第百八話 玉座で待つもの
「……母君であるシルヴィア様が亡くなられてから、あの方は変わってしまわれた」
自分の名をマルモと名乗った刺客のリーダーが語りだす。その顔は、強い苦渋に満ちていた。
「エンデュミオン様は、昔はとてもお優しいお方だった。お忍びで訪れた貧民街で飢えた孤児を拾っては、自分の部下として手厚く扱ってくれた。我々は皆、そうして拾われエンデュミオン様に忠誠を誓った者達だ。だが……シルヴィア様が何者かに殺害されてからのあの方は、人が変わったように総てのものに心を閉ざしておしまいになられた……」
「待て、先代の王妃は……殺されたのか?」
クラウスの問いに、マルモさんは小さく頷いた。そして、僕らの知らないシルヴィアさんと国王の話を教えてくれた。
「離宮に閉ざされたシルヴィア様とエンデュミオン様はお互い会う事は出来なかったが、手紙のやり取りだけは許されていた。そしていつかまた母子で共に暮らせる事を願いながら、王子としての務めを果たすべく励んでおられた……だが、今から三年前だ。シルヴィア様は急な病に倒れられ、治療の甲斐もなく間も無く亡くなった。シルヴィア様が死んでやっと、あの方はシルヴィア様との面会を許され……そして見つけたのだ。シルヴィア様の死体から、体に毒が入った痕跡を」
「それってつまり、病気に見せかけて毒殺された……!?」
自分の想像に、アロアが軽く体を震わせる。けど、誰がシルヴィアさんを毒殺なんて……。
「その事実を知ってから、あの方は変わられた。どこから見つけてきたのかあのような女を参謀におき、ご自分の父君をクーデターで討ち取った後は他国との戦争に明け暮れ……恐らくあの方は、父君がシルヴィア様を殺したのだと思ったのだ。離宮の中で生かしておくのも面倒になったのだと。あの方は、グランドラを大きくする為に戦争を繰り返しているのではない。父君のような王が君臨する事を許し、シルヴィア様に不幸な人生を背負わせたこのグランドラを滅ぼす為に戦争をしているのだ。そしてあの女……エンプティは、そんなあの方を自分の目的の為に利用している……」
「そのエンプティの目的って、一体何なんだよ?」
「……それは私にも解らん。解っている事は、あの女がレムリア攻めに異常に執着していたという事。このグランドラをここまで大きくしたのも、総て大国であるレムリアを攻める為だという事だけだ」
ランドの質問に答えながら、マルモさんがレムリアを仰ぎ見るように僕らが来た階段の方に視線を向ける。エンプティがそこまでレムリアにこだわる理由……それがもしかして、『アンジェラの遺産』?
「……他の者も、僕ならば兄を止められると言っていた。何故、そう思う?」
クラウスがマルモさんを見つめ、おもむろにそう切り出す。その質問にマルモさんは、少しだけ優しい目になり答えた。
「まだシルヴィア様が生きていた頃、あの方が私に語って下さった事がありました。産まれてすぐに、自分が姉と慕った女性と共に死んだ哀れな弟。もし弟が生きていれば、人生をもっと明るく見れていたかもしれない……そう、寂しさに満ちた目で語っておられたのを今でも覚えています。あの方にとって、あなたは家族の一人であり大切な存在です。あなたが生きておられる事さえ解れば、あの方は元に戻られるかもしれない……!」
それらの言葉から、マルモさんにとって国王が本当に大切な人なのだと伝わってくる。ジノさんも、国王の身を案じていた。クラウスが、弟のクラウディオが生きている事で、本当に国王の心を動かす事が出来るなら……。
「……あの扉の向こうに、兄上はいるのだな?」
「はい。……邪魔が入らぬよう、ここは我らで封じておきましょう。いいな、お前達!」
「はい!」
マルモさんの号令に、生き残った刺客達が階段の前に陣取る。僕らはクラウスに視線を注ぐと、その言葉を待った。
「兄上を止める。行くぞ、皆!」
覚悟を決めたクラウスの言葉に僕らは頷き返し、玉座の間に通じる扉を開けた。
玉座の間は薄暗く、ぼんやりと遠くが見える程度の灯りしかなかった。その薄闇の中、誰かが玉座に座っているのが解る。
「――マルモは失敗したようだな」
低めのバリトンの、冷徹な声が響く。玉座に座る誰かが立ち上がり、顔が判別できる位置まで灯りに近付く。
「……!」
一目で、その人物がエンデュミオン王だと解った。綺麗に切り揃えられた黒髪に、まるで瞳そのものが輝いているように妖しく光を反射する金の目。
そして何より、その顔立ち。クラウスがもっと成長したらこうなるだろう、という予想が立てられそうな端正な顔立ちは、まさしくクラウスの兄と呼ぶに相応しいと僕は思った。
「グランドラ国王、エンデュミオンか」
「そうだ。初にお目にかかる、レムリアから来た勇者達よ。お前達の事は、エンプティからの報告で聞き及んでいる」
「そのエンプティはどうした?」
「今はレムリア攻めの大事な時期。前線に遣り、軍を指揮させている。ここには今、私一人しかおらぬ」
睨み付けるようなサークさんの視線を意にも介さないように、淡々とエンデュミオン王が告げる。その瞳は氷のようで、一切の感情が見受けられない。
「おいお前! センソーを今すぐ止めろ! センソーは悪い事なんだぞ!」
エンデュミオン王をビシッと指差しながら、エルナータがそう通告する。それに対しエンデュミオン王は、微かに冷笑を浮かべるだけだった。
「そう、悪い事だな。だからどうした? こうやって戦争に使わなければ、仕事のない民達は飢えて死ぬだけだ。ならばそれは『良い事』か?」
「もう……止めて下さい! こんな事をしたって、死んだお母様は喜びません!」
「……母上が……?」
けれど次にアロアがそう言った瞬間、エンデュミオン王を取り巻く空気が一変した。感情の見えなかった顔にはありありと怒りの色が浮かび、鋭い目で僕らを睨み付ける。
「貴様らに……母上の何が解る! 人生の半分を虜囚として過ごし、最後は虫けらのように殺された我が母の無念が! 貴様らなどに! 解ってたまるものか!」
その血を吐くような叫びに、思わず圧倒される。一度吠えただけではエンデュミオン王の怒りは治まらないらしく、更に怒声を僕らにぶつける。
「私は総てが憎い! 母シルヴィアを、義姉アルペトラを、義兄ジノを、そして弟クラウディオを僕から総て奪ったあの忌まわしき父が! そんな父を生み出し讃えてきたこの国が! そんな国の存在を許すこの世界すらも! だから! 破壊するのだ、私とエンプティの手で! この罪にまみれた人の世を!」
「……そんなものが、今の貴様の望みか」
「そうだ! 世界の終焉こそ我が望み!」
狂ったように、狂気すら感じる目で叫ぶエンデュミオン王の前にクラウスが一歩進み出る。その目には、静かな怒気がたぎっていた。
「どうやら話し合いの前に、一度ぶちのめさねば解らんようだ。……頼む。ここは、僕一人でやらせてくれ」
「クラウス……でも」
「信じろ。僕は負けない。……絶望に押し潰された、あのような男などに!」
僕はクラウスに心配の目を向けたけど、クラウスの決意は固いようだった。僕らは少し迷った後、クラウスに頷き返す。
「貴様らも私の邪魔をするのならば殺す。我が手により直々にな!」
「やってみせろ……その絶望に濁った目を、僕がぶん殴って覚まさせてやる!」
そしてクラウスとエンデュミオン王はそれぞれ杖と剣を構え、戦闘の態勢を取った。