第一章
第一章
ひよひよひよひよ……
どことなく幻想的で夢見がちな羽音が風にざわめく草原の中に溶けていく。
ひよひよ……ひよひよひよ……
「おーい、フィオナ。あんまり先に行かないでくれ」
優しい日差しを浴びながら風に身をまかせ気持ちよく酔ったように飛んでいたフィオナは、後ろから少年に声を掛けられて、くるりと体を空中で半回転させた。
「コウガぁ~。早く早く~!」
膝を隠すほどに伸びた草を掻き分け掻き分け歩いてくるコウガという少年は、大きな袋を背負い、短めの紺色の髪を風になぶられながら、えっちらおっちらとフィオナを追い掛けた。
先日十八歳になったばかりのコウガは同年齢の男子と比べてほぼ平均的な背丈を有しているが、袖からは無駄な肉がすっかりそぎ落とされて鋼のように鍛えられた腕が覗いていた。全身の締まりも良く、体格はかなりがっちりとしている。
だが、もし彼等を見比べる者がいれば、その全員はまず間違いなくフィオナの方に視線を向けるだろう。
亜麻色の髪にくりくりした目、あどけない口元に絹のように滑らかな四肢と、彼女は人間で言えば十代半ばあたりの女性を想起させる容姿をしているが、その身の丈はコウガの掌に乗るほどしかなく、背中から突き出た四枚の透明な翅をせわしなく震わせて空を飛んでいるのだ。
フィオナは、妖精であった。
この広大なエスクアーク大陸は大小種々、種族の如何を問わず実に多様な生物のるつぼの様相を呈しているが、中でも妖精という存在は確認された例が圧倒的に少なく、今でもまだ妖精が実在するとは知らずに空想上の生物として認識している人間が非常に多い。
「おそ~い」
フィオナは彼女のサイズに合わせた特注のワンピースの裾をぱたぱたとはたくと、やっと追いついて来たコウガの肩にちょこんと座った。
「しょうがないだろ。歩きにくいんだよ、ここ」
「じゃあどうしてこんな道選んだのよ。前の町からは大きな街道もちゃんとあったじゃない」
少し大きめのブーツを履いた脚をぶらぶらさせながら不満を零したフィオナは、しかしすぐにコウガに擦り寄り、甘えるような声を出した。
「ねえコウガぁ。何か食べたい~」
「さっき食っただろ」
「でもおなかすいた~。ねぇ~ん」
「やらん」
フィオナは無下に突っぱねるコウガの態度にぷくーっと頬を膨らませた。
「やだやだやだ! おなかすいたったらおなかすいたあ! 妖精は一日三食じゃ足りないんだぞ! 妖精を人間と同じモノサシではかるなあ!」
コウガの肩の上でじたばたと暴れるフィオナ。だが、彼女と長い付き合いのコウガはこんなやり取りにはとっくに慣れたもので、だだをこねる彼女にぴしゃりと言い放つ。
「耳元で騒ぐな! もう食い物やらないぞ!」
「うぐ……。で、でも先週約束したじゃない。お天気の良い日はおやつくれるって。コウガの約束破り! 嘘つき! さあ今すぐ人としての尊厳を取り戻せ! 契約の履行を求む!」
「あのな。お前が一回で食べ過ぎるからもうおやつないんだよ。それにどうせ俺は約束を守らない嘘つきだよ。ついでにものぐさでひねくれ者で人でなしだ。それで結構」
これにはさすがに参ったのか、フィオナは抗議を止め、瞳に涙を浮かべてぐずりだした。
「えぐ、ぐす……」
「何も泣くことないだろ……」
呆れて溜息をつくコウガ。なにせこの妖精と来たら、本当に泣いているのだ。
だが、彼女は気まぐれな妖精である。笑っていたかと思えば怒り、泣いていたかと思えば寝ている。勝手知ったるコウガは彼女がそんな生き物であると十分に理解していた。
そして案の定、フィオナは程なくして歓天喜地として声を張り上げた。
「あ! 食べ物みっけ!」
小さな顔にぱっと明るい花が咲く。
脱兎のごとき勢いで羽ばたき飛び立つと、だだっ広い草原に点在する大きな広葉樹らの一つに向かって一目散に飛んでいった。
何事だろうかと怪訝そうな眼差しを向けたコウガは、彼女が目指す木の上に、紫色の地に赤と黒の斑模様というやけに毒々しい実が成っているのを見つけてぎょっとした。
「こ、こら! 全く意地汚い奴だな! よくわからん物を食うんじゃない! 腹壊すぞ!」
慌ててフィオナを追い掛けるコウガ。
重たい荷物を抱えてぜえぜえと息を切らしながら、フィオナが木の幹に到達するより僅かに早く彼女を捕まえようとして――
「う……?」
コウガは何かを足に引っかけた。
刹那、足下の草むらからハンモックのように格子状に編まれた網が飛び上がる。
「おわああああ!」「むぎゃ~~~~!」
全身を包むようにコウガを丸く絡め取った網はフィオナを巻き込み、地面から一気に木の上まで二人を吊し上げた。
二人を丸く包んだ格子網は上でこより状に束ねられ、太い木の枝からぶらぶらと揺れながらぶら下がっている。まるで巨大な果実だ。
「あつつ……」
コウガは目を白黒させながら情けない声を漏らした。どうやら木に近づいた動物を捕獲するための狩猟罠に引っかかったらしいことに気が付くと、まず天地逆になってしまった体を何とか起こそうとする。だが全く体勢を変えられそうもない。
この罠、捕らえた獲物を逃さぬためにきつく網が食い込むようになっているようで、コウガの体はしっかりと絞り上げられて身じろぎするのも困難なほどに固定されていた。しかも運の悪いことに、フィオナもコウガと共に罠の内側に閉じこめられてしまっている。
「く、くそ……。おいフィオナ、網の目から外に出て上のロープを切ってこい」
「え。でもこの網、目が細いからあたしでも無理だよ」
「いいから出るんだよ。無理すりゃ何とかいけるって」
コウガは手先だけを動かし、折りしも手元にいたフィオナをぐいぐいと網目に押しつけた。
「むぎゅ~~! 潰れる潰れる!」
かまびすしい悲鳴をよそに、心をたいして鬼にするでもなく愛らしい妖精をぐりぐりと押しつけていたコウガだったが、やはり彼女の言う通り全く外に抜けられそうな感触を得ずにやがて諦めた。
「ち。ダメかよ」
「……ちゅ……ちゅぶれた……」
顔に赤く縄目の跡をつけたフィオナはボロ雑巾のようにぐったりとへたりこんだが、何やら遠くから近づいてくる影を見た気がして網越しにぼんやりと覗き見る。
「コウガぁ……なんか近づいてくるよ」
「ん、どこだ? お前、目いいからな」
額に皺を寄せながらフィオナの示す方に目を凝らしていたコウガは、初めは風になびく草の揺らぎしか捉えることしかできなかったが、それがだんだんと近づいてくるにつれ、やっと三人の子供の姿を認めることが出来るようになった。
子供達も仕掛けに獲物がかかっているらしいことに気付いたようで、何やら歓声をあげながら駆け寄ってきたが、意図せざるモノが捕らえられているのを見るや、まじまじと覗き込む。
「あ! 人間がかかってるぜ」「変な生き物も一緒だ!」「アヤシイ奴だ!」
微妙な沈黙の後、めいめいが口々に叫びだしたのを聞いて、コウガは口を引きつらせながら笑った。
「いやあ、よかったなフィオナ。助かったみたいだぞ」
「も、どうにでもして……」
子供達が連れてきた大人によって救出されたコウガ達は、彼等が暮らす木柵に囲まれた区域の中に四、五十ほどのテントが寄り添っている小さな村落に来ていた。
村までコウガ達を導いてくれた中年の男性は、名前をココヤというらしく、この集落を治める長を訪ねたいというコウガの希望を受け、村の中を引き続き案内していた。
彼は年嵩であるにも関わらず、丁寧な口調で実にすまなそうに言った。
「いやあ、本当にすみませんでした。旅の方は滅多にこの辺りには来ないものですから、村の人間が罠を結構仕掛けているんですよ。一応、この村に来るために敷設された道の周りにはそういった危険なモノを配置しないようにはしているのですが……」
道を見失って草原に迷い込んでいたコウガは何とも恐縮して愛想を返した。
「いえ、ご迷惑をおかけしてどうもすみません」
「しかし――あの罠は木から落ちてきた実を食べに来る動物を捕らえるための物で、人間なら見た目が悪いあの木には誰も近づかないだろうと思って罠を仕掛けておいたんですが……」
「その、ええ。えと、ちょっと木陰で休もうと思いまして……」
あははははと笑った後、コウガは傍らを飛んでいるフィオナをきっと睨み付けた。
フィオナは「私悪くないもん」という言葉の代わりにぷいっと顔を背けたが、沢山の人間が村を練り歩く自分達に注視していることに気がつくと、びくりと身を震わせてコウガにぴとっと体をひっつけた。
コウガはフィオナの頭をそっと指で撫でてやる。
天気が良いせいか村の中は屋外に出ている住民がかなりいたが、その殆どが薄手の布一枚から作った貫頭衣を着用した女性で、革をなめしたり裁縫をしたり赤ん坊をあやしたりと、この村の生活というものを一目に想起させるような日課をこなしていた。
男性は狩猟にでも出ているのだろうか、大人子供を問わずあまり姿がないが、時折見かける成人男性は多かれ少なかれ女性よりは日に焼けている傾向があり、いずれも均整の取れたしなやかな肉体を動きやすそうな皮革の服に包んでいる。おそらくこの村は様々な町や国の人間が暮らす村ではなく、男子は戦士たるべしという理念を持つ民族であるのだろう。
それはココヤがこの集落の長を村長ではなく族長と呼称していたことからも推測できた。
「さあ、コウガさん。着きましたよ」
ココヤは村の中で一番大きなテントの前で足を止め、入り口の幕前から中に呼び掛けた。
「族長! 旅の方をお連れしました」
ややあって中から「構わん。通せ」と返答がある。
導かれるままにココヤと共に中に入ったコウガは、部屋の中に一人鎮座していた族長を見て唖然とした。コウガの肩に座っていたフィオナも、目を見開いてまじまじとその姿を見る。
大きな瞳、力強い眼差し。耳がちょうど隠れるほどの短髪。肩口、太腿以下をばっさりとそぎ落とした革の服から露出しているのは健康そうに焼けた薄褐色の肌。細いながらも絹を幾条も寄り合わせたように密に引き締まった筋肉。
なるほど確かに全体から醸し出されているのは戦士然とした風格ではあるが、しかし、彼女はコウガと同じくらいの歳の少女なのである。
しかし、フィオナはコウガが自分とは別種の違和感を彼女に感じていたことをすぐに知ることになる。
「メル……?」
コウガがぼそりと呟いたのは、彼女の名前だった。
「え……?」
訝しげに言った族長は、しげしげとコウガの顔を見つめていたが、突然はっと口を開いて驚き混じりに息を吐いた。
「うそ……。まさかコウガ? コウガでしょ!」
「いやあ、びっくりしたな。まさか族長になってたなんて」
「十年も経っているもの。色々あるわよ。ねえ、泊まっていくでしょ? ココヤ、どっか空いてるテントを掃除しといて」
呆然と二人のやり取りを見ていたココヤは急に名を呼ばれて弾かれたように返事をすると、慌ただしくテントを小走りに出て行った。
同じく要領を得ずにきょとんとしていたフィオナはそっとコウガに耳打ちする。
「ねぇ誰? 知り合い?」
「ああ、フィオナは知らないんだよな。俺、先生に連れられてこの村に一度だけ来たことがあるんだよ」
「ふうん……?」
「でも十年も前だから村の位置なんか全然覚えてなくてなあ。なんとなくこの辺だと思ってたんだけど、思ってたより草原が広くて見通しが悪かったから迷っちまったよ。はははは」
「え。じゃあ罠にかかったのも元はと言えばコウガのせいじゃん! 早く着いてればおやつだってなくならなかったし!」
「それはお前が食い意地はってるせいだろ!」
コウガは人差し指でフィオナの顔をぐいぐいと押した。フィオナが歯を食いしばって抵抗するので頬がむにっと潰れる。
「この……!」「むぎぎぎ……!」
二人が低俗な争いを繰り広げていると、メルが珍しそうにフィオナの顔を覗き込んだ。
「ねえなになに? このちっちゃい子」
いつのまにか目と鼻の距離に来ていた彼女に驚いたフィオナは、びくっと総毛立たせると慌ててコウガの服の中に潜っていってしまった。
「おっと……。妖精のフィオナだよ。ほら。怖がらないで出て来てやれよ」
コウガに服の上からさすられたフィオナは「う~」と煮え切らない返事をしながら襟首からおどおどと顔だけを出した。
「かわい~! ねえねえフィオナちゃん、頭撫でさせてくれる?」
メルが爛々と目を輝かせて手を伸ばすと、フィオナは再びさっと頭を引っ込めてしまった。
「あらら……嫌われちゃったかしら」
残念そうに眉尻を下げるメル。コウガがもう一度フィオナを説得しようと口を開きかけた、ちょうどその時に、外からココヤが呼ぶ声がした。
「族長! 村の入り口にオルメスさんがいらっしゃいました」
それはコウガの耳にはっきりと聞こえるくらいの声だったが、しかしながら、メルはしばらく返事をしないままだった。痺れを切らしたココヤがさらに言葉を続ける。
「あの、族長。今日はどうしてもお知らせしたいことがあるとおっしゃていますが……」
メルは少し表情を曇らせてコウガの顔を一瞥した。コウガはその意図がわからず小首を傾げたが、すぐに彼女が自分達のことを気に掛けているのだと思い当たる。
「ああ。気が利かなくて済まない。来客なら、俺たちは出て行くよ」
「え、ううん。そんなつもりじゃ……」
「突然来ちまった俺たちが悪かったんだ。ごめんな。また後でゆっくりと話そう」
「あ、あの……」
そそくさとテントを出たコウガを追って、メルも慌てて外に出た。
外ではココヤが不安そうな顔で待っていたが、コウガに続いてメルが出てきたのを見るや、ほっと胸をなで下ろした。
「族長。オルメスさんはもうこちらに向かっていると思いますので」
「あ、ああ……わかった」
「コウガさん。テントを用意しましたので案内します。お休みになるのもお泊まりになるのも、ご自由にお使い下さい。日が沈む頃に夕食をお持ちしますね」
「食べ物! コウガ! 食べ物だって!」
フィオナは服の中から飛び出して、ぱたぱたと透明な翅をぱたつかせながらコウガを仰ぎ見た。瞳を潤ませる彼女にコウガはふっと溜息とも笑いともわからぬ息を漏らした。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
その時、良く通る快活な声がココヤに着いていこうとしたコウガの足を止めた。
「メルさん、すみません! 突然押しかけて」
その青年は兜こそ脱いでいるが、仰々しいまでに大きな全身甲冑を身につけていた。それでも彼が無粋な無骨さを感じさせないのは、長すぎず短すぎず切り揃えられた金髪に整った顔立ちが醸し出す清潔感と、堂々と胸を張り嫌味な仕草のない精悍さのせいであったのだろう。
「あの、一年前から進言していた件ですが、やっと都市の議会で承認されました! 一刻も早くメルさんにお伝えしたく、このオルメス、光となってここに馳せ参じた次第です」
コウガはそれを背中で聞き、思わずニヤリとした。時代がかったような気障ったらしいセリフは貴族出身の騎士に根強い傾向だが、育ちの良くない彼には実に無縁の言い回しである。
「これでこの村もまた活気を取り戻すことでしょう。メルさん。それで、その、今回の件が無事に終わりましたら、私……」
オルメスは躊躇うように言葉を詰まらせたが、大きく深呼吸をして、一息に叫んだ。
「私と結婚してください!」
これにはさすがにメルだけでなく周囲の人間が、いや――人間だけでなく草も、木も、ミミズもオケラもネコも杓子もぴたりと止まった。時間が、世界が止まったと言っても良い。
人目を憚らずこのような場所でいきなり求婚を申し出たのはさすがに無粋であろうと思えたが、彼の真剣な眼差しからは不器用なまでの実直さが窺えて、コウガは自分の方が場違いな場所にいる気すらした。
そんな気まずさに押しやられ、コウガは何も言わずそそくさと歩き出した。
「あ、あの、コウガ!」
その背中に、メルが慌てて大きな声を投げかける。
「今夜、私の部屋、空けておくから!」
コウガはぎくりとした。この場面でその言葉は相当まずい勘違いを生みかねない。いや生まないはずがない。コウガは額を抱えて恐る恐る振り返った。するとどうだろう。オルメスは既に連続殺人事件の容疑者を得たような疑いの眼を向けているではないか。
「あー。あの、えと、俺とメルはただの幼馴染みというか十年前に一度会っただけで今のメルの言葉は十年ぶりに積もる話があるからゆっくり話をしようって意味で特に他意はありませんのでどうぞ俺なんかのことはお気になさらず後はよろしくやってもらえるとありがたい」
上擦った声で捲し立てながら、コウガは一刻も待たず走り出したい気持ちを抑えながらココヤの背中をぐいぐいと押した。その心情を察したように早足に歩き出したココヤの後についていったコウガは、石膏で首を固めたように一回も後ろを振り返らなかった。
用意されたテントの中へ誘われたコウガは、荷物をうちやってどっかと腰を下ろした。
「ココヤさん、ありがとうございます。遠慮なく使わせてもらいます」
「いえ、お礼は族長におっしゃって下さい。それにしても驚きましたよ。あんなに嬉しそうな族長の顔は久しぶりに見ました。あの若さで随分と男勝りにこの村を引っ張ろうと気を張ってましたからね」
ココヤは顎を撫でながらまるで自分のことのように喜んでいた。
「メルはどうして族長に?」
「ええ……。五年ほど前に先代が病で亡くなられましてね。それが流行病で、村でだいぶ人が亡くなってます。特に成人の男が沢山死にましたねえ……。メルさんは族長の一人娘だったので跡目を継ぐことになりました。勿論、大人達が彼女を支えているのですが、今の族長は自分自身が早く一人前になろうとやっきになってましてね。誰よりも強く、男勝りに振る舞おうとする族長の姿がいつの間にか当たり前になってましたが、やっぱり無理してたんですねえ。最近も村の存続が危うかったので、すっかり族長への配慮がおろそかになっていました……」
「ふうん。最近も何かあったんですか?」
「ええ。実はこの村から少し離れた所に鉱山がありまして。この村は昔からその鉱山の鉱物資源を売って経済的に潤ってきたのですが……。実はいつも採掘をする洞窟に魔物が出るんですよ。これまでは村の戦士達が魔物を駆逐してきたのですが、流行病で屈強な戦士達が死んでしまい、あの鉱山に入っていくことが出来なくなってしまったのです」
コウガはおもむろに目を細めた。十年も経てば色々ある――メルが言っていた言葉の重みが今更になって立体的に浮き上がってきた気がして、彼女の苦労が何とはなしに偲ばれた。
「でも、それももう解決するでしょう。実はオルメスさんが一年前からずっと、鉱山の魔物退治のために騎士団を派遣することに尽力して下さっていたのです。さっきオルメスさんが都市の議会で承認されたとおっしゃっていたので、間もなく騎士団が遠征に来てくれるでしょう。そうすればまた鉱物を採取できるようになりますよ」
村人から隠れるためにコウガの服の中に隠れていたフィオナは、合点がいったように襟首からひょっこり顔を出した。
「そっかあ。これを機に結婚を申し込んだということね」
「一年もメルの元に通い続け、議会に意見具申し続けてきたのは、愛のチカラって所か」
理解しかねるとばかりに息を漏らすコウガを見て、ココヤは呵々大笑した。
「確かにオルメスさんは異常なくらい真面目な方ですがね。でも、近隣都市の騎士で家柄が良く、性格もとても良いと評判ですからね。村の皆もお似合いの二人だと言ってますよ」
「そうですか……」
コウガは女性の幸せを一口に定義する人生観など持ち合わせていなかったが、まあ、そんな人間と結婚できれば幸福にはなれるんだろうなあ、などとぼんやり思った。
「それでは、夕食をお持ちしますので、おくつろぎ下さい」
コウガは去り抜くココヤに再度礼を述べると、ごろりと横になった。
何か薄もやがかった心持ちでテントの内側から天井の一点を見つめていると、突然視界にフィオナが大きく映り込んできた。
「おい。顔の上に乗るなって」
「ねえねえねえ。夕飯まで時間あるでしょ? せっかくだから十年前のこと聞かせてよ」
「ん? ああ。どうだったかな……」
コウガはほんの暇つぶしに、自分でもまだぼんやりとしか思い出せぬ過去の記憶を、赤子を優しく揺り起こすように思い出しながらゆっくりと話し始めた。