EP1 邂逅
EP1 邂逅
「何かおもしれ―ことでも起こらねーかな……」
俺、古堅陸はうとうとしながら、そんな生産性皆無の独り言を漏らしていた。
初老の英語教師がチョークで黒板に文字を書く音が、静かな教室に反響する。
半分近くの生徒が絶賛居眠り中だ。静かなのも当然だろう。
今どきの若者の意識の低さを嘆く大人の声が聞こえてきそうな気もするが、高校二年生の六限の授業としては大して珍しくもない光景だ。
今は七月中盤。
一学期がもうすぐ終わり、そろそろ夏休みに入ろうという時期だ。
まあ、その前に期末試験があるわけだが。
外では太陽が照りつけ、蝉たちがウォーミングアップを始めていた。青い空と白い雲が、夏であることを主張している。
そんな夏空の下、冷房が程よく効いた教室の中で、いよいよ睡魔が俺へと襲いかかろうとした時、六限の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「じゃあ今日の授業はここまで。さっき配ったプリントを来週までにやってくるように」
そう言うと、初老の英語の教師が教科書とCDプレーヤーを持って教室から出ていった。
それと同時に、俺の隣に座る人物、我が友人、須藤良哉があくびをしながら話しかけてきた。
「なあ古堅、授業中は猛烈に眠いというのに、授業が終わるとその眠気が一気に覚めていくというのは、これは一体どういうことだ? 後、ノート見してくれ」
「しらねーよ、俺に聞くな。というかノートとってなかったのかよ」
「そんなこと見ればわかるだろ、さあ、はやく貸してくれ。どうせいつものことだじゃないか」
「俺がノートをとっていない可能性は考えないのか?」
「考えないな。俺は心の底からお前を信じている」
「……真顔で言うとさすがにキモイぞ」
そう言うと、俺は先ほどあと一歩のところで、自分の枕代わりに成ろうとしていたノートを須藤に手渡した。
「もうすぐ期末なんだすぐに返してくれ」
「問題ない、明日には返す」
そんなやり取りをしていると、俺の後ろから話しかける声がした。
「リク、今日暇?」
そう言って話しかけてきたのは、後ろの席に座る高橋健太だった。
「いや、悪いな。今日はちょっと外せない用事があるんだ」
「お! もしかして彼女とデート?」
「ンなわけあるか。大体彼女なんかいねーよ」
そんな他愛もない話をしていると、クラス担任の先生が教室に入ってきた。
先生が教壇に立ちHRを始める。
クラス中のほとんどの生徒が、早く帰りたい、もしくは、早く部活に行きたい、と思っているためか、多少ざわつきながらもスムーズに進行する。二年B組はこんなところだけは団結力のあるクラスだ。
先生から何枚かのプリントが配られた。
そのうちの一枚の内容は、最近このあたりで誘拐や失踪の事件が多発しているので注意するように、といったものだった。
そういえば今朝もテレビのニュースでやってたか。なんとも物騒な時代になったもんだ。
もっとも、大半の生徒は内容も読まずにそのプリントをカバンの中に突っ込んでいる。俺を含めた大半の生徒は、そんな事件なんて自分とは無関係だと思っている証拠だろう。
俺は不意に、自分の斜め前の席に目を移した。
今日はその席に誰も座っていない。
そこに座っていつはずの人物、久藤真理が今日、欠席しているからだ。
何故か久藤さんのことは印象に残っている。
平均的な身長である俺よりも頭一つ分小さいので、小柄と言えば小柄だろう。黒い髪を肩まで伸ばしている。基本的に、あまり表情を変えず、常にどこか冷めた様な目をしていた。
高橋健太曰く、彼が言うには「うち等の学校ではなかなかいない清楚系で、B組の良心」とのことだ。
休み時間は一人で席に着いて本を読んでいることが多い。しかし、意外なことに運動は得意らしく、球技大会においてはクラスの優勝に貢献するという、いろんな意味で謎の多い人物だ。
そして、俺とは一年の時から同じクラスだ。
それだけでなく、何の偶然か、席が近くなったり同じ班になったりということが非常に多かった。だから強く印象に残っているんだろう。
俺がそんなどうでもいいようなことを考えている間にHRは終わり、教室から一気に生徒が出ていく。
帰るために下駄箱へと向かう者と、部室へと向かう者。教室に残ったのは、今日の掃除当番と数名のグループだ。
そんな様子を見ながら、俺も教室を後にした。
下駄箱に向かいながらポケットに入れていた手紙を開く。その手紙には俺にとって〝外すことの出来ない用事〟が記されていた。
今日の朝、郵便受けに入っていたもので、送り主は俺の父さんだった。
手紙の内容は、要約すると「大事な話がある。会って直接話すべきことだが、今は研究所を離れることが出来ないので、お前が来い。待ち合わせ場所は学校から少し離れた大通りの交差点。そこに迎えの者を送る」といったものだった。
父さんとは最近あまり会っていない。
前に顔を合わせたのは三ヵ月ぐらい前だろうか。
少なくとも、研究所が新しいところへ移転してからは一度も行ったことがなかった。「会って直接話すべき大事な話」というものが多少気になるが、招待されたことは純粋に嬉しかった。
×××
「まだ来てない、か。さすがに少し早すぎたな……」
腕時計と手紙と、手紙に記された待ち合わせ場所とを順番に確認する。
場所は間違っていない。
時刻は四時十七分。
予定よりも二十分近く早かった。
あたりを見渡すが、〝迎えの者〟は見つからない。
俺は適当な日陰を見つけると、時間をつぶすために、バックから本を取出しページを開いた。
父さんが送った〝迎えの者〟なら俺のことにも気付くだろう。
そう考え、本のページへと意識を向けた。そして本を読みながらぼんやりと父さんのことを考えていた。
俺の父さん、古堅総一の職業は考古学者だ。
考古学と言っても幅広いけれど、父さんの専門は、歴史から抹消された超古代文明や、黒魔術、禁断の魔導書などといった、俗にいうオカルト分野だ。
今、俺が読んでいる『超古代の遺跡 ~人類誕生の隠された真実~』も父さんが書いた本だ。
普通の人なら「ばかばかしい」と言って切り捨ててしまうような分野だ。
でも父さんは、「そういったものの中に、失われた世界の真実が存在するはずだ」と言って、その主張を曲げなかった。
だから、「決して世間の表舞台に立つことはない」と誰もが思っていた。
でもある日、そんな父さんが、誰もが知る超有名人になる歴史的な大事件が起こった。
俺が生まれる三年前、つまり、今から二十年前。
一部の人の間で南極に存在すると言われていた、古代遺跡の発掘のための調査隊が組まれた。
オカルト分野においては、その権威とまで言われるようになっていた父さんは、日本人唯一の調査隊としてそこに参加した。
当時、南極に古代遺跡があると本気で思っている人物は少数派だった。
だから、アメリカ政府がスポンサーとなって、莫大な資金を投じて行われたこの計画に対する世間の反応は、かなり冷ややかなものだったそうだ。
そして調査開始から数か月後経ったある日、一部の物好き以外がそんな計画があったことなど忘れてしまった頃、調査隊からの興奮気味な通信が全世界を駆け巡った。
「見つけたぞ! 我々は、ついに古代遺跡を発見したっ!」
この瞬間、今までの古代史はすべて白紙に還った。
彼等が発見した遺跡は、人類誕生よりも遥か昔に作られた〝超古代文明〟のものだったのだ。
×××
時刻は四時三五分。
いつもなら買い物客や、帰宅途中の学生で比較的人通りが多く、車もたくさん走っている時間帯だ。
だが、何かがおかしい。
人の声も、車の音も全く聞こえてこない。
あまりにも静かすぎる。
読んでいた本から顔を上げあたりを見渡した。
点滅する信号。
開かれた店のドア。
普段なら決して聞こえることのない街路樹のさざめき。
そして、目の前に広がるアスファルトの大地。
「……嘘だろ……?」
俺の周囲には、人ひとり、車一台存在しなかった。
×××
皆誰もが一度は考えたことがあるんじゃないだろうか。
「自分は他人とは違う〝何か〟に成れるのではないだろうか」あるいは、「今この瞬間、目の前にある〝日常〟が崩れ去り、〝非日常〟の空間が訪れるのではないだろうか」とかいったことを。
確かに、そんなことが〝決してありえない〟と否定することは出来ない。
でも、そういったものを目にしたり、当事者になったりできるのは、限られたほんの一握りの人だけだ。
大抵の人は〝日常〟の中を生き、そして死んでいく。
確かに俺は〝非日常〟に憧れていたけど、それでもまっとうな人生を送ってきた高校二年生だ。
もし俺のことを主人公にした物語が創られるなら、それは間違いなく、友情と恋愛、挑戦と挫折を主題にした物語であり、平凡な高校生のなにげない日常を切り取った青春群像劇のはずだ。
間違っても、巨大生物の追跡から逃げるパニック映画では無い。
「畜生、どういうことだよ!? これはっ!」
俺は今走っている。
自身の持つすべての力を使って、迫りくる恐怖から逃げている。
そう、まるでパニック映画の主人公のように。
俺の背後には十メートル超えの巨体の生物が迫っていた。
――それは、四肢を持ち二足歩行するという点では、おおよそ人間的なシルエットだった。
皮膚はブヨブヨとした緑色のゴムみたいで、だらりと前に垂らした両腕は鋭い鉤爪を備えていた。
背中からは明らかに飛行能力を持たない、退化した蝙蝠のような翼がのぞいている。
そして何よりも目を引くのがその頭部。
それは無数の触手を髭状にたくわえたタコを連想させるものだった。
それに加えて、下水道の水をぶちまけた様な耐え難い強烈な異臭。
早い話が化け物。
そんな化け物が俺の数十メートル前に突然現れたのだ。
周囲の異変に気付き、本から視線を上げ、奇妙に思ってあたりを見渡した時、無人の道路のど真ん中に立つ化け物を、俺の視線が捉えたのだ。
直後、町中のサイレンが鳴り響いた。
対CCD特別警戒体制の発令だ。
瞬く間に地表より巨大な防御壁が現れ、建物を守るための盾になる。
大通り以外のすべての道は封鎖され、連結した防御壁は、善良なる市民を守るための城壁へと変化する。
そして俺は運悪く、その防御壁の外側に取り残されてしまった。
目の前には化け物、左右は壁。
俺は今自分が生き残るために何をしなければならないかを瞬時に理解した。そして次の瞬間には化け物に対して背を向けると同時に、全力で走り出した。
確かに俺は〝非日常〟を望んでいた。そのことは認める。さっきだって授業中に「何かおもしれ―こと起こらないかな……」とか考えてた。
だけどよ……。
「望んでねーよ! 〝こんな〟ことはっ!!」
走る。
ただひたすらに逃げる。
化け物は明らかな殺意を持ち、俺の方へと向かってゆっくりと歩くように迫ってきた。
歩くように、とは言っても人間の歩幅と、十メートル超えの巨体のそれとでは、圧倒的な差がある。俺がどんなに必死に走ってもその距離は離れず、確実に距離を詰められていった。
防御壁の非常口は……、ここから約四百メートルだな。
……よし、そこまで逃げ切れれば助かる!
耳に響く化け物の足音が、徐々に大きくなる。
化け物の低いうなり声と鼻を塞ぎたくなるような異臭をだんだんと強く感じるようになる。
死んでたまるかよ、こんな、ところで!
背後に迫る脅威から、具体的な〝死〟を意識する。
俺は足を止めない。
生き抜くため、ただ己の生存本能に突き動かされて走り続ける。
非常口までの距離は残り約百メートル。
ついに希望が見えた。
――が、その直後、背後の化け物がジャンプした。そして俺のことを軽々と飛び越え目の前に着地した。
「何っ!?」
道路のアスファルトが砕ける音と共に、猛烈な衝撃が地を伝い、俺を襲う。
俺は突然の揺れにバランスを崩して、前のめりに転んだ。
目の前には化け物。距離、およそ二十メートル。
非常口は化け物の後ろ。距離およそ五十メートル。
背を向けていた化け物がゆっくりと振り返った。
その双眼に宿るのは殺意の光。
獲物を見つけた肉食獣の目。
その目が俺の姿を捉える。
その圧倒的気迫に気圧され俺は動けずにいた。
嘘だろ?!
畜生、どうしてだよ?! 俺は、俺はまだ、こんなところで……。
全身が震え、心臓が早鐘のように鳴り響く。
――だが、残酷な現実は、確かに俺の眼前に存在した。
×××
街に設置された監視カメラからの映像が、指令室の大型モニターに映し出されていた。
同時にオペレーター達の声が慌ただしく響く。
「画像分析開始。データ照合、該当データあり!」
「数は一、CCD‐02中型種と断定!」
「保護対象の生存を確認!」
「……副司令、この状況をどう考える? 〝あいつ〟が現れたのは偶然のことなのか。それとも、誰かが意図的に呼び出したのか」
「〝クトゥルフの落とし子〟ですか。そうなると、奴らが絡んでいる可能性が大きいですね」
「ああ、恐らくはその通りだろう。教団の連中め、いったい何を考えている」
「これが我々に対する警告や脅しの類だとすれば、奴らのことは本格的に潰しにかからねばなりませんな」
「この行動が教団の総意とは限らんさ。一部構成員の独断ということも十分にあり得る。まあしかし、どちらにせよあまり良くない状況であることに変わりはない。――これより市街地での戦闘を許可する。ただし、保護対象の確保を最優先。その後、目標を駆逐せよ」
その命令は現地の上空で待機していた航空輸送機へと伝えられた。
命令に対する回答が発せられる。
短く、小さな、しかしはっきりと強い意志を持った声。
「了解。速やかに任務を遂行します」
×××
化け物はゆっくりと俺の方に近づき、その手を振りかぶった。
そして、眼前の獲物の命を奪うためにその手を振り下ろす。実体を伴った〝死〟が俺へと迫ってくる。
……――――。
思わず目をつぶった。
一瞬訪れるその暗闇の中で、何かがぶつかり合う音が聞こえてくる。
――――!?
体には、何の痛みも感じない。
どうなってるんだ……俺は、生きて、いる、のか……?
でも、いったい何が……。
何が起こったのか理解出来ないまま、恐る恐る目を開けた。
そこには、化け物の腕を左手で受け止めた、十メートル越えの機械の巨人の後ろ姿があった。
――人型装甲機。
元々は土木事業などで使用されていたが、二脚による走破性の高さと、状況によってハンドマニピュレーターにより道具を持ち替えることによる汎用性の高さに軍部が目を付けたのがそもそもの始まりだ。
その有用性は予想以上のもので、現在は戦艦、戦闘機、戦車に次ぐ第四の兵器の地位を手に入れている。
――いや、そんなことは知っているが。
でも、どうしてそれが、今、俺の目の前にいるんだ!?
目の前に現れた人型装甲機は、左手で化け物の攻撃を受け止めると、そのまま右の拳を化け物の腹部へと繰り出した。
化け物は突然の攻撃に怯んだのか、後すさりした。その隙を逃さず、突然現れた人型装甲機は化け物に対して強烈な体当たりを行った。
化け物はこの攻撃の直撃を受けて、十メートルほど後方まで弾き飛ばされる。
そして、その人型装甲機がゆっくりと俺のほうを振り向いた。
この間わずか数秒の出来事だ。
俺が驚いたのは人型装甲機が現れたことそのものじゃない。
いや、もちろんそのこともあるんだが、それを打ち消してしまえるようなことがあった。
それは、目の前に現れた人型装甲機の〝異常性〟だ。
俺の前に現れた人型装甲機の第一の〝異常性〟。
それは外見だ。
一般的な人型装甲機の配色は、グレー、カーキ、ベージュなどを基調としたいかにも〝兵器〟といったものだ。それらと比較して目の前に現れた機体は、白、赤、黄色の三色を基調としたものであり、少なくとも〝兵器らしさ〟はなかった。
機的な曲面を持った白い四肢と胴体の上から、無機的な直線によって構成されたパーツが、肩、膝、股関節、腕、そして胸部のコックピットを守るようにして、まるで鎧のように取り付けられており、その全身に黄色いラインが走っている。
頭部の形状も特徴的だ。
両側面にアンテナのようなものが付けられており、口の部分は、マスクのようなパーツでおおわれている。
額と両目に当たる部分にはそれぞれに光学センサーが存在した。
特に印象的なのはその両目の部分である。黄色く発光するデュアルアイはとても〝人間的〟だった。
一般的な人型装甲機が〝武装した兵士〟のイメージならば、この機体は〝鎧を身に纏った騎士〟とでも言ったところだろうか。
そして化け物に対して行った攻撃。
その動きがあまりのもスムーズで、生物的な動きだった。
……まあ、見とれている場合じゃないことは確かだな。
何だか知らないが運が良かった。とりあえずパイロットに礼でも言って、化け物が立ち上がる前にこの場を離れるとしよう。
「すみません、助かりましたっ! この恩は一生忘れません!」
そう叫んだ俺は、非常口へと向かって走り出そうとした。
しかしその時、
『待って!』
人型装甲機の外部スピーカーから聞こえた女の声に、思わず足を止めた。
『こっちへ来て古堅君、奴の狙いはあなただから、防御壁の中に入っても助からない』
突然、俺のことを名指しで呼んできた。
なんで俺の名前を知っているんだ? それに、狙いは俺っていったいどういうことだ? というか、この声、どこかで聞いたような……。
頭の中を一気に思考が駆け巡るが、今は命の恩人の指示に従うことにしよう。
俺のことを助けた人型装甲機は体勢を低くし、跪くような姿をとる。
そして、コックピットのハッチが開き先ほどの声の主が姿を現した。
その声の主は、白地に赤いラインの入った、ウェットスーツのように体に密着したラインの〝いかにも動きやすそうな〟デザインのパイロットスーツを身にまとっていた。
肩まである黒髪に色白の肌、どこか冷めた様な目をしていて、人型装甲機のパイロットとしてはあまりにも不釣り合いな印象の小柄な少女だ。
そして、俺は彼女のことを知っていた。
「………………え」
久藤真理。
俺のクラスメイトだ。
「久藤、さん? なんであんたがこんなところにいるんだ」
驚愕し動揺する俺に対して、久藤さんは極めて冷静な口調で言った。
「私がこの機体のパイロットだから。それ以上の詳しい説明は後回し」
久藤さんは後ろのサブシートを起こしながらそう答えた。そして、コクピットから身を乗り出すと俺の方に向けて手を差し伸べた。
「とにかく今は、私のことを信じて」
淡々とした口調だったけど、どこか自信に満ちているように感じた。
差し出された久藤さんの手を握る。
学校でだってあまり話した事はない。
どんな人なのかも詳しく知らない。
今だって何が起きているのか、ちゃんと理解出来てない。
それでも、今、彼女のことを信頼してもいいと、心の奥底で確信することが出来た。
久藤さんにコックピットに引き上げてもらい、指示に従ってサブシートに座ると、シートベルトを閉めながら質問した。
「狙いが俺って、それに、防御壁の中に入っても助からないっていうのはどういうことだよ」
「あいつが本気になれば、防御壁を乗り越えたり壊したりすることぐらいは簡単にできる。もしもそんなことになれば町に甚大な被害を与えることになるわ」
「じゃあ、どこなら安全なんだよ」
「ここ」
久藤さんは指さしながら、さも当然であるかのようにそう言った。
「あなたは絶対に死なせないわ。もちろん町への被害も最小限に食い止める。そのうえで、あいつを駆逐する」
「駆逐するって、これから戦うのか? あいつと? これで? 久藤さんが? 俺を乗せたまま?」
「そう」
久藤さんがコックピットのハッチを閉め、人型装甲機を立ち上がらせる。
静かな駆動音を立てながら、モニターに映る景色が上がっていく。
それに少し遅れて、化け物もゆっくりと立ち上がる。
――ついに、戦闘が始まった。
先に仕掛けてきたのは化け物のほうだった。
腕を振り上げ走ってくると、俺達の乗る人型装甲機に向けてその腕を一気に振り下ろした。
化け物の右手の鉤爪が人型装甲機を襲う。
久藤さんは瞬時に防御態勢をとると同時に、機体をわずかに後退させた。
鉤爪が機体の装甲をかすり、火花が飛び散る。
しかし次の瞬間、化け物は防御体制の人型装甲機に対して左の拳を叩きつけた。
その衝撃で機体はさらに後方へと弾き飛ばされる。その衝撃は当然コックピットの中にも伝えられた。
「うおっ!?」
全く予想していなかった強さの衝撃にさらされ、俺はシートの後方に体を打ち付け、反動で前に飛び出しそうになったところを、シートベルトに拘束される。
久藤さんが前方のモニターで眼前の敵を見据えながらも、気遣うような口調で話しかけてきた。
「……大丈夫?」
「お、俺は大丈夫だ。気にしなくていい、全くもって問題ないぜ」
「……そう、それならよかった」
実際のところ、全く大丈夫じゃなかった。
はっきり言って怖かった。
それでも俺は、そのことを口に出さなかった。
〝女の子の前で格好の悪いところを見せたくない〟という意地によるものだ。まあ、この状況では、そんなものなんて何の役にも立たないかもしれないが。
「少し揺れるから、しっかりつかまっていて」
「……え?」
「あと、口を閉じて。舌を噛むわ」
久藤さんはその言葉を言い終わらないうちに、人型装甲機の腰の部分にマウントされていたナイフのようなものを引き抜いた。
人型装甲機の武器管制システムがそのナイフを認識し、モニターには『超音波刃』の文字が表示される。次の瞬間ナイフの刃の部分が、超音波による振動が加えられ、強力な切断能力を有する兵器へと変化した。
化け物はそんな人型装甲機に対して、再度拳を繰り出す。
久藤さんはそんな化け物の行動に対して、怯むことなく機体を前進させた。
自分に向かって突き出された化け物の腕に対して、逆手に構えた超音波刃で切り上げる。
超音波振動を加えられた刃は、化け物の右腕を簡単に切断した。
久藤さんは超音波刃を、瞬時に順手に持ち替えると、そのまま返す太刀で化け物の無防備な胴体に対して、逆袈裟切りを行った。
刃が化け物の皮膚を切り裂いた。
その直後、後ろへと飛びすさる。
少し遅れて化け物の右腕が落下する音と同時に、傷口から緑色の体液のようなものが噴き出した。
俺は、化け物から噴き出たそれが何なのかを理解するのに、少しだけ時間が必要だった。
「……うっ」
そして、それが化け物の血であると理解した瞬間に、モニターに映る化け物から目を逸らした。
化け物は喚き声の様なものを上げながら倒れるように片膝をつき胴体の傷口を左手で押さえる。
しかし、次の瞬間驚くべきことが起こった。
化け物の切り裂かれた部分が再生しだしたのだ。
まるで、動画を逆再生するみたいに傷口が塞がっていった。
数秒と経たないうちに化け物の胴体の傷が完全に消滅した。そして、何事もなかったかのように再び立ち上がったのだ。
右腕の切断面からの出血も止まっている。そこは新たな腕を生やそうとしているのか、グロテスクに泡立っていた。
モニターから目を離した俺とは対照的に、久藤さんはそんな化け物の姿を冷静に見つめていた。
そして、短く呟く。
「これで、終わらせる」
その後、久藤さんがとった行動に、俺は思わず自分の目と耳を疑った。
突然、何か呪文のようのものを唱え始めたのだ。
『我、旧き神の代行者なり! その尊き名のもとに、汝に命ず! 闇は闇へ、塵は塵へ、邪悪なるものは虚無へと還れ!』
呪文に応じるかのように超音波刃が光を放ち始めた。
同時に、襲いかかってこようとしていた化け物の動きが止まり、立ち止まったまま苦しそうな呻き声のようなものを上げ始めた。
詠唱はさらに続く。
『旧き神の印を刻まれし鋼の剣よ! 闇を切り裂く剣となれ!!』
詠唱を終えると同時に、久藤の駆る人型装甲機は金色の光を放つ超音波刃を構え、背面部のバーニアをふかしながら、目の前の敵に一直線に突っ込んでいく。
「――――っ!」
急激な加速によって生まれるGが、俺をシートの背もたれへと押し付ける。
金色に輝く刃は、化け物の腹部に勢いよく突き立てられた。
人型装甲機は、そのまま強い衝撃と共に急停止する。
化け物は、傷口から緑色の血を噴き出しながら、刃を突き刺された勢いでそのまま後方へと吹き飛ばされ、仰向けに倒れた。
周囲の防御壁や道路は、まるでペンキをぶちまけたかのように緑色に染まる。
仰向けに倒れた化け物は血を流したまま、傷が再生することもなくそのまま動かなくなった。
すると突然、化け物の体に異変が起こり始めた。
十メートルを優に超える巨体が急速に縮み始め、形状が崩れ液体状になってしまった。
数分で化け物の原型は完全に崩壊し、異臭を放つ直径数メートルの巨大な緑色の水たまりになってしまったのだ。
「……やっと、終わったのか?」
化け物が融解していく様子を、俺はモニター越しにぼーっと見つめていた。
「何がどうなっているんだ、いったい――」
もしかすると、これは悪い夢なんじゃないのか。
そんな考えすら浮かんできたけど、体に残る疲労感が、「これは現実だ」と確かに告げている。
「攻撃目標の活動停止を確認しました。これ……り保護対象を連……帰還……ま……」
無線でのやり取りをしている久藤の声をそこまで聞いたところで俺の記憶は途絶えた。
唐突に現れた非日常。
急速に変化する状況。
そして何より、次々と起こる異常事態。
今まで何とか気を張ってきたが、もう限界だった。
戦闘が終了した安心感と共に一気に気が緩み、俺は気を失ってしまった。