第九十八話 銀世界の襲撃
「はっ!」
飛び掛かってくる雪虎の鼻先を、剣で真一文字に切り裂く。その痛みに雪虎が一瞬怯んだ様子を見せるものの、余程飢えているのかこちらを諦めるつもりはまだないようだった。
サッと辺りに目を走らせるとサークさん、ランドとクラウス、エルナータとアロアがそれぞれ別の雪虎と相対しているのが見える。早く目の前の雪虎をどうにかして、誰かのところに加勢にいかないと。僕の心に、焦りが滲んでいく。
警戒は、十分にしていたつもりだった。それでも雪虎の群れに不意を突かれバラバラになってしまったのは、僕らが雪に慣れていなかったせいとこの辺りの地理を雪虎がよく熟知していた為だろう。
「そこをどいてくれ! 僕は皆のところへ行くんだ!」
無駄と知りつつ叫んでみても、雪虎はただ唸り声を上げるだけだ。僕は雪で動きが鈍くなっているのも構わずに、自分から雪虎に向かっていった。
「ガルウッ!」
雪虎は軽やかに雪の上を駆けて横に逃れ、側面から僕に喰らい付こうと口を大きく開ける。僕はその牙から逃れようとして……雪に足を取られ、体勢を崩した。
「しまっ……!」
「グルアッ!」
体を庇う為反射的に前に出した左腕に、雪虎の牙が深く突き刺さる。そのまま僕の体は地面に押し倒され、雪虎にのし掛かられる形になった。
「ぐっ……離……せ……!」
左腕に走る激痛に耐えながら、残った右腕で剣を振るおうとする。けれど前足で踏みつけられた右腕は上手く動かず、剣は辺りの雪を掻くばかり。
そうしている間にもいよいよ僕の左腕の肉を食い千切ろうと、雪虎が顎に力を込めるのが解る。くそっ、このままじゃ……!
「ギャン!」
焦りが頂点に達したその時、目の前で何かが走り雪虎の顔面に強烈に叩き付けられた。雪虎はその衝撃に僕の腕から口を離して後退り、そこで僕は誰かが雪虎に蹴りを叩き込んだのだと知る。
「サークさん!」
急いで起き上がった僕は、自分を助けてくれたその人物の名を呼ぶ。サークさんは雪虎から目を離さないまま、少し怒った声で言った。
「何をやってる、リト! どんな時でも冷静さを失うな。焦りはただ身の危険を招くだけだと教えただろう!」
「す、すみません! 早く皆と合流しなきゃと思ったら、つい……」
「落ち着いて戦えば、今のお前なら一人でもあいつに勝てる筈だ。……俺は他の奴の加勢に行く。もう大丈夫だな?」
「はい!」
僕がふらつきながらも剣を構え直すのを横目で確認すると、サークさんは雪虎に背を向けエルナータ達の方へと向かっていった。それを好機と捉えた雪虎がその背に襲い掛かろうとするけど、その前に僕が間に割って入る。
「お前の相手は、この僕だ!」
「グルルゥッ!」
怒りに目を血走らせた雪虎が、僕に向かって突進してくる。ここは相手の動きをよく見て、その行動に合わせて……。
大きく跳躍し飛び掛かってきた雪虎の下を潜るように、僕は身を縮めて前転し即座に立ち上がる。そして僕に背を向けたままの雪虎の後ろ足を、深く切り裂いた。
「フギャアアアッ!?」
「これでもう動き回る事は出来ないだろ! ……とどめだ!」
悲鳴を上げその場に踞る雪虎に、一気に近付く。そしてその首を後ろから、思い切り剣で貫いた。
雪虎が血の塊を吐き、雪の上に倒れ込む。そして暫くびくびくと痙攣した後、そのまま動かなくなった。
「はあ、はあ……やった……他の皆は!?」
顔に付いた雪を拭いもう一度辺りを見回すと、倒れた三匹の雪虎と無事に佇む皆の姿が見えた。どうやらひとまず、危機は脱したようだ。
「リト! その腕、酷い傷……すぐ治すから!」
僕の左腕から流れ落ちる血の量を見たのだろう、アロアが顔色を変えてすぐに駆け寄ってくる。サークさんも溜息を吐きながら僕に近付き、頭を軽く小突いてくる。
「全く、仲間が心配だったのは解るがそれで自分がやられたら意味がないだろう。教えた基礎を忘れるな。他の奴は他の奴で、自分できちんと対処する」
「その通りだ。もっと仲間を信じる事だな」
「……ふーん」
そこに重ねられたクラウスの言葉を聞いて、サークさんがにやにやと興味深げな視線をクラウスに向ける。クラウスは怪訝そうな顔で、そんなサークさんを見返す。
「……何だ、その顔は」
「いやいや。お前の口から『仲間を信じろ』なーんて言葉が出るとはねえ。昔は何でも自分でやる!って他人を信用しなかったお前が」
「う、うるさい! 昔の事はいいだろう、それよりリトの怪我が治ったらすぐに出発するぞ!」
「へいへい。いやあ、丸くなったもんだクラウスも」
「だからしつこいぞサーク!」
面白がってクラウスをからかい始めるサークさんと、それにむきになって怒るクラウス。けれどこれが二人にとって一番心地好いコミュニケーションで、実際クラウスは丸くなったしそんなクラウスの変化がサークさんは内心嬉しいんだろうと僕には感じ取れた。
「はい、終わったわ。くれぐれも気を付けてね、もし肉を食い千切られてたらヒーリングじゃ完全には治らないんだから」
「ありがとう、アロア。うん、もうこんなミスはしないよ。次からは落ち着いて戦える」
「終わったか? そろそろ行こうぜ、他の獣が血の臭いを嗅ぎ付けて来ちまう」
一人辺りに注意を払っていたランドに促され、頷き返す。気が付くと雪の勢いは少し弱まってきて、距離を稼ぐなら今しかなかった。
「待たせてごめん、皆。先を急ごう!」
こうして僕らは夜になるまで雪山を登り続け、山頂を目指したのだった。