魂を宿し、人に造られた子……そう、エルナータと今は名乗っているのでしたね。私は眠りに就いている間も、この地上で起きた出来事をずっと見続けてきました。人が己の利益の為、同じ人と争いを繰り返してきた醜い歴史の総てを……』


 エルナータの反論にも、アンジェラ神は悲哀に満ちた言葉を返すだけ。僕はそれに耐え切れなくなり、アンジェラ神に向かって身を乗り出した。


「人間は確かに争いばかり起こしてるかもしれない……けどそうじゃない人達だって沢山いる筈です! そんな人達がただ死んでいくのを、黙って見ているなんて僕には出来ない!」

『……あなたは……ああ、記憶を無くしてもあなたは少しも変わっていないのですね……』

「やっぱり……あなたは僕を知っているんですね!」


 アンジェラ神の昔を懐かしむような言葉とほんの少し柔らかくなった笑みに、僕はアンジェラ神を見た時自分の抱いた感覚が錯覚なんかじゃなかったと知る。やっと……やっと僕は、自分が何者かに確信を持つ事が出来る……!


「お願いです、教えて下さい! 僕が何故ここにいるのか、それと、僕の父さんは……!」


 更に身を乗り出した僕を、アンジェラ神が手で制する。アンジェラ神はまるで閉じた瞼の向こうで僕を見ているように、静かに僕に顔を向けた。


『落ち着きなさい。それは私の口から告げるより、自分で思い出した方がいいでしょう。私の力があれば、あなたの記憶をすぐに戻してあげる事が出来ます。……あなたは、『本当の自分』を知る勇気がありますか?』

「……はい。僕にとって、今一番必要な事だと思うから」

『解りました。……私の顔を目を逸らさず、真っ直ぐ見つめなさい』


 言われた通り、僕はアンジェラ神の顔をじっと見つめる。僕の見つめる前で、アンジェラ神が閉じた瞼をゆっくりと開けていく……。


『今こそ封印されし記憶の扉を開けるのです……レクス・・・


 そして、蒼き月にも似た深い深い蒼を湛えた瞳を目にした瞬間、僕の意識は一気に闇に落ちていった。

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