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コウガ列伝 ~十年目の約束~  作者: 霧生大王
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第三章

第三章 


「あむあむ……。じゃあ、コウガってメルの婚約者だったの? むぐ」

 部屋にずらりと並べられた夕食。木製の器に盛られた野菜に頭を突っ込んでいたフィオナは、口いっぱいに野菜を頬張りながら器用に尋ねた。

「まさか。誰にだってあるだろ? 子供の頃の他愛ない約束さ」

「ふうん……じゃあコウガはメルさんと結婚する気はないんだ」

「はは。そんなことをしてどうするんだよ。この村の運営はどうなる? またいつか魔物が出たら誰がこの村を守る? 今メルを連れ去るような真似をしたら、オルメスって奴も面目が丸潰れだろう。それに俺達の目指してる旅の終着点は大陸の最果て――誰も生きて戻ったことがないこの世の地獄だ。メルを連れて行けるわけがないだろ」

「うーん。でも、じゃあコウガはなんでこの村に来たの?」

「なんとなく……だよ。十年も経てばお互い色んな事がある。それくらい俺だって予想してたさ。メルは俺のことを忘れてるかもしれないし、もうここに住んでないかも知れない。だからほんの少し、この村の様子を見るつもりでここに立ち寄っただけだ」

 それでもつっかかりが取れない様子で、フィオナは不満そうな顔をした。

「でも、メルはコウガのこと覚えてたよ。もしかしたら十年前の約束も……」

「……さあ、どうだろうな。ココヤさんの話を聞いたろ? 騎士団が動くなら、魔物はきっと退治されるだろう。それにオルメスって奴の評判も。一年も前から求愛してたって言うんだから驚きを通り越して少し尊敬するね。俺は」

「メルさんはあの人と結婚するのが良いってこと?」

「それで丸く収まるのさ。今から余計な旅人が引っかき回さなければな」

「ふーん。じゃあ今夜メルさんの部屋に行くと、余計な誤解が生まれるかもね」

「……ああ。ココヤさんに頼んで、メルに『今日は疲れてるから寝る』って伝えてもらうよ」

 フィオナはコウガの目の前まで飛んでいき、嫌みったらしい笑顔を浮かべた。

「コウガは約束破ってばかりだね~」

「……おやつなくなったのはお前のせいだからな」

「コウガが道に迷うからでしょ。甲斐性無し。ろくでなし。ひねくれ者の根性無し」

 コウガは無言でむぎーっと彼女のほっぺを引っ張った。

「いぎぎぎ! いたいいたい! いつもより痛い! 絶対いつもより強い!」



「ふああああ、あ」

 昨晩は結局ココヤさんに頼んでメルの招待に断りを入れてもらったコウガは、旅の疲れがあったのだろう、テントでぐっすりと眠り、朝が終わりかけた頃にやっと目を覚ました。

 のんびりとあくびをして、まだ夢うつつの狭間で気怠そうにしていると、

 ぎぃやあああああああ、という奇声が外から聞こえてきた。

 テントからのそのそと這い出てみれば、珍しい生き物を見て興奮した子供達に追い回されているフィオナが必死に翅をばたつたかせて逃げ回っていた。

「はは。朝から元気だなあ」

 その光景を眺めながら、コウガは日課にしているストレッチを始めた。

 師から言われて以来、やむを得ない事情がある場合を除いて毎日こなしている基礎メニューである。足の腱から始まり、上半身へとストレッチする部位を移していく。

 コウガが大体それを終えて最後に腕を伸ばしている頃に、背後から彼を呼ぶ声があった。

「おはよう、コウガ。昨日はよく眠れた?」

 振り返ると、そこにはメルの姿があった。コウガは気まずそうに一言、返答した。

「食事まだでしょ? よかったら一緒にどう?」

「あ、ああ」

 コウガはメルのテントへと案内された。程なくして、メルが道すがら女性に言いつけた通りに次々に料理が運ばれて来る。朝からとても食べきれないような沢山の料理達が並び、饗宴の様相を呈している。

 コウガは舌を巻いた。

「すごいな、メル。本当に族長なんだなあ」

「ふふ。素直に言って良いわよ。嫌な女だって」

「まさか。みんなメルを慕ってるみたいだった」

「そんなこと……」

 会話はそこで止まった。もくもくと食べ物を口に運ぶコウガ。時折メルもそれに手をつけるが、殆ど口にしないまま沈黙だけがずっと流れる。

 積もる話があるはずなのに、何を言って良いかわからない。コウガがその沈鬱とした状況に耐えかねた頃、メルが会話の口火を切った。それもコウガにとって最悪の形で。

「ねえ、コウガは覚えてる? 十年前の約束」

 危うく食べ物を吐き出しそうになり、コウガは必死に堪える。

「むぐ。あ、ああ。そんなこともあったっけか」

 メルは胸元から石を取り出した。それは小さい石だったが、薄く緑色で、淡く光を放っているようにも見える。紛れもなく、かつてコウガが渡したガノンストーンであった。

「お前、まだ持ってたのか、それ」

 つっけんどんな口調に、メルは表情を強ばらせた。

「俺は、メルとの約束を守れなかったなあ」

「え……?」

「俺は今、フィオナと北を目指して旅をしてる。今の俺じゃあどうしても勝てない奴がいるんだ。そのために修行しながら旅をしてる。子供の頃の約束って、後先考えないから怖いよな。誰よりも強くなる、なんて、よく言えたよ。はははは、は……」

「…………」

 再び沈黙が始まろうとした気配を感じ、コウガは慌てて言葉を重ねた。

「えと。ほら、あいつ。オルメスって言うんだろ? あいつ。いい男らしいじゃないか。今時あそこまで真っ直ぐな人間も珍しいけど、村のみんなも憧れてるんだろ? その――」

「だから早くあの人と結婚しろって! そう言いいたいんでしょ!」

「な、なんだよ急に」

「コウガに言われなくてもわかってるわよ。村のことは私がずっと考えてきたんだから! オルメスさんは良い人よ! 彼は都市でも名士だし、きっと私が結婚すればこの村にとって良いことがいっぱいあるでしょうね。でもコウガには関係ないことでしょほっといて!」

「あ、ああ……。すまなかった」

 それきり――

 気まずい沈黙がしばらく続いた。

 もう会話の糸口などどこにも見いだせないような状況で、コウガは思案しあぐねていた。いったい何と言ってこの部屋を出るかを、だ。

 困ったことに全くろくな言葉が思いつかないまま部屋の中で互いに顔も見合わせないまま昼過ぎまで押し黙っていると、突然外からフィオナの怒声と子供達の叫び声が聞こえてきた。

 助け船である。

「なんだ、またなんかやらかしたのか……」

 コウガはフィオナをダシにそそくさとテントの外に顔を出すと、きゃあきゃあと子供達の悲鳴が聞こえてきた。

 見れば、フィオナがひよひよと羽を揺らして子供達を追いかけていた。

 先頭を逃げる子供の手は高々と掲げられ、一切れの干し肉を握りしめている。

 フィオナは彼等をさんざん追い回した後にようやく干し肉をひったくると、空中であぐらをかきながら大口を開け、意地汚く噛みついた。

 はぐはぐと一心不乱に肉をかじっている姿を周囲の人達にじっくりと観察されながら、時折頭を撫でられたりしている。

「あいつ、もう餌付けされたのか……」

 本心から呆れたように肩を落としたコウガはフィオナの元まで歩み寄ると、子供達を押し退けてむんずとフィオナを掴み上げた。コウガを仰ぎ見たフィオナはぱっと明るく笑った。

「あ、コウガどこ行ってたのよ」

「いやあ、ちょっとな」

 コウガは後ろを振り返ったが、メルのテントは入り口の幕が降りたままで、彼女がまだ中にいるかどうか判別がつかなかった。

「ともかく戻ろう」

 コウガは一刻も早くここを離れようと足早にその場を去った。

「ちょっとちょっと、あたし自分で飛べるってえ」

 村の中央広場まで来たコウガは、無意識にフィオナを掴んだままであることに気付き、謝りながらそっと妖精を解放してやった。いつになく雰囲気の冴えないコウガに首を傾げていたフィオナは、前からオルメスがやってくるのを見つけた。だが、その顔が烈火の如き怒りに染まっているのを感じ取るや、何か面倒なことが起こりそうだとコウガの背中に隠れた。

 怪訝そうにフィオナを目で追い掛けたコウガに、叩きつけるような声が浴びせられる。

「貴様、メルさんに何をした!」

 びくりと身を震わせたコウガは、この時になってやっとオルメスが自分の目の前に立っていることに気がついた。

「な、何って……いや何も」

「昨日、メルさんから聞いた。お前が昔メルさんに求婚をしていたことをな!」

 その大声が周囲の注目を集めないわけがない。頭を抱えたコウガは否定しようとしたが、オルメスは尚も捲し立ててそれを遮った。

「貴様も武道家なのだろう? 私は今から貴様に決闘を申し込む! どちらがメルさんに相応しい男であるか、勝負だ!」

「なんだよ決闘って……。頭から爪先までキザな奴だな。あのな、俺はメルとは――」

 弁明を待たず、甲冑に身を包んだオルメスは胸の前で大剣を掲げ、高々と叫んだ。

「オルメス=アイスバーグ。『サイバリース王立剣道』八段!」

 コウガは覚えずして口角を吊り上げた。

 戦いの前に自分の流派と段位格を名乗る。それは武道家として礼を尽くすことである。

 この辺境の地で武に礼を尽くす紳士に出会えるとは――コウガは内心嬉しくなった。拳道家としての血が騒ぎ、コウガは気付けば一も二もなく握り拳を両手に作り、胸の前で合わせて名乗りを上げていた。

「コウガ=アクイラ。『拳聖レオルガ流拳道』未だ道半ば、だ。礼に則り拳力を尽くそう」

 左半身を前に出すように半身に構えるコウガ。大剣を抜き、正眼に構えるオルメス。

 その構えがぴたりと止まる。この構え終わりが闘いの開始であることは暗黙の了解である。

「疾ィっ!」

 勢いよく前に飛び出したコウガは、右脚をしなやかに伸ばし、真正面に前蹴りを突いた。

 それはしかと相手の胴体を捉えたが、熱い鉄版に覆われた甲冑に阻まれ、衝撃が拡散してしまう。オルメスはびくともしない。

「そんな軽装でいいのか? 拳道家君」

 切っ先を地に降ろすや、オルメスは斜め上方へと剣を振り上げた。

 コウガはバックステップでそれをかわそうとするが、オルメスの踏み込みながらの攻撃が予想以上に剣の切っ先を前へと押し出し、コウガの体を危うく捉えそうになる。

 コウガは空中で体を捻り、上体を後方に反らせた。

 空気を強引に断ち割るような剣線がコウガの着ていた薄布を裂き、胸の皮膚を掠めていく。

 着地したコウガは振り上げられた大剣の切っ先に自分の上着の布が絡め取られているのを見てひやりとした。

 オルメスが振り回している胴の太い大剣は、切断するよりもその重さで対象を叩き壊すことを目的とした鈍器である。小細工の利かない、真っ向からの打ち合いを前提とした武器。

 コウガは得心した。なるほど実直なオルメスらしい武器である。

「コウガ、手を抜くな~!」

「ああ。本気でやるさ。あんなものまともに喰らったらたまらないしな」

 短く息を吐き、再度前に飛び出すコウガ。その初動を見たオルメスは今度は迎撃のために剣を水平に構えると、体を押し出しながら腰を捻り、剣を胸の高さで横薙ぎに払った。

「らあああっ!」

 コウガは跳躍して大剣の横腹に足を掛けると、そこを足掛かりにさらに前に飛んだ。

 空中で弓なりに湾曲させた体を思い切り逆に反らせ、反動をつけた膝蹴りをオルメスのこめかみに叩き込む。

「ぐっ……」

 苦悶の声を上げた倒れたオルメスの後方へと蹴り抜けたコウガは悪戯っぽく笑った。

「兜は被らなくていいのか? 色男」

「ふっ……」

 オルメスがぺっと血の混じった唾を吐き出すと、周囲からわっと歓声が沸いた。

 いつの間にか彼等を村人が取り囲んでいる。

 狭い村の真ん中で戦っていれば当然人目につこうというものだが、誰が止めるでもなく、皆が白熱して観戦しているというのは、やはり戦士の村としての性格だろうか。

「えらいことになってきたな。負けたらいい恥さらしだ」

「メルさんに相応しい者を見届けてもらうには丁度良いではないか」

 三度相対する二人は軽妙な口調とは裏腹に、今度は互いに慎重に躙り寄っていった。

 小指分から半歩、半歩から一歩……。二人の距離がじりじりと詰まっていく。

 もう少しでオルメスの間合いに入る。コウガはぐっと歯を食いしばり、目をぎらつかせた。

 飛び出すか……?

 いざコウガが腹を決めた、その刹那――

「ちょっと、何やってるの! やめなさい!」

 衆人を押し退け、メルが声を張り上げながら中に入ってきた。

「二人とも、バカなことはやめて!」

 異様な騒ぎを聞きつけたらしく、ことの経緯をすでに知った口ぶりで二人を諫めた。

「メルさん、止めないで下さい。十年も何をしていたかわからない男にあなたが振り回されることはありません」

「闘士として戦いを挑まれたからには俺も退けないねえ」

 コウガは強引にメルを押し退けると前に出て、オルメスの甲冑をがんがんと蹴った。

「くっ。貴様のような癖の悪い男が!」

 激昂したオルメスが剣を構えると、周囲が歓声に沸いた。メルはどうしていいかわからずたじろぐ。

 再び猛進したコウガは先程より高く跳躍し、上空から蹴り降ろした。

「コウガ~! 行け! そこだぁ!」

 小さい体をぶんぶんと振り回して叫ぶフィオナ。

 しかし、オルメスは地面に突き立てた剣でコウガの蹴りを受けると、切っ先を支点にして弧を描くように柄を前に押し出した。コウガの体を支えた大剣のベクトルが急激に下へと移り、コウガは不意を突かれて体勢を崩し、地面に仰向けに倒れた。

「くっ」「もらった!」

 オルメスは起き上がり様のコウガの首を掴むと、膂力に任せてコウガの後頭部を思い切り地面に叩きつけた。

「ぐあっ!」

 もんどり打って叫ぶコウガ。オルメスはすかさず馬乗りになり、相手の首元に大剣の縁を押し当てた。仰向けで断頭台にかけられたような形になり、コウガは身動きが取れなくなる。

「ぐ……。俺の負けだ」

 コウガは潔く敗北を宣言した。堂々と勝ち名乗りを上げ、周囲を周りながらアピールするオルメス。沸き上がる観衆。

 しかしメルはただ一人、倒れたコウガの元に一目散に駆け寄った。その後ろからフィオナがついてくる。

「コウガ……。大丈夫?」

「はは。バカみたいだろ、俺。メルに約束して、このザマだ」

「ううん。いいの。だって、知ってたもん……。子供の頃の約束なんて簡単に壊れて消えてしまうんだって」

「メル……」

「知ってたもん。そのはずなのに――。私きっと、心のどこかで信じて続けてた。でも、もういいの」

 私、あなたさえいてくれたら――

 メルはそう言おうとして一度、しゃくり上げた。その、一瞬の隙に、コウガは情けなく笑いながら言葉を滑り込ませた。

「そうか、よかった。俺、明日にでもこの村を出るよ」

「え……」

「俺……メルがもし俺との約束を引き摺ってたらどうしようと思ってたんだ。あんな約束、俺には守れなかったから。俺じゃあメルを幸せに出来ないし、守ることも出来ない。だから、メルが本気にしてたらどうしようって――」

 ぴしゃり。

 乾いた音が破裂した。赤く腫れたコウガの頬に、振り薙いだメルの手。

「明日と言わず、そんなに旅が大事なら今すぐどっかいけばいいじゃない!」

 すっくと立ち上がったメルは、肩を怒らせて声を張り上げた。

「みんな、見世物じゃないわよ!」

 若き族長の怒号に村の中央に集まっていた村人達は蜘蛛の子を散らすように、見事なまでにあっという間にどこかへと雲散霧消した。

「オルメスさん行きましょう。洞窟への遠征は明日でしょう? 魔物の特徴をお話しします」

「え、ええ……」

 オルメスもまた、メルの気迫に飲まれるように彼女の後に従順に付き従った。

 残されたのは頬を張られて無様に仰向けに倒れたコウガと、小さな妖精だけとなった。

「あーあ。嫌われちまいやんのー」

「……」

「みんなの前で闘いに負けて、女の人に嫌われて、出てけって言われて、みっじめー」

「……そのつもりでこの村に来たんだ。何ともないね」

「ひねくれ者!」

「ああ、そうだよ。俺はひねくれ者で嘘つきさ……」

 むくりと起き上がり、体についた埃を手で払い終えると、コウガはゆっくりと自分のテントへと戻った。


 コウガはテントの中で荷物を纏め始めた。

 仏頂面で黙々と作業をするコウガの背中にそこはかとない陰鬱な空気を感じて、フィオナはコウガの顔の前まで回ると声を張り上げた。

「ねえ! いいの? このままで」

「何がだ。明日の朝、村を出るぞ」

「だって、メルさん、あの人と結婚しちゃうんだよ!」

「俺は――旅人だ。この村の人間じゃない。どっかから来て、どっかへ行く。だがメルにはこの村での生活がある。この村で、誰よりもみんなに慕われてる。この十年間は、俺とメルの生き方を相容れないものにしたのさ」

「わかった風な言い方」

「わかったのさ。お前も荷造り手伝え。おやつはあまり持っていかないぞ」

 いつもならぎゃあぎゃあ騒ぐはずのフィオナは一際沈鬱そうな顔で唇を噛んでいた。心を針で刺されたような痛々しい顔で声を震わせる。

「コウガ、メルさんのこと好きなんでしょ」

「……」

「ねえ」

「……ああ、好きだよ」

「だったらどうして――」

「だから去るのさ。俺がいたらメルは幸せになれない。騎士団が――オルメスが魔物を退治してメルの村が救われる。メルと彼は結婚する。強い血が混じり、この村の一族はまた繁栄していく。相手を想うなら何もしない方がいいことだってあるんだ」

「コウガのひねくれ者! 弱虫!」

「んだと、この……」

 コウガの手で体を捕まれたフィオナは、コウガの指にがぶりと噛みついた。

「っ痛ェな! このヤロー! これでいいんだよ! 俺がすぐにいなくなればいいんだよ!」

「嘘だ! コウガは逃げようとしてるだけじゃないか!」

「逃げてなんかいるか! 俺がどれだけ苦しんでるかお前にわかるか!」

「本当に相手のことを想うんだったらもっと苦しめ! メルさんは十年もずっとコウガを待ってたんだぞ!」

 ぎり、と歯を食いしばったコウガの目から不意に涙が零れた。コウガは両手で目元を覆うと、その場であぐらをかいてうなだれた。

「じゃあ……俺にどうしろって言うんだよ……なあ、わかんねえよ……俺だって……」



 次の日。まだ日も昇らぬ早朝から、都市から派遣されてきた騎士団は村の前に集合した。

 オルメスを筆頭に総勢二十五名が皆、全身を覆う貴重な鋼鉄の甲冑を装備して居並ぶ姿は壮観であり、この『銀鋼隊』と呼ばれる騎士達が都市の堅牢な守りの要であることはこの姿を一目見せれば議論を俟たないだろう。

 メルもまた、戦士の村として威厳を保つため、自らをを筆頭に精鋭の戦士達十名を揃えた。

「メルさん、それでは参りましょう。村に恒久の平和をもたらすのです」

「ええ。オルメスさん、皆さん、よろしくお願いします。では、出発!」

 メルは仰々しい武装集団を連れて村を出立し、丘陵を越え、鉱山の洞窟へと入っていく。

 洞窟に入るのは久しぶりだが、しばらく放置していた洞窟内は魔物の巣窟と化していた。

 細い道を抜け、天井から注ぐ光によって輝く広い鉱床地帯に出ると、大ムカデの姿をした異形がひしめいていたのだ。その数は二十――三十は下らない。

 村の戦士達がたじろぐ中、オルメスは高々と声を張り上げ、号令を掛けた。

「我ら銀鋼隊! 白銀の風となりて敵を断つ! かかれ!」

 全身甲冑を纏った騎士達はその口上の後に、一斉に魔物達に躍りかかった。

 魔物達も一斉に臨戦態勢から体を踊り狂わせて騎士達に襲いかかるが、ぶ厚い甲冑は攻撃を全く通さなかった。

 騎士達の大剣が魔物の甲冑を叩き割っていく。大ムカデたちは体を折られ、血を流しながら一層激しく抵抗するが、全身を浴びせる体当たりによって騎士達を転倒させることは出来るものの致命傷を与えるには至らず、騎士達は一人の死人も出さないまま優勢に魔物の数を減らしていった。

 メルも、皆の士気を高めるように息を吐き、村の戦士達がその戦闘に参加した。

 その部屋の魔物を一掃した彼等は、勢いに乗ってさらに洞窟の奥へと入っていった。

 次々に現れる大ムカデを叩き伏せ、最深部へと進む――

「な、なんだこいつは……!」

 洞窟の一番奥はまたも開けた空間になっていた。

 そこには、これまでの大ムカデの体高のゆうに二倍はある巨大なムカデの魔物がいた。

「さしずめ女王ムカデってところね……今までの化け物はみんなこいつの子供……」

 魔物が定期的に増え続けていたのは、この個体が子を産んでいたかららしい。メルは父から大人になっても洞窟の一番奥にだけは行ってはいけないと言われていた。その言葉を思い出して体に戦慄が走る。村一番の偉大な戦士だったあの父が避け続けてきた魔物――

「か、体がでかいだけだ! かかれ!」

 オルメスの指示によって騎士達五人が一斉に飛びかかった。女王ムカデは体が重いのか、迫り来る攻撃に対して一切の反応を示さず、騎士達の五本の大剣攻撃を体中に受ける。

 だが、びくともしなかった。

 女王ムカデがゆっくりと体を振ったが、驚きに目を見開いた騎士達の反応が遅れる。

 上半身を水平に旋回させた女王ムカデの胴薙ぎをまとめてくらった五人の騎士達は、一般男性では歩くのも困難なほどの重量の全身甲冑を身につけているにも関わらず冗談のように跳ね飛ばされた。五人がいっぺんに天井や壁や床に叩きつけられ、苦悶の声で身もだえたりひきつけを起こしたりしている。

「ばかな……くっ」

 大剣を正眼に構えたオルメスは、メルの制止も聞かず脱兎の如く飛び出した。

 だが強烈な頭突きをカウンターで浴びせられ、走っていた方向とは真逆に弾き飛ばされた。地面に頭から落ち、兜が脱げる。

「ぐ、くあ……」

「オルメスさん!」

 メルは彼の元に駆け寄った。衝かれた甲冑の胸部がべこりとへこんでいる。

「ぐ……胸をやられました……。骨も幾つか折れたようです……。わ、私は走れそうもありません。せめてメルさんだけでも……」

「いいえ。私は逃げません」

 オルメスの言葉をきっぱりと断り、メルは彼の前に立ちはだかった。

「無事な人達はここから待避しなさい。ここは私が食い止めます」

 そこにはもう、恐怖に震えるだけの少女の姿はなかった。

「私は誇り高き戦士の村の族長である!」

(強いかなんて関係ない。大切なのは誰かを守ろうと思うかどうか。だって、コウガはあの時私にそう教えてくれたもん)

 迫り来る巨大な魔物は、唯一気を吐くメルに狙いを定めると、体を大きくしならせた。

 これからどうしようもなく強烈な攻撃が振り下ろされるだろう。

(コウガ、力を貸して!)

 女王ムカデは振り上げた上体を叩きつけるように振り下ろし――

「――っ!」

 盛大に頭を蹴り返されて真後ろに転がるように倒れた。

 何が起きたか理解できなかったメルは、目の前にコウガの背中が見え、一瞬、夢を見ているのかとさえ思った。

「くそっ。このまま上手く討伐が終われば出てこなくて済んだのに……」

「コウガ! どうして!」

 メルの叫びを遮るように女王ムカデが咆吼を上げる。

「全然効いてない……か。あの時と同じで、ちょっとへこむねえ」

 悠然と起き上がる姿を見て、コウガは舌打ちをした。背後からオルメスが青息吐息に言う。

「やめろ! お前が敵う相手じゃない!」

「だからって、逃げられるかよ」

 メルは、こんな時なのに、涙が出て全身の力が抜けた。十年は自分達の世界を一変させた。だが、それでも、変わらないものだってあったのだ。

 コウガは十年前と同じように、こうして自分の前で、私を、守ってくれている。

「メル、俺を信じられるか?」

 メルは声を出さずこくりと頷いただけだったが、コウガは、まるで背中に目があるかのようにニヤリと笑うと、息を大きく吸った。

「レオルガ流拳道、秘奥義――『赤の呼吸』」

 コウガが奇妙なリズムで呼吸を刻み始めるや、全身が躍動したように筋肉が徐々に盛り上がっていく。顔の血色が良くなり、瞳に炎が灯ったような覇気が滲む。

「十年前のリベンジさ」

 コウガは腰を落とし、大きく息を吸った。

 丹田に力を込め、軸足を中心に円弧を描くように――

 メルは、その構えに見覚えがあった。

 十年前よりも背が伸びて、体つきも逞しく、精悍さが匂うその顔立ちからはもう昔のあどけなさは消えていたが、それでもなお、過去の残滓がくっきりと当時の彼の姿を想起させた。

 猛々しく迫りくる女王ムカデ、だが、コウガの気持ちは揺れなかった。

 コウガはその体勢から、拳だけではなく体全体を相手に突き入れるようにして――打つ!

「う、おおおお! 奥義、『幻影破碌掌』!」



「大丈夫、ちょっと無理して気を失っただけだよ」

 フィオナの言葉に、メル達は安堵の息を漏らした。

 女王ムカデは、コウガの一撃を受け、体が内側から爆発したように六つの肉片に飛散した。

 その直後、コウガはがっくりと気を失って倒れてしまったのだ。

「おい! 動ける者は彼をすぐに村まで運ぶんだ!」

 オルメスは起き上がり、五体満足な騎士達にコウガを運ぶように命じた。彼を見上げるメルと目が合うと、オルメスは深々と頭を下げた。

「このオルメス、未熟者でありながら私情を挟み、メルさんに求婚を申し出るという愚を恥じました。己を磨いて出直します!」

「いえ。私も、まだまだですから」

 オルメスはもう一度礼をすると、仲間達とコウガを担ぎ上げ、洞窟を後にした。

 メルは眠るコウガを見送りながら、くすりと笑った。

「もう……いつもこうなんだから」



 フィオナの指示で、コウガは自分が割り当てられた村のテントに寝かされていたが、フィオナの呼び掛けにぱちりと目を開けた。

「コウガ、もう誰もいないよ」

「ん……ああ……」

「気絶したフリなんて、格好つかないわねえ」

「うっせえ。だってあの状況で何て言ったらいいかわかんないだろ。決闘の時は本気じゃなかったとか、嘘つきだとか、何言われるか考えただけでも寒気がするよ」

「メル、俺と来い! って言えばよかったのに」

「はは。まさか」

 ごろり、と寝返りを打ったコウガは、声の調子を落として言った。

「明日、日が出る頃に村を出よう」

 そこに幾何かの寂しさが紛れていたことをフィオナが感じないわけはなかった。

「うん……。それでいいんだね」

「ああ。さっき俺達がこの村に帰って来た時、村のみんなは、俺達もそうだけど、誰よりもメルを心配してただろう? やっぱりあいつはこの村に必要な人間なんだ。そして、俺はただの旅人だよ。メルとは一緒にいられないんだ」

 不器用なコウガの背中を見て、フィオナは複雑な顔をして笑った。

「ということで俺は明日の朝まで寝る。あとヨロシク」



 日が昇り始めてもなお、村は名残惜しく夜の静寂を引き摺るように寝静まっていた。

 拍子抜けするほど簡単に村を抜け出したコウガとフィオナは朝の食事も済ませぬままそそくさと道を行く。

「ふあああ……ねむーい」

 目をこすりながら酔いどれのようにふらふら飛ぶフィオナはぼんやりとコウガの後をついて行ったが、顔面をモロにコウガの背中にぶつけた。

「ぎゃん! 急に立ち止まるな!」

 抗議しながらでくの坊のように突っ立ったコウガの背中を上り、その肩に身を乗り出したところで、フィオナはコウガの前にメルが立っているのを見つけた。

「メル……」

 あんぐりと口を開けて思考が混濁しているようなコウガに、メルは口を尖らせた。

「思った通り。黙って行こうとした」

「いや、これはその……。俺達は行かないといけない所があって……」

「うん、わかってる。ただ、見送りに来ただけ」

 しどろもどろに弁明しようとするコウガにに、メルはヒワマリのように明るく笑ったが、いくら鈍いコウガでも、この彼女の笑みに込められた言外の意を解することができた。

 もう、戻ってこないの?

 メルはそう言っているのだ。

 コウガは混乱した。自分は旅人だ。メルは幼馴染みで、必死に守りたいと思ったけど、オルメスは、村のみんなが、でも、えと、つまり――

 いくつもの感情、理性と本能と論理と倫理が衝突して淘汰されていき、最後に残ったのはたった一つの感情だった。

 本当は、俺は、どう思っているのだ?

「あの、えと、この旅が終わったら、どこかで落ち着いて暮らせるようになるから。だから、その、えっと……ぁいでっ」

 もごもごと口篭もるコウガの背中を、フィオナが思い切り蹴とばす。

「た、旅が終わったら、今度はちゃんと迎えに来るから! その……その時は……」

「その時は?」

「その、け……結婚しよう」

 コウガの顔が耳から鼻の先まで真っ赤になる。

 メルは指を口元に当ててくすくすと笑った。

「……はい」

 駆け寄ったメルはコウガの胸元にそっと顔を埋めた。その頭をそっと抱くコウガ。

「コウガ……」

「うん?」

「……愛してる」

 想い続けたこの十年間。メルがコウガの体に再び触れたのは、この一瞬だけだった。

 メルは永遠にこのまま抱かれていたい衝動を押し退けて身を離すと、気丈に笑って言った。

「でも、おばさんになるまで待ってやらないんだからなあ!」

「ああ……!」



 背の高い草草が生い茂り、見通しの悪い草原の中を一人の少年と一匹の妖精が行く。

 少年は風になぶられながら、今度は道を見失わないように地図を何度も見ながら頼りなげに一歩一歩道を確認するように踏みしめながら歩く。

 彼の気を散らすように、妖精が彼の周りをひよひよと幻想的な音を鳴らしながら飛び回る。

「もう道に迷ったらやだよ~。疲れたよ~。おなか空いたよ~」

「いっぺんに色々喋らないでくれ。おやつの約束も忘れそうだ」

「こらこらこらあ!」

「はは。冗談だよ。もう少し歩いたら休憩しよう」

「やったあ!」

 嬉しそうにひよひよと舞い上がった妖精は、少し考えて、素朴な疑問を口にした。

「でも不思議ね。人間って、どうして守れそうもない約束をするのかしら」

「んー。妖精のお前には、わからないかもな」

「あ~! 妖精をバカにするなあ! 妖精だって約束するもん! ちゃんと破るもん!」

「それはお前のプライドとしてどうなんだよ……」

 呆れ顔をしたコウガに、フィオナは大きな溜息を応酬した。

「はぁ~あ。やっぱりコウガはあの村に行かない方が良かったのかもね。結局メルさんを連れて行く約束は守らなかったし、メルさんは高嶺の花っぽいオルメスさんと破談になっちゃうし、こんなどうしようもないコウガをまた待ち続けるハメになるし」

 皮肉っぽく囁いた妖精の言葉を、コウガは清々しく笑い飛ばした。

「どうせ俺は性格の悪い嘘つきペテン野郎だよ」

 どこまでも抜ける青い空を見上げて、コウガは大きく深呼吸をした。

「だから――あの村には、わざわざ十年前の約束を破りに行ってやったのさ」

「うっわ性格悪う……」




「いぎぎぎぎ! いたいいたい! すごくいたい! 絶対この前より強くつねってる!」




(終わり)


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