第百十七話 狂気の悪魔
衝撃が、僕ら全員を支配した。この世界を作った神様達が、同様に魔物をも作った……?
「う……嘘よ! そんな……そんなのって……!」
真っ先に反応したのは、信心深いアロアだ。顔にありありと動揺を浮かべ、嗤うエンドラを見つめている。
「そ……そうだ! お前の言う事なんて信じられるかよ!」
続いてランドが声を張り上げるけど、それが虚勢なのは声の震えで解った。エンドラは僕らの反応に満足したように軽く目を細め、言葉を続ける。
「信じる信じないは好きにすればいいでしょう。私はただ、真実を語るまで。……神々は確かに人間やエルフ、ドワーフなど様々な生命を世界に産み落としました。しかし時が経ち、人間の数が増えてくると世界には争いが絶えなくなり、神々の生み出した自然の恵みは徐々に失われていきました。そんな人間に失望した神々は、一度世界を滅ぼし一から生命を作り直そうと決めたのです」
「だから自らは蒼き月に昇り、その後で地上に魔物を放ったと?」
「その通りです。ただ神々にとって誤算だったのは魔物という共通の敵を見出だした人間が団結してしまった事と、神々の決定に反対した一柱の神が地上へと残り人間に手を貸した事ですが」
クラウスの問いに頷き答えたエンドラの言葉の内容に、僕の脳裏に一柱の神が浮かぶ。他の神々が蒼き月に昇る中、地上に残った神と言えば一人しかいない。
――大地母神アンジェラ。いつかのクラウスの予想通り、彼女は魔物や悪魔と敵対する人間側の神であったのだ。
「……っ、なら! 神様達はどうして英雄リト様をお遣わしになったの!? 人間を魔物から救う為でしょう!?」
「英雄リト。……ああ、あの裏切り者の事ですか」
アロアの決死の反論を、けれどエンドラは鼻で嗤う。そして笑みを消し、忌々しげに言った。
「彼は元々人間に混じって大地母神アンジェラに近付き、彼女を殺す為だけに作られた暗殺者なのですよ。英雄と呼ばれる者の武器が何故『神殺し』などという物騒な名前だったのか、考えた事はないのですか? その理由は『神殺し』が文字通り神を、大地母神アンジェラを殺す為の武器だったからなのです。……もっとも彼は人間として過ごすうちにすっかり人間に心を奪われ、遂にはアンジェラ側に付いて神々に反旗を翻したのですが」
「……そんな……」
語られた内容の救いのなさに、遂にアロアが膝を折る。僕らにも十分衝撃的な話だったけど、アンジェラ神のみならず神々総てへの信仰心が厚かったアロアは特に、今まで信じてきたものがガラガラと崩れ落ちるようなショックを受けた事だろう。
「……暗殺者リトは人間に寝返りましたが、人間側の方にもまた神々の側に付く者が存在していました。彼らは神々より授かった力で魔物達を操りリトやアンジェラ達と戦いましたが、人間に操れる魔物の強さには限りがありなかなか戦いを有利に進める事は出来ませんでした。そこで彼らは、禁断の術に手を出したのです」
「禁断の術……?」
「……人間と魔物の融合ですよ」
そう口にした瞬間、エンドラの纏う空気が酷く冷たいものに変わった。白目しかない目は血走り、拳はまるで怒りを抑えるようにプルプルと震え、固められている。
「彼らは死した魔物の魂を大量に集めると、一人の人間を選び出し儀式によってその大量の魂を注ぎ込みました。そうして生まれたのが、人間の知性を持ちながら魔物の力を行使出来る存在――悪魔」
「待て、お前はさっき自分を最初に作られた悪魔だと言っていたな……まさか……」
「そう、私は元々は人間……儀式により魔物の魂と力を植え付けられた元人間なのですよ!」
サークさんの推測にエンドラがそう叫ぶと同時、握り固められたエンドラの拳が石の扉に強烈に叩き付けられた。扉に接触した手の皮がその衝撃で破れ、真っ黒な血が扉の表面を滴り落ちていく。
「あいつは! 自分が化け物になりたくないからと言って娘を! 実の娘を生贄に差し出した! 抵抗する私を痛め付け、逆らえないようにボロボロにして! まるで実験動物のように魔法陣に放り込んだ! 世界が滅んでも、自分達だけは生きられるよう神々に媚びを売る! ただ! それだけの為に!」
怒りと憎しみに満ちた叫びを上げながら、エンドラが何度も何度も扉に拳を叩き付ける。その度に手の皮はますます破れ損傷を増し、飛び散った黒い血が白い服にも跳ね返り染みを作っていく。
と、突然その動きがぴたりと止まり、拳が下ろされた。エンドラの顔に、歪みきった笑顔が張り付く。
「……意識が戻り、自分に新たな力が宿った事を知った私は早速、その場にいた神官達を使って力を試しました。全くあの時の神官達の無様な姿と言ったら! あの愚かな父などは、大神官の地位をやるから助けてくれなどと泣き付いてきましたっけねえ。勿論たっぷりと時間をかけて自分が自分でなくなる恐怖を味わわせた後、理性のない最も醜い怪物に変えてあげましたけどね!」
そこで僕はやっと気付く。エンドラの目に宿る、強い狂気の色に。
エンドラは――恐らく狂っている。実の父親に実験台にされ、人でない生き物にさせられたその深い絶望によって。
「私は自分が生み出した魔物達を従えて、人間を捕らえては同じように魔物に変えていきました。大半は理性も何もない怪物に成り果てたのですけど、時々人としての記憶は失いつつも自我は残る、私に近い個体が生まれる事がありましてね。それがあなた達も戦った、あの悪魔達です。どうやら憎しみを強く抱いて転化した者ほど、魔物達の魂に負けず自我が強く保たれるようですよ」
朗々と言葉を重ねるエンドラを、僕はもう哀れな生き物としか思えなかった。憎しみに飲まれ、狂気に染まり、何かを蔑み破壊する事でしか自分を癒せない孤独な魂……。
他の皆も、僕と同じ印象を抱いたらしい。皆がエンドラを見つめる視線には、いつしかかすかな憐憫が込められていた。
「……何故そんな目で私を見るのです。忌々しい、人間如きが全く忌々しい! どうやら、少しお喋りが過ぎたようですね。そろそろ、私の目的を果たさせて貰うとしましょうか」
そんな僕らの視線が気に障ったらしく、口元を歪めながらエンドラが何かを取り出す。それは……あちこちがひび割れ風化しかかった、古ぼけた人間の頭蓋骨だった。
「何だあのガイコツ!?」
「これは大地母神アンジェラの血を引いた子孫の骨……『封印の間』は、アンジェラの血を引く者の前にのみ開かれる! それこそが、『アンジェラの遺産』!」
戸惑うエルナータや僕らの視線を受けながらエンドラが頭蓋骨を掲げると、それまでただの壁の模様のようだった石の扉が激しく震動し始めた。扉は中央から左右に分かれて開いていき、やがて、扉の向こうの景色が明らかになる。
そこは、かつてエルナータを見つけた遺跡の隠し部屋に似ていた。広い部屋の中央には変わった形の透明な棺が直立しており、中には足の長さを越える程の長い黒髪に白いローブを着たとても美しい女性が眠りに就いていた。
「あれは……まさか……!」
その姿を目にした瞬間、心臓が飛び出そうなほど強い鼓動が胸を叩いた。僕は――あの女性を知っている!
「そう、この女こそ大地母神アンジェラ! 地上に残った、原初の神の一柱!」
狂気に満ちたエンドラの笑い声を聞きながら、僕の目は現れた女性に釘付けになっていた。