七
階段の踊り場で見つけた周防の木刀を手に自室へ帰る。
会議室で飯田に言われた言葉が、俺の心に突き刺さっていた。
「どれだけ、役立たず……」
言葉にすると、思わず笑えてしまった。本当に役立たずだと、心の底から思った。
肝心な時に、逃げ出していたじゃないか。そう罵倒された方が、余程マシだったかもしれない。
こんな状況で、自虐的になるなという方が無理な話だ。
自室へと入り、汚れたままベッドへ横になるわけにもいかず、軽くシャワーを浴びて、清潔な服に着替える。
昼が過ぎても、食事を取る気になれなくて、ベッドに腰掛けたまま携帯無線機を見つめていた。ひっくり返して裏を見れば、そこには管理棟の文字が書かれている。きっと、彰が機転を利かせて、管理棟の警備員室から持ち帰ったんだろう。
そういえば、管理棟に行った時、襲われたと話してたよな。秋月さんの話と彰の話、信じられないような内容だったが、可能性として見えてきたものもあった。
狂乱者も生きた屍も、何らかのウイルスに感染したのではないかということ。
この学院には、BSL(バイオセーフティレベルの略)4の研究施設がある。このことを知ったのは、本当に偶然だった。
学院長に呼ばれた帰り、院生が教授と口論しているところに遭遇した。その内容が、大学部の敷地に隣接して造られた研究施設のことだった。
「バイオハザードか……」
院生は、もし何かが起これば、それこそ取り返しのつかないことになると、教授に説明していた為、少し気になって調べた。ただ、政府の管理下に置かれている学院で、そんなことが起こる筈がないと軽く考えていた。
その院生が危惧していた事態が、実際に起こっているのかもしれない。
「感染……」
そう考えると、先生たちの殺害と生きた屍以外は、説明が出来る。皮膚からの出血、吐血、鼻からの出血、意識の混濁。
インターネットで調べたウイルス感染に寄って引き起こされる症状に酷似している。簡単に調べただけだから、専門的な知識はない。だが、限りなくウイルス感染が疑わしい。
問題は、感染経路だ。空気感染ならば、俺たちも発症しているだろう。と、いうことは、接触感染に限られてくる。そうなってくると、媒体は、体液・唾液・血液だろうか?
ここまで考えていくと、怖さが少し引いた。確かに、見知った人物から襲われるかもしれないというのは、未だに恐怖があるものだったが。
手に持っていた携帯無線機をズボンのポケットに仕舞い込み、立ち上がる。いつまでも、部屋に閉じこもっている訳にいかない。まずは、荒田に会おう。
荒田に会い、確認すべきことを幾つか頼み、俺は仄暗い階段を上る。
屋上へ続く空間の前には、しっかりと脚立が置かれていた。それを使い、屋上に出る空間へ上がる。入口は狭いが、奥へ進むと広いスペースがあった。
先にある扉を開けば、眩しすぎる日の光が目に映り込んできて、顔を顰める。たった数時間、薄暗い屋内に居ただけだというのに、何日も日の光を浴びていなかったように思えてくるから不思議だ。
「今日は、こんなに良い天気だったんだな」
朝から悪いことばかりが続いた所為か、空を見上げる余裕なんかなかった。
「こんな場所に、何の御用ですか? 谷崎生徒会会長殿」
空を仰ぎ見ていると、後ろから声を掛けられた。振り向けば、飯田が居る。探していた人物と早々に会えるとは、幸先がいい。
「飯田、今の状況を詳しく教えて欲しい」
「周防部長とは、話されなかったのですか?」
「……まだ、話していない。彰は、俺の体調を気にして話さないだろう。だから、飯田に教えて欲しいんだ」
俺のことを嫌っている飯田なら、何もかも包み隠さず話してくれる。
それに、飯田は厄介な相手かもしれないが、仕事に関しては妥協をしない。嘘を吐くこともない。信頼出来る相手でもあった。
「御自分の体調管理すら、ままならない谷崎生徒会会長殿が、リーダー気取りですか? ふざけるのも大概にしてください。どれだけの犠牲者が出でいると思ってるんですか。役に立つ気がないなら、ずっと自室に引きこもっていればいいんです。今朝だって、周防部長の帰りを待つべきだったんです」
飯田の言い分は、尤もだ。だから、甘んじて受けよう。
「……その通りだ。今回の件、事態を収拾するには、執行部の実行力と知識が要となる。機動力としても、リーダーとしても、今回の件は、執行部部長である彰の方が相応しい。生徒会メンバーは、人数も少ない。サポート役に回らせてもらう」
その言葉に、飯田は目を瞠り、動かなくなった。そんなに意外だったのだろうか?
「こんな非常時に、トップを二人置いても、混乱を招くばかりで良い結果は得られない」
「た、確かに、そうですね。賢明な判断でしょう」
気を取り直したように返事を返す飯田に、苦笑する。
「そんなに、意外か?」
「歴代の生徒会会長と谷崎生徒会会長殿は、かなり、掛け離れていらっしゃるので……正直なところ、意外過ぎて戸惑います」
「そうか。それは、良かった」
カラカラと声を上げて笑うと、屋上に居た面々がギョッとした顔で、こちらを見た。
目の前に居る飯田は、口をポカンと開けたまま、目を見開いている。その顔が可笑しくて、余計に笑えた。
まあ、彰の前では、普通に笑うが、他の人間に見せたことが無いのだから、当たり前の反応かもしれない。
「それじゃあ、本題に移ろうか。包み隠さず、全てを話してくれ」
生徒会会長として飯田に話しかければ、飯田も小さく頷いた。