第百十二話 悪魔の軍勢
その目を見て、僕は戸惑う。黒目のない白目だけの瞳……それはこれまで対峙してきた、悪魔達に共通する特徴そのものだ。
彼らは人に化けた悪魔? いや、いくら何でもこんなに沢山の人達が悪魔だなんて……。
「リト、危ねえ!」
その時横から突然体を強く押されて、僕はそのまま地面に倒れ込む。直後に僕の体があった場所を、血塗れの剣が通り抜けていくのが見えた。
「お返しだ、オラッ!」
僕を庇うように上に覆い被さっていたランドが、その体勢のままダガーを横に振るい風の壁を生み出す。分厚い風の壁は、僕らに迫って来ていたグランドラ兵達を纏めて後方に吹き飛ばした。
「何ボーッとしてんだよ、リト! 俺が気付いて押し倒したから良かったものの……」
「ご、ごめん、ランド……」
僕の上から立ち上がりながら、ランドが僕を軽く叱責する。それに謝罪の言葉を返しながら、僕もまた立ち上がった。
……そうだ、今は相手が何者か考えている場合じゃない。とにかくこの場を乗り切る事を考えないと……!
「まともに相手してちゃキリがねえ。俺の馬は行っちまったから、リトの馬に二人で乗ってこの場を離れようぜ。飛んでくる矢は、俺が風で叩き落とす」
「解った。任せたよ、ランド!」
倒れたグランドラ兵達が再び起き上がる前にそう話を纏めると、僕らは近くで待機したままの馬に向かって走り出した。そこに弓兵からの第二射が放たれ、僕らに襲い掛かる。
「精霊達、頼む! もう一働きしてくれ!」
ランドが矢の方に振り向き、今度は二本同時にダガーを振るう。二層に分かれた風の壁は矢の雨を迎え撃ち、その殆どを弾き返した。
「ランド、乗って!」
「ああ!」
先に馬に辿り着き、落とし切れなかった矢が馬に当たるのを防ぐよう馬を軽く走らせながら叫ぶ。ランドが馬の動きに全力で走って追い付き、僕の後ろに飛び乗るのを確認すると僕は全力で馬を走らせ、先に行ったアロア達を追った。
「リト、ランド! 無事で良かった……!」
少し行った先で、アロア達は僕らを待っていた。僕らの姿を確認したアロアの顔が、安堵の表情で包まれる。
「待たせちまって悪ぃ、皆! 皆は何ともなかったか?」
「少しグランドラ兵に捕まりはしたが、僕とサークの魔法で片付けた。……しかし……」
言葉の途中で、クラウスの表情が曇る。どうしたのだろうと、僕とランドは顔を見合わせる。
「どうしたの、クラウス? 誰か怪我でも……」
「怪我はない。だが……奴らは耐えたのだ。後の事を考え威力は抑えておいたとは言え、十分に致死には至る威力の雷を、だ」
「……!」
次にクラウスの告げた言葉に、僕の脳裏にはあの白目だけの瞳が蘇っていた。クラウスの雷の威力は、僕も知っている。普通の人間であれば、まともに喰らえば死は免れない筈なのだ。
「……悪魔……」
気が付けば、考えが口から漏れていた。けれどそれを、誰も馬鹿にする事はない。
「ああ。……あの目は間違いなく、ブリムやゴゼと同じものだった。それにあの耐久力、明らかに普通の人間のものじゃない」
「でも、どうして……こんなに沢山の悪魔が人に混じるなんて、ううん、それ以前にこんなに大勢悪魔が存在するなんて……」
サークさんが厳しい表情を浮かべ、アロアが強い困惑を口にする。そんな僕らの疑問に解答を出したのは、クラウスだった。
「……エンプティが何らかの力を使って、人間を悪魔に変えた? 奴は確か、『少し早いが奥の手を使う』と言っていた。それが、この兵達の姿だとするなら……」
「おい……じゃあグランドラの奴ら、エンプティに無理矢理化け物にされちまったって言うのかよ!?」
ランドが驚愕に目を見開きながら、馬から身を乗り出す。荒唐無稽にも思える結論……なのに、今僕はそれを聞いて「そうだ」と納得した。心から。
……もしかして、僕の記憶の蓋が開きかけている? ずっと閉じられたままだった蓋が……。
「僕が読んだ文献には、そのような事が可能な悪魔の記述はなかった。しかし、そうとでも思わねばこの状況は説明がつかん」
「確かにな……。悪魔があらかじめ大量にグランドラ軍に入り込んでたって説よりはまだ現実味がある。それにあいつら、耐久力は悪魔並だが悪魔が持ってる筈の知性はまるで感じられねえ。下級の魔物共のように、本能のままに手当たり次第破壊していってるようにしか見えねえ」
「それも、強引に人を悪魔に変えた為に正気を失ったせいだとすると……不味いぞ。人より頑丈で、恐れも知らん。そんな奴らに攻められたとなれば、普通の人間に太刀打ち出来る筈がない!」
その結論に達し、クラウスとサークさんがハッと顔を見合わせる。予想以上に緊迫した事態に、僕も思わず息を飲んだ。
「城がまだもってくれている事を祈るしかない。……急ぐぞ!」
焦燥感に満ちた表情でサークさんが急ぎ馬を走らせ、僕らもまたその後に続いた。
途中にいたグランドラ兵達を何とか振り切り、大通りを馬で駆けていくとやがて城の全容が見えてきた。僕らはそこで一旦馬を止め、城の様子を窺う。
大きな堀に囲まれた城は、街を焼く炎に曝される事もなく静かに佇んでいる。正門へと続く跳ね橋は上げられているものの、堀の手前に集まった兵士達は全く諦める様子を見せずその場に蠢いている。
「良かった! お城はまだ無事みたい……」
「けど、エルナータ達はどうやってお城に入ったらいいんだ? このままじゃエルナータ達も入れないぞ?」
まだ城が落ちてない事にアロアと共に安心したのも束の間、エルナータの疑問に僕らは考え込む事になる。王様達にエンプティが狙う『大いなる力』の事を話さないといけない、けどそれには何とか城内に入り込まないといけない……。
「……一歩間違えたら死ぬかもしれないが、その覚悟があるなら城に入る方法は一つだけある」
その時サークさんが、真剣な顔でそう言った。僕らはサークさんを見つめ、その方法を話すよう促す。
「方法があるんですか!? 教えて下さい!」
「……解った。その前に場所を移動しよう」
サークさんが馬の方向を変え、堀を回り込むように動かす。僕らもそれについていくと馬は正門を遠く離れ、グランドラ兵達のいない城の右側へと近付いていった。
辿り着いた場所からは遠目にバルコニーが映り、勿論橋は見当たらない。真下に見える堀の水は夜なので黒く、底が見えなかった。
「解った! ここに土の精霊か何かを召喚して橋を造るんすね! 流石サークさん!」
「生憎ここからじゃ距離がありすぎる。土で橋を掛けようとしたところで、途中で折れちまうだろうな。けど、精霊の力を使うってのは合ってるぞ」
感心したように手を叩いたランドの言葉を、サークさんが即座に否定する。どういう事かと、僕らが首を傾げていると。
「これからあのバルコニーまで、最大風力で一人ずつぶっ飛ばす。自分の身一つで空を飛ぶなんて、滅多にない経験だぞ?」
そう言ってサークさんが笑みを作った瞬間。背後のランドの全身が固まるのを、僕は背中で感じた。