第百十話 届いた言葉
僕らは辺りを見回し、声の出所を探す。すると何もなかった筈の空間から、白い人影――エンプティが姿を現した。
「実の弟と殺し合った気分は如何ですか、陛下。弟君の方が勝ったのは、こちらとしては少し予想外でしたが」
「何だと……エンプティ貴様、クラウディオが生きていた事を知っていてずっと黙っていたのか!」
「ええ。そうしなければ、陛下が生きる希望を取り戻してしまうではないですか。私としては真実を知らないまま陛下が弟君を殺め、後から真実を知って完全に心が壊れる展開を期待していたのですがね」
声を荒げるエンデュミオン王に、悪びれもせずエンプティが言い放つ。その涼しげな態度が、余計にエンデュミオン王の逆鱗に触れたようだ。
「貴様……! 貴様とは利害が一致していた故に今まで取り立ててきたがこれまでだ! レムリアに向けていた我が兵は、全員引き上げさせて貰う!」
クラウスを力ずくで押し退け、立ち上がってエンデュミオン王が宣言する。それにもエンプティは、張り付いたような薄い笑みを崩さない。
「それは残念です。ならば予定より少し早いですが、こちらも奥の手を使わせて貰うとしましょうか。そうそう、生きる希望を取り戻したあなたには最早何の価値もありません。ここで侵入者に殺されたという形で、お亡くなりになられて下さい」
「死ぬのは貴様だ、エンプティ! 『我が内に眠る力よ、雷に変わりて敵を撃て』!」
いつの間にか手に握られていたクラウスの杖をかざし、エンデュミオン王が特大の雷を放つ。それに対しエンプティは、逃げ出そうという素振りすらも見せない。
間も無く雷の束が、エンプティを飲み込む。あまりに呆気ないその光景に、僕らが戸惑ったその時。
「――ああ、冥土の土産に一つ教えておいてあげましょう」
突然背後からエンプティの声がして、僕らは慌てて振り返る。視界に入ったのは、怪我一つなく立っているエンプティの姿だった。
「あなたのお母上を毒殺し、あなたを復讐の道へ駆り立てたのは……私です」
その言葉と同時。エンプティの指先から黒い光が放たれ、エンデュミオン王を襲った。
黒い光に穿たれた体が膝から崩れ落ち、倒れる。僕らはその光景を、眺めている事しか出来なかった。
「……マルモ」
震えた声で、エンデュミオン王がその名を呼ぶ。そう――黒い光の直撃を受けたのは、エンデュミオン王ではなかった。
マルモさん。黒い装束に包まれたその腹には大きな穴が空き、大量の血を床に垂れ流している。その姿を見下ろしたエンプティが、つまらなそうに言った。
「……やれやれ、気配が消せるというのも厄介ですね。まさか、陛下を庇える位置まで接近していたなんて。まあいいでしょう、今あなたの大好きな陛下も同じ場所に送ってあげますよ」
そう言って、エンプティが再び指先をエンデュミオン王に向けた直後。武装した兵士達が、大挙して玉座の間に雪崩れ込んできた。
「陛下、何があったのですか!? 直属部隊に大広間を閉鎖させて……っ!?」
飛び込んだ光景に、兵士達が言葉を失う。今がどういう状況なのか、俄かには判断出来ないといった感じだった。
「……邪魔が入りましたか。仕方がありません、前線に戻り最後の仕上げに取り掛かる事としましょう」
忌々しげに呟き、エンプティが姿を消す。そんなエンプティなど見えていないように、エンデュミオン王の目は倒れたマルモさんに釘付けになっている。
「ち……りょう……そうよ! 治療しなきゃ!」
真っ先に我に返ったアロアがマルモさんに駆け寄り、すぐにヒーリングをかけ始める。僕らもそれに続き、エンデュミオン王とマルモさんの元へ集まった。
「……駄目、傷が深すぎる……塞がらない……!」
「マルモ……何故、私を」
アロアが悲痛な声を上げながらもヒーリングを止めない中、エンデュミオン王が膝を折りマルモさんの頬に触れる。マルモさんはそれにうっすらと目を開け、声を振り絞り答えた。
「私の命は、あなたに拾われたあの日からずっとあなたのもの……あなたが無事であれば……それが何よりの喜びです……」
「……っ! 例え、クラウディオがいなくても……私は一人ではなかったのか……。何と、愚かな主だ、私は……!」
エンデュミオン王の瞳から、涙が零れる。その涙はマルモさんの血に混じって、血の海に溶けていった。
「良かった……昔の、出会った時のエンデュミオン様の顔だ……エンデュミオン様……マルモはいつでも、あなたのお側におります。例えこの身が朽ち、魂だけになろうとも、必ず……ごほっ、ごほっ!」
「もう良い! もう良い……喋るな……! お前の心、確かに受け取った。これからは、お前に恥ずかしくない良き王であろうと誓おう……!」
「嬉しゅうございます……エンデュミオン様……マルモは、ずっと……ずっとお側……に……」
その言葉を最後に、マルモさんの瞼は閉じられた。体からは完全に力が抜け、呼吸が止まったのも解る。
「治って……お願い、治ってえっ……!」
「……もうヒーリングをかけずとも良い、娘。マルモは死んだ。私の愚かさがマルモと……沢山の民達を、殺した……」
泣きながらヒーリングを止めなかったアロアの手を掴み、エンデュミオン王が首を横に振る。そして自分の涙をそのままに立ち上がると、声を張り上げ兵士達に命じた。
「……場内に残っている馬で最も早いものを六頭、至急用意せよ! 宰相エンプティは国に反逆の意思を見せた! グランドラ国王エンデュミオン・シルヴィア・グランドラの名において命ずる! これより敵はレムリアに非ず! 宰相エンプティの率いる反乱軍なり!」
「し、しかしこの侵入者達は……」
「この者達は私が選んだ使者である! レムリアと和平を結ぶ、その為の使者となる! 我がグランドラが自ら戦争に身を投じる事は、最早ない! 我が手でもたらした戦火は、同じ我が手で治めてみせよう! 反論がある者は残れ。反論なき者は、我が命に従い直ちにこの者達をレムリアへと送るのだ!」
「は……はっ!」
その堂々とした振る舞いに、兵士達が慌てて扉の向こうに後戻り散っていく。兵士達が誰もいなくなると、エンデュミオン王は僕らに振り返った。
「償いは後でいくらでもする。詫びろと言うならそちらの気の済むまで詫びよう。だが今はレムリアへ急げ。エンプティがフェンデルの城内に辿り着いてしまう前に!」
「フェンデルの城内だと? そこに『アンジェラの遺産』があるのか?」
「『アンジェラの遺産』はただの鍵だ。フェンデルの城内に眠る、大いなる力の元へ辿り着く為の!」
サークさんの問いに、エンデュミオンがかぶりを振る。そして、真剣な顔でこう続けた。
「その大いなる力がこの世から失われれば、世界は滅ぶ。エンプティの目的はグランドラの兵力を利用してレムリアに攻め入り、大いなる力を消し去る事だ!」
その一言に僕の心臓が何故か、一際大きく跳ね上がった。