第百六話 地下水路を進め
改めて皆で、円陣を組み座る。クラウスがジノさんに椅子を勧められていたけど、大袈裟だと断っていた。
「まずジノ、僕に対しては敬語は抜きでいい。年の差的に逆ならともかく、そちらが敬語なのは周りに違和感を与えるだろう。それから僕が王弟クラウディオである事は今はまだ、あまり公にはしたくない。育ての親が付けてくれたクラウスという名前がある。普段はそちらで呼んでくれ」
「解った、クラウス。それじゃあ今から、俺の考えを説明するぜ」
そう言うと、ジノさんが床に置いた羊皮紙に羽根ペンで地図を描き始める。眺めているうちにそれは、このサルトルートの地図なのだと解った。
「まず城がここ、このサルトルートの中心部分だ。そしてこの貧民街がそこから北へ行ったここ。昔はサルトルートの外周部分の総てが貧民街だったが、陛下が即位してすぐに行った貧民救済策の影響で自然と規模が縮小し、今ではこの辺りを残すだけになった。今ここに住んでるのは俺も含めて、陛下の軍拡政策に反対する僅かな連中だけだ」
「よく反乱分子として粛清されなかったな」
「俺達はスケープゴートさ。俺達という陛下に従わない存在を敢えて残しておく事で他の国民に差別感情を植え付け、国に都合の悪い事が起こっても全部俺達が従わないせいだと責任の矛先をすり替える事が出来る。それだけの為に俺達は生かされている。あの宰相のやりそうな事だ」
「エンプティを知っているのか?」
「ああ。あいつはどこから現れ陛下に近付いたのか、気付いたら陛下の参謀としてクーデターに加わりそのまま今の宰相の地位を手に入れた。それ以前の経歴がまるで解らねえ胡散臭い女だ。一度だけ自ら俺を勧誘に来たあいつに直接会ったが……吐く言葉は甘ったるいが、その実他人を利用し使い捨てる事しか考えねえ、昔王宮にわんさかいた貴族共と同じ匂いしかしなかった。だから俺は、陛下からの仕官の話を断り続けたんだ」
よほどエンプティがいけ好かないのか、サークさんの問いに吐き捨てるようにジノさんが答える。それから再び視線を地図に落とし、ある一点を指差した。
「それで、ここだ。貧民街の外れにある地下水道の入口。この地下水道はサルトルート全域に広がっていて、勿論城にも通じている。だがここを通りたがる奴は誰もいない」
「どうしてですか?」
「地下水道はサルトルートが大きくなる度、何度も拡張工事を繰り返してきたって経緯があってな。そのせいで、内部の複雑さが迷宮並なのさ。知らずに迷い込めば、下手すれば一生出られねえかもしれねえな」
「おいおい、それじゃ城になんかとても辿り着けねえじゃねえかよ」
告げられた言葉に呆れたように、ランドが文句を言う。けれどそれに対し、ジノさんはにやりと笑い返した。
「話は最後まで聞け、坊主。それはあくまで何の考えもなしに地下水道に潜った場合の話だ。……十六年前、アルペトラが何で先代の目を盗み城を抜け出せたと思う?」
「……案内がいた、もしくは誰かに道を教えて貰って地下水道を抜けた?」
「ご名答だ。そっちの蒼い目の坊主はなかなか冴えてるじゃねえか。代々グランドラ王家を守護する役目を持つ一族の間にゃ、万が一城が落とされた時には王族を連れて逃げられるよう地下水道の逃走ルートが叩き込まれてる。アルペトラにそれを教えたのは、その一族の一員だった他でもないこの俺だ」
僕が答えるとジノさんはますます笑みを深め、親指で自分を指し示す。つまりジノさんの案内があれば、地下水道を抜け城に潜り込める……!
「今、そのルートを知っているのは?」
「俺以外にゃいない筈だ。他のクルーレ家は全員国を出ちまってるからな」
「成る程……賭ける価値はありそうだ」
そう言って、クラウスもまた不敵な笑みを浮かべる。どうやら、話は決まったようだ。
「出発はいつにする?」
「今は休んでいる時間も惜しい。すぐにでも出発したい。……構わないか?」
クラウスの問いに、全員が頷き返す。僕らをここまで来させる為に力を貸してくれた皆の為にも、今は一刻も早く国王の元へ辿り着かなきゃならない!
「では急ごう。地下水道に!」
そのクラウスの号令の元、僕らは一斉に立ち上がった。
貧民街を北東の方向に抜けたところに、地下水道の入口はあった。四方を煉瓦で囲まれたそれは、僅かな足場の間から透明な水を通路から通路へと流している。
鉄で出来た錆び付いた梯子を降り、水路の流れに逆らうように進み通路へと入る。先頭のジノさんがカンテラを点け高く掲げると、まるで蜘蛛の巣のように枝分かれした幾本もの道が目に入った。
「はぐれるなよ。一生出れなくなっても責任は持てねえぞ」
そう言って歩き出すジノさんの背中を見失わないよう、必死でついていく。時々お互いに声を掛け合い、誰もいなくなっていない事を確認した。
「何だか探検って感じでワクワクするぞ!」
「馬っ鹿エルナータ、そんな呑気な状況じゃねえんだぞ? これからいよいよ敵の本丸に踏み込むんだからな」
半目をキラキラと輝かせるエルナータに、溜息を吐きながらランドが嗜める。確かにこんな状況でなかったら、ちょっとした探検気分が味わえたかもしれない。
しばらく別れ道を曲がったり、掛かった橋を渡ったりしながら通路を奥へ奥へと進んでいく。僕にはどれも同じ道にしか見えないのに、ジノさんは一寸の迷いもなくすいすいと道を抜けていく。
そうしてどれくらい歩いただろう。不意に前方に、日の光が差し込む場所が現れた。
「あれだ。あそこが王宮の裏庭に続いて……」
「待って、水路の中に何かいる!」
前方の光を指し示したジノさんの言葉を、アロアが途中で遮る。暗闇によく目を凝らすと、水路の中を横切る幾つもの大きな魚の頭が見えた。
「あれは……ギルマン! 水辺を住処にする凶暴な魔物だ。力はそれほどでもないが武器を使えるだけの知能を持ち、何より繁殖力が高い……成る程な……道が解らなくても出口さえ塞いでしまえばいい、という訳か……!」
魚頭――ギルマン達を見ながら、クラウスが苦々しく吐き捨てる。相手はジノさんが僕らに味方する可能性も読んでたのか……!
「……ここは俺が道を作る。お前達はその間に先に行け」
どうするべきか僕らが悩んでいると、ジノさんがカンテラをサークさんに押し付け背中の大剣を抜いた。それはジノさんがもしもの時の為にと、家から身に付けてきたものだった。
「でも!」
「……任せられるか? ジノ」
「クラウス!」
躊躇う僕とは裏腹に、冷徹な態度でクラウスが言う。思わず咎める視線を向けたけど、クラウスの顔は真剣そのものだった。
「……ここの衛兵がこ奴らだけならば、寧ろ都合がいい。ここを一気に切り抜けられれば、城内への侵入もそれだけ楽になろう。……だがここで悪戯に時間をかけてしまえば、それは僕達が侵入しようとしている事を向こうに知らせる事になる。それでは意味がない。ここは何が何でも、素早く切り抜けるしかないんだ……!」
「流石は陛下の弟君、状況を分析する目に長けておられる。あの愚鈍な先代の息子が二人揃って優秀とは、果たして何の因果かねえ……とにかくそういうこった。なあに、将軍位を退いて大分経つがそれでも惰性で剣の稽古だけはやってたんでな! こうしてそれが役に立つなら本望ってもんよ!」
「解った。……あんたも生き残れよ」
「ああ。殿下を、そして陛下を頼む。あの方の目を覚まさせてやってくれ」
カンテラを受け取り、サークさんが覚悟を決めたように頷く。僕らの為に次々と人が犠牲になっていく……その事実に、身を切られるような思いだった。
けれど、それをただ悔やんでいたって何にもならない。進むしかないんだ。今はただ、前へ!
「さあて、派手に暴れてやるとしようかね! ジノ・クルーレ、参る!」
そうしてジノさんは、己を奮い立たせるように大剣を一振りし。次々と水路から陸に上がるギルマン達へと向かっていった。