十二
次に目を覚ましたのは、それから一時間も経たない、午前三時。今度は、煌々と明かりが灯されていた。
「目が覚めたようですね。吐き気や頭痛がありませんか?」
僅かに頷けば、飯田からミネラルウォターを手渡される。
「丸一日、何も口にしていないんです。喉が渇いているでしょう?」
言われるまで気づかなかったが、確かに喉が渇いている。受け取った水を、少しずつ口に流し込めば、冷えた水で喉が癒されていく。
「飲みながらでも構いませんから、腕を貸してください」
腕を差し出しながら、史哉を見るとベッド脇に椅子を持ってきて座っている。俺の机の上には、医務室から持ってきたのか、医療品が並んでいた。史哉は、そこから血圧計を取り、俺の腕に巻きつけた。
「…………正常ですね。身体に違和感はありませんか?」
「……無い。少し、頭が痛いだけ」
徐に視線を壁際へ移すが、木刀があるだけで、彰の姿はなかった。
あの時は、頭の痛みで、何故、それほどまで無理強いするのか、理解できていなかった。でも、今なら落ち着いて考えられる。
彰が無理やり記憶を思い出させたのは、俺の為だ。今の状況で、全てを忘れてしまったら、俺は、再び狂乱者や生きる屍を恐れていた。そうなれば、俺は逃げ惑うだけで、戦うことが出来ないまま奴らの餌食になるしかなかっただろう。
「彰のことが、気になりますか?」
ぼんやり壁を見ていると、史哉に話しかけられた。
「……彰、泣いていた」
微かに残る記憶。俺を押さえつけ、怒鳴りつけた彰。最後に怒鳴った時、確かに、彰が泣いていた。悲しそうな……辛そうな眼をしていた。
「ええ、泣いていたようですね。でも、澪も記憶を閉ざしてしまいたくなるほど、辛かったのでしょう?」
確かに辛くないと言えば、嘘だ。でも、だからと言って、忘れていいことじゃない。
「斉藤が起こした不始末だから。俺が、やるべきことだった」
「……その所為で、彰が泣いたのだとしても、同じ言葉が言えますか?」
その所為? どういうことだ?
壁から史哉へ視線を向ければ、厳しい目で俺を見つめている。
「確かに、澪のお陰で犠牲者は五人で済みました。澪が気づいていなければ、もっと被害者が出ていたかもしれません。ですが、戦い終わった時のことを覚えていますか?」
戦い終わった時のこと……。二人が部屋へ飛び込んできて、血を洗い流せとシャワールームへ連れて行かれたような気がする。
史哉は、椅子から立ち上がり、壁に立て掛けてあった木刀へ手を伸ばした。
「血液感染を起こすと言い出したのは、澪ですよ? これは、万が一の時のことを覚悟してもらう為に、僕が彰に渡したんです」
万が一の時のこと……。
「俺が、生きた屍になった時の為……、か?」
いくら血を洗い流したとしても、その前に感染していればアウトだ。おまけに、俺は昼間、怪我をしていた。プロテクターフィルムを貼っていたとしても、感染を疑われて当たり前の状態だったわけだ。
「その通りです。激情に身を任せて戦うのは、愚の骨頂というものです。長を務めるならば、殊更、己を律し、物事を冷静に判断できるように努めることが大事なのです。違いますか?」
「……違わない、な」
だが、彰が泣いた理由にならない。
「頭脳明晰なのに、随分と人の心情には疎いようですね」
史哉は小馬鹿にするようにクスリと笑い、そして木刀の切っ先を向け、俺を睨みつけた。その目に宿るのは、純粋な怒り。
「澪が生きた屍になったら、彰や僕は貴方を殺さなければならなくなるのですよ? そのことで、僕たちがどれだけ苦悩したと思っているんです?」
言われるまで、失念していた事実に息を飲む。
「一人で行かせるべきではなかったのだと、どれだけ悔やんだことか。彰も、何故、澪の言葉に納得してしまったのか、せめて食事が終わるまで待たせて三人で行けばよかったのだと、一日中後悔していました。澪が彰と同じ立場に立たされた場合のことを想像すれば、彰が泣いた理由が自ずと解る筈です」
自分が彰と同じ立場……。彰や史哉が生きる屍になったら、俺は…………。
「ごめん。……俺、そんなつもりじゃなかったんだ」
謝って済むようなことじゃないのは、解っている。それでも、他に言葉が見つからない。
「解っていますよ。ただ、理解してもらいたかっただけです。大切な友人……彰から見れば、澪は親友なんです。どれだけ、辛い思いをしたか、解ったでしょう? もう、あのような無茶はしないでください」
昨日見せてくれた優しい微笑みを称え、飯田が訊ねてくる。それに頷けば、飯田も頷き返した。
「動けるなら、彰にも謝りに行きなさい。彰の方が、僕よりずっと辛かったのですから。いいですね」
背を押すように、強い口調で言う。ベッドから下りると、多少ふらつきがあるものの、歩けなくはなさそうだ。
「……ああ。そうする」
随分と小さな声になってしまったが、飯田には聞こえたらしい。携帯無線機を差し出された。
「澪が持っていた携帯無線機は、シャワールームで水浸しになって使えなくなりましたから、その代りです。今度は、壊さないでくださいね」
用事は終わりだという様に背を向けられる。手渡された携帯無線機をズボンのポケットにねじ込み、俺は自室を出た。