別れの決意
・・・その後について話そう。リリスを倒した、いや殺した直後のことはあまり覚えていない。
ただ、あることを俺はあの時に決めていた。大切なものを巻き込まないためのことを。
帰りは桜がどうやってか手配した車で夜の横須賀市内を走っていた。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ん、ああ、大丈夫だ」
「顔色悪いよ?あんなことの後だから仕方ないかもしれないけど・・・」
そんなに顔色が悪かったのだろうか。車のサイドミラーを覗き見る。するとそこには死人のような顔の男が、つまり俺が映っていた。まさか本当にこんな酷い顔だったのか。
やはりまだ、現状を頭が上手く受け入れられていなかった。
「そろそろ着くわ」
桜の声で俺は我に返った。そしてその言葉に釣られて窓の外を見るともう家から歩いて十分程度の高校が見えていた。
「ここまで送ってくれてありがとな」
「別にどうってことないわ。ここはどうせ私の家までの途中だし」
「じゃあな」
「バイバイ」
家に入ろうとした時、俺の視界に見慣れないものが映りこんだ。それはオートバイだった。
「あれ、叔母さんってこんなの持ってたっけ?」
瑠奈がそう尋ねてくるが、見覚えはない、と俺は返した。不審に思いながらも俺と瑠奈は帰宅した。
「あれ?おかしいな、こんな靴持ってたっけ?」
また見覚えのないものが。しかも今度は男物の靴二足だ。ますます怪しい。
「ただいま、母さん、あの靴って誰の?」
するとそこには母さん以外に見知らぬ男が二人いた。一人は少し痩せていて、どこか人を食ったような胡散臭い感じの男。もう一人はかなり痩せていて、肌は不健康な白色で、棒のような感じの男。彼は慣れた手付きでノートパソコンを弄っている。俺たちが帰ってきたことに気付いたのか、胡散臭い方の男が話しかけてきた。
「ええと、君らが神山霊示と神山瑠奈だな?」
「あ、ああ、そうだけど・・・」
すると男は表情を真剣そうなものに変えた。
「俺は柴崎、柴崎怜人だ。探偵をやってる。今回は君に、いや君たち兄妹に関わる大事な話をしに来た」
「大事な話?」
瑠奈がそう疑問を漏らすと白くて棒みたいな男が話の後を継ぐ。
「私はS。S=Sleepeakです。ホワイトハッカーをしています。今回、あなたたちに関する情報を入手したのは私です」
「情報?」
いまいち状況が呑み込めない。
「ああ、詳しい話に移る前に少々説明しなければいけませんね」
「は、はあ・・・」
そしてSという男はこれまでの経緯について話してくれた。その内容は俺たちにとっても耳を疑いたくなるようなものだった。
「・・・以上が概要です」
男の言葉に、俺たちはただ絶句するしかなかった。いや、信じられる人間の方が少数派だろう。第一に、突然自分たちが国家機密です、なんて話エイプリルフールに話してもイタい奴認定待ったなしだろう。ただ、残念ながら俺には信じる理由があった。俺たちの不思議な力は常識で推し量ることなどできない代物だし、なによりこの男からは嘘をついているようには感じられない。
「・・・分かった。それで、アンタたちの目的は?」
俺は核心に切り込む。すると柴崎は笑って一つの要求を出した。
「これは国からの願いらしいが、君たち兄妹がここを離れることだ。勿論、住む場所なんかは確保するが」
「!?・・・分かった。それに、俺もそれを言おうとしていたしな」
もともと決めていたので特に躊躇することもなく俺たちはその要求を呑み込んだ。そして俺は告げる。泣きそうになっている母さんに。
「・・・母さん、今までありがとう。でも、これ以上は母さんたちが危ない。だから・・・」
涙が頬を伝っていく。
「霊示」
突然母さんが話し始めた。
「私はねえ、あなたたちの為なら危険なんてどうってことないのよ。でも、もしもあなたがそう思うのなら・・・行ってらっしゃい。瑠奈ちゃんの面倒も見てね。そして、大丈夫になったり、寂しくなったら・・・何時でも家に帰ってきていいのよ」
母さんは受け入れてくれた。
俺と瑠奈は顔を会わせる。どうすべきかは分かっている。俺たちが言うべきことはとてもシンプルだ。
「ありがとう、母さん」
「叔母さん、ありがとう」
俺と瑠奈の言葉が重なる。
「「行ってきます」」
これが、俺たちの別れの決意だ。
◇◇◇◇◇
「本当によかったんですか?柴崎さん」
「何がだ?」
「とぼけないで下さい。あなたの指示で話したのですが」
Sは先程のことを思い出しながら問う。怜人は少し迷うような素振りを見せたが、決意して答えた。
「ああ、それか。そんなの簡単だろう」
怜人とSは夜道を怜人のバイクで移動している。辺りは当然の如く真っ暗で、人気はない。
「守秘義務はどうなってるんですか」
「仕方ないだろ」
二人が話しているのは、情報を全て霊示と瑠奈に伝えたことについてだ。あの情報は、本来は彼らに知らせてはいけないものだった。だが、怜人はそれを躊躇なく告げ、Sはもっと慎重になるべきだった、と考えているのだ。
知らせてはいけない理由。それは青山が署長から聞いた話を危険を承知で怜人とSに伝えたからだ。それも、よりによって国家機密を、だ。
「子供たちに隠しておいて危険にぶつからせるっていう国のやり方がそもそも気に入らないんだよ、俺は」
「まあ、確かに気に入らないですね」
怜人の発言にSも同意する。彼らも青山も単純に許せないのだ。大人の都合で子供を危険に晒すことが。
「さて、俺たちは進行形で国家反逆の罪を犯している訳だが」
「まあ、今更じゃないですかね」
二人は国に歯向かいながらも呑気なものだった。
◇◇◇◇◇
時刻は少し遡って霊示と瑠奈を送り届けた直後の車内。残っているのは運転手を除いて時太と桜だけの空間。其処では二人も沈黙の中で決意を固めていた。
「桜」
長い沈黙の末、時太が口を開く。それを聞いた桜も口を開いた。
「何かしら、といっても言いたいことは分かっているのだけれど」
「それなら助かる。僕はこれから光の当たる場所には戻らない。いや、元から居たのかも分からないけれど」
「その意味は理解しているのよね?」
「勿論さ。あの男で間違いないんだ。僕の母を狂わせたのは」
「あら、奇遇ね。私の父はあの男に殺されたのよ」
二人の目的は一致した。そしてそれを言葉として定める。
「「あの男に復讐する。そのためなら幾らでも堕ちてやる」」
復讐。それが二人の目的だ。そしてそれは霊示も瑠奈も陽子も、勿論その他の人も巻き込んではならない。当然、孤独な戦いになることは理解していて、でも内から沸き上がる純粋な怒りだけは押さえつけられないものなのだ。
「じゃあ、傭兵のお世話になるのが一番みたいね。ママが遺した部隊を私たちで継ぎましょう」
「ああ、いいよ。それに、銃なら扱える」
「そりゃそうでしょ。あんな嘘信じる訳がないわ。実弾使った射撃の経験が相当ある人間の構え方だったもの」
「やっぱりバレてたか」
「じゃあ、初めましょうか。復讐を」
二人は闇の中で戦うことを決意する。
◇◇◇◇◇
陽子は一人だけが部外者、とでもいうべき感覚を味わっていた。陽子には戦う理由も戦う力もない。それだから皆が自分を戦いから遠ざけようとしているのは理解している。当然自分が足手纏いであることも。
(でも、私は逃げたくない。霊示たちが戦っているのに、それを忘れて平凡な生活になんて戻れないよ)
陽子は一人決意して、家族共用のノートパソコンを立ち上げ、新たなテキストを作成した。
(この戦いはきっと無かったことにされる。だったら私が残せばいいんだ)
陽子は彼らの生きた記録を残すことを決めた。そして、これが後に大局に関わることになる。
◇◇◇◇◇
それぞれは思う。ここから先は、それぞれが奏でる『独唱曲』。それぞれの戦いだ。ただ、その道はきっと一つに繋がっている。
こうして、道は分かたれた。
これで第一章が完結です。次回以降はとてもたくさんの視点を使うことになりそうです。