十五
遅めの朝食を済ませると、俺は一人で後片付けを始めた。史哉と彰は、秋月を連れて屋上へ行っている。どうやら、其々気になることがある様子だった。一緒に行こうと誘われたが、一人になりたくて断ったのだ。
作り過ぎてしまったおかずにラップをかけて、大型冷蔵庫へ入れる。使った食器を洗いながら、頭には殺してしまった五人のことが浮かぶ。
「……どう、なるんだろうな」
泡だらけの自分の手を見て、溜息を吐いた。じっと見つめていると真っ白な泡が、赤く染まるような気がした。たとえ、死んでいたとしても、確かに俺は、仲間を一般生徒を殺してしまったのだ。
「俺、戻れるのかな?」
一昨日までの、自分。これからの、自分。……きっと、無理だ。
あの時の音が、感触が、血の色が……全てが、頭に焼き付いていて離れない。普段なら、きっと倒れていたはず。それなのに、あの時の俺は妙に冷めていた。そんな自分が恐ろしい。忘れられるのかと問われれば、否だ。忘れられるはずがない。
荒田には生きると言ったが、果たして生きていていいんだろうか?
彰は、どう思っているんだろう? 彰も、俺と同じように苛んでいるのだろうか?
ぐるぐる回って。――――答えが出せない。
気持ちを切り替えて、食器を濯ぎ、後片付けを済ませる。ありきたりだが、絶望したら助けられる命も助けられない。助けると言うのは、烏滸がましいかもしれないが。
それでも、今は三人を守ることだけを考える。……きっと、彰や史哉は怒るだろうけど。そう決意して、胸元に下がる鍵付きの鎖を取り出し、倉庫へと向かった。
倉庫の床面にある、巨大な扉。『開かずの扉』と生徒たちに呼ばれているが、実際は歴代の生徒会会長に鍵が引き継がれている。
ガチャン
鍵を開け、横引きになっている扉を開けば、地下倉庫へ続く階段がある。
この地下倉庫に入ったのは、前任の生徒会会長から鍵を受け継いだ時の一度だけ。ここにあるのは、殆どが紙の束だ。表に出せない書類等が納められていると聞かされた。
そして、俺が欲していた物も此処にある。――――武器として使える物。否、武器その物だ。
勿論、武器と言っても銃火器があるわけじゃない。木刀と剣鉈を取りに来た。木刀は、俺が使っている鍛錬用の木刀より、少し太く長い。剣鉈は、狩猟用だろう(先輩の話では、害獣が頻繁に現れた年があり、その期間だけ猟師が在住していたらしい)。
刃の長さは、然程無い。しかし、使い勝手が良さそうだった。剣鉈の皮サックをベルトに通して吊り下げるとちょうどいい感じになった。
室内を見渡せば、他にも廃部になったと思われる部活動の道具が並べられている。その中に薙刀やクロスボウがあることに気付いた。あれば役に立つだろう。しかし、どうしても持っていく気持ちになれない。クロスボウを持って行けば、必ず史哉が手に取ると解っている。
甘い考えだと解っているが、出来ることなら、史哉に人殺しをさせたくない。俺は、他の武器をそのままにして地下倉庫を出ることにした。
地下倉庫の鍵を閉め、腕時計に目をやれば十時半過ぎ。三人は、まだ屋上に居るのだろうか? 携帯無線機に連絡もなければ、一階に戻ってくる様子もない。
何かあったのだろうか? 不安になり、俺も屋上へ向かうことにした。途中で自室へ立ち寄って木刀を置き、三階に上がるが、そこにも姿がない。
「まだ、屋上なのか?」
随分と時間が経つ。本当に何かが起こったのかもしれない。慌てて南側階段まで走り、屋上への扉がある空間へ上がった。入口が狭いのが難点だが、奥へ行けば広い。そこに探していた三人の姿があった。
「こんなところに居たのか」
声を掛けるまで、俺の存在に気付けなかったらしい。三人とも随分と驚いた顔で、俺の方へ振り向いた。
「驚かさないでください」
「普通に上がって来ただけだろ。驚くなよ」
こっちは、帰って来ないから心配していたというのに。
「大体、こんな場所で話し込んでるとは思わなかったんだ」
そう言って、史哉と彰の顔を見る。その顔が、若干青ざめているように見えた。予想通り、何かがあったのだろう。
「何の話をしていたんだ?」
近くに立つ彰に近寄り問いかけると、その顔が尚更、曇っていく。
「……これからのことだ」
「これからって、籠城するしかないだろ。部員たちの行方も分からないのに動くわけにいかない」
「それが……役員寮も安全だと言い切れなくなったんです」
は? 役員寮が危険だというのか? 役員寮以上に頑丈な建物は、図書館だけで他に無い。しかし、ここが危険だというなら、同じ造りの図書館も危険だということだ。
「どういうことだ? 話せ」
納得がいかず、声音がきついものになる。史哉の顔色も悪いが、構っていられなかった。
「屋上で、血痕を見つけたんです。部員たちが、何者かに襲われた可能性が出て来たんですよ」
史哉の思いがけない言葉に絶句する。
何者かに襲われたって……外付けの非常階段もないのに、屋上まで、どうやって上って来れる? いくら生きる屍や狂乱者になったとしても、身体能力が上がるとは到底思えない。だが、彰が何も言わないということは、その血痕を見たのだろう。
「屋上に居る人間を襲えるような化け物が、近くに居ると言いたいのか?」
そんな化け物が居るなら、確かに籠城の意味がなくなる。それ以前に、学院を閉鎖した意味すらなくなってしまうだろう。
「……言い出したのは、僕じゃありません」
史哉の視線は秋月へと向けられた。
「私が言ったの。谷崎 澪君」
俺に向けられた強烈な眼差しに、戦慄を覚えた。
「男子生徒を襲ったのは、実験体が進化した者かもね。そのうち、ここの扉が破られるわ。他の扉に比べたら、脆いもの」
秋月は屋上の扉を指差し、そう言った。