第百一話 アウスバッハの人々
アウスバッハ領は地図で見るよりも広く、漸く屋敷が確認出来るところまで来たのは夕暮れ時になってからだった。道のりは実に穏やかで、今のところエンプティの手の者らしき影は見当たらない。
「懐かしいな……この辺りには、よく父上に連れられて視察に来たものだ」
二年ぶりの故郷の様子に、クラウスが軽く目を細める。すれ違う人達の中にはクラウスの顔を見知っているのか、こちらに深々と頭を下げる人もいた。
「領主の息子が帰ってきたってのに反応がいまいちだな。もっとこうクラウス様ー!みたいに来るかと思いきゃ」
「……人気があるのは、父上であって僕ではないからな。僕は父上のおまけのようなものだ」
ランドの言葉にクラウスは、顔を曇らせそう言った。そんなクラウスの背をサークさんが無言で軽く叩き、僕らの間に軽い沈黙が流れる。
そうか……ここは確かにクラウスにとって故郷で大切な人達が住む地だけど、決していい思い出ばかりがある地ではないんだ……。
「……着いたぞ。貴様達はここで待っていろ。僕とサークで屋敷の者に話を付けてくる」
やがて大きな庭の前に備え付けられた門の前まで来ると、クラウスはそう言ってサークさんを引き連れ庭から屋敷へと続く砂利道に入っていった。それを見送りつつ庭を眺めていたアロアが、感嘆の声を上げる。
「お花屋さんでしか見た事がないような花ばかり……綺麗なお庭」
「あの家も、こっから見ただけでも凄くおっきいな! お城みたいだ!」
「これぞ英雄の家、って感じだな……いやここんちの場合は英雄になる前からこうなんだろうけど。何たって領主様の家だもんなあ……」
エルナータとランドもそれぞれに感想を述べる中、僕はクラウスの事が心配だった。クラウスのご両親は、果たして急に帰ってきたクラウスを受け入れてくれるだろうか? もしもエンプティによって、何らかの手が回されていたとしたら……。
そう僕が考えていると、屋敷の方から誰かが僕らの方に近付いてきた。それはきっちりとタキシードを着込んだ、品の良さそうな白髪頭の老人だった。
「クラウス坊っちゃまとサーク様のお連れの方々ですね。私はアウスバッハ家の執事を務めさせて頂いております、レミールと申します。我々アウスバッハの者は、あなた方を歓迎致します。どうぞこちらへ」
恭しく僕らに挨拶をした執事さんは、そう言うと僕らの先に立って歩き出した。僕らもそれに続き、砂利道を歩き庭を横切っていく。
屋敷は近くで見ると更に大きく、人が十人単位で住めそうだった。執事さんが開いてくれた扉を僕らは潜り、クラウスとサークさんとの再会を果たす。
「来たか。もう少し待て、今父上達がこちらに向かって……」
「クラウス! クラウス、帰ってきたのね!」
クラウスの言葉を途中で遮るように声がして、僕らは一斉に声がした左の廊下の奥を見る。そこには派手さはないものの上品な仕立ての服を来た、少し年を取った感じではあるけど美しい顔立ちの金髪に金の目の女の人が嬉しそうに顔を綻ばせて立っていた。
「は、母上……」
「ああ、クラウス! 本当に心配していたのよ、この子ったら!」
女の人――クラウスのお母さんがクラウスに駆け寄り、きつくその体を抱き締める。途端にクラウスは真っ赤になって、手をしどろもどろと動かし始めた。
「あ、あの母上! 人が見ています! 子供の頃のような真似は……!」
「何を言っているの! 親にとって子供はいつまで経っても子供よ? クラウスも遠慮なく、お母さんに甘えていいのよ?」
「ですから! 僕はもう成人したんです、あまりベタベタするような真似は慎んで下さい!」
クラウスが少し強めにそう言うと、クラウスのお母さんはショックを受けたように二、三歩後ずさった。そして目に涙を溜め、悲愴感を漂わせる声で言う。
「クラウスが……お母さんを拒絶した……お母さんを嫌いになったのね……そうなのね……」
「い、いえ母上。そうではなくて……」
「解っているの。いつか子は親を捨てていくものだって。私にも、遂にその日が……」
「ああもう! 僕は母上を愛していますし、捨てていったりしません! どうか泣かないで下さい、母上!」
堪りかねて口にしたクラウスの言葉に、クラウスのお母さんがみるみる笑顔を取り戻す。そして再び、クラウスをいとおしげに抱き締めた。
「クラウス……何ていい子なの! 流石は私の自慢の息子だわ!」
「あー……騒がせてすまん、皆。この人が僕の母だ……」
遂に抱き締められる事自体は諦めたように、クラウスが溜息を吐きつつ紹介する。その紹介にやっと僕らに目がいったようで、クラウスのお母さんはクラウスを抱き締めたままこちらに向かって頭を下げる。
「はじめまして、皆さん。クラウスの母です。クラウスと、あとサークがいつもお世話になってます」
「あ、いえ……二人にお世話になってるのは寧ろ僕らの方で……」
「……うちのおふくろ並に濃いぃキャラの人、初めて見た……」
それに何とか挨拶を返す僕と、正直な感想をぼそっと漏らすランド。うん……僕も、友達のお母さんが揃いも揃ってこんな濃いキャラをしてるなんて思わなかったよ……。
「エレノア、そろそろクラウスを離してやれよ。クラウスが困ってんだろ」
「あら? もしかしてサークも抱き締めて欲しいの? なら素直に言えばいいのに」
「誰がだ! つうか俺の方が年上なんだからそうやって姉ぶんなっていつも言ってんだろ!」
「確かに歳はあなたの方が上だけど、私にしてみたらあなたは可愛い義弟よ? 初めて会った時のあなたなんて……」
「だーっ、その話はすんな! 頼むから!」
サークさんがそんなクラウスのお母さんを嗜めようとするけど、逆にペースを握られたじたじになっている。あのサークさんが本気で困ってるところなんて、初めて見た……。
「凄いな、オカアサンって。ランドのもそうだったけど、見た目は弱そうなのに凄く強そうだ……」
ぽかんと一連の流れを見つめていたエルナータに、クラウスのお母さんの目が止まる。そしてアロアとエルナータを何度も交互に見ると、子供のように目を輝かせて言った。
「お嬢さん方はクラウスのガールフレンドかしら? こんな可愛らしいお嬢さん方がお嫁に来てくれたらお母さんとっても嬉しい……」
「違いますから! そういうのではありませんから! それより母上、父上はまだ……」
「――戻ったか、クラウス」
その時、低くよく通る声が辺りに響き渡った。辺りは一気に静まり返り、僕らは先程クラウスのお母さんが現れた左の廊下へと視線を向ける。
現れたのは、黒髪をオールバックにし黒く厳しい瞳を湛えた中年の美丈夫だった。その鍛えられた体は、やはり派手ではないが上品な印象を与える服の上からでも見て取れた。
「只今戻りました、父上。息災であられましたでしょうか」
お母さんの手から離れ、クラウスが跪き挨拶を交わす。そんなクラウスに、クラウスのお父さんは真剣な顔のままゆっくりと近付いた。
「形式ばった挨拶などはよい。……中央から通達が来ている。グランドラに背いたそうだな。その事に相違はないか?」
「……相違は、ありません」
「なれば、何故背いた?」
お父さんの厳しい目が、クラウスを射抜く。顔に緊張を滲ませるクラウスに対しお母さんも、何故かサークさんも助けに入ろうとはしない。
「己が信念の為。この力を必要とする虐げられし者達の為、その為に振るった力の先がグランドラであった、ただそれだけの事」
「後悔はないのか」
「はい」
覚悟を決めた瞳で、クラウスもまたお父さんを見返す。そうして互いが見つめ合い、どれだけの時間が経ったのか……先に表情を崩したのは、クラウスのお父さんの方だった。
「……いい顔になった。これもお前に預けたお陰だな、サーク」
「よしてくれよ。俺は基本的な事しか教えてねえ、成長したのはクラウス自身の力さ」
「そうか。ここで下らぬ言い訳を朗したり、己の決めた道を後悔しているなどと言おうものなら本当に私の手で片を付けるところだったが。最後まで道を貫く覚悟があるなら、私は何も言いはせん」
ふ、と小さく笑ってみせたクラウスのお父さんに、僕の緊張も解けたのが解った。……良かった。前にクラウスから聞いた話の印象通り、この人は信頼出来る人みたいだ。
「もう、あなたったら。本当はあなたも、クラウスの事が心配で心配で堪らなかった癖に」
「そうは言っても、久々に会う子の性根が腐ってはいないか確かめるのは親として当然の義務であろう」
「大丈夫ですよ。クラウスはあなたと私の子で、それに私達の大切な義弟のサークがついてます。悪い子に育つ筈がありません」
「む……こほん。とにかくクラウスにサーク、それに客人方。今お前達が置かれている立場を、詳しく聞かせて欲しい。私も人を使い外の情報はある程度得てはいるが、完璧ではないからな」
クラウスのお母さんからのやんわりとした、けれど強い信頼の言葉を聞いたクラウスのお父さんが咳払いをし、僕らに向き直る。僕らは頷き、これまでの道のりで何があったのかを語り始めた。