7回目
潤が自分の名前を告げた時、後ろから彼を押さえつけている手が外れた。外れると同時に、鋭い悲鳴めいた叫びが空気を引き裂いた。
振り向いた視線の先に、それまで潤を押さえつけていた男の見開かれた瞳があった。
青い二粒は、恐怖に震えながら潤を見下ろしている。
いや。
忌まわしいものを見るような、見てはならないものを見るような、そんなまなざしだった。
なんで………。
わからなかった。
そう。
そんな目で見られる謂れなどない。
どうしてだと、ただ見上げていた。
凍りついた空気を砕いたのは、黒をまとった男の含み笑いだった。
ゾッと、頭からぬるりとした生あたたかな何かを浴びせかけられたかのような不快な感覚が、潤を捉えた。
「そうか。その名では、口にはできぬな」
では、私もお前のことはジュンと呼ぶことにしよう。
「?」
男の真意を汲むことなど、この時の潤にできるはずもない。
何故、この、目の前にいる迫力のある男が、自分の名前を呼ぶ必要があるのか。
金輪際会うこともないだろう、地位の高そうな男だというのに。
「ジリア。先ほどの名は忘れよ」
「ぎ、御意」
ジリアと呼ばれた男が深く腰を折る。
「さて。ジュン」
全身の震えを堪えようと両手で自分自身を掻き抱いていた潤は、男の声に全身を震わせた。
強いまなざしに背けた顔を、無理矢理男に向けられた。
顎を捉える男の手から有無を言わせない意志の強さを感じていた。
「我が名を告げるわけにはゆかぬが、我をグレンと呼ぶことを許そう」
「王っ」
ジリアの悲鳴が再び潤の耳を射た。
「ご自身が何を仰られているのかっ」
「ジリア」
静かな、それでいて有無を言わせさない鞭の一振りのような声音だった。
「も、申し訳ございません」
王と呼ばれ、グレンと呼べという男を、ただ、潤は見上げる。
何を言っているのか、グレンのことばを理解するための情報が、潤には欠けていた。
「わからない。と言う顔をしているな」
クツクツと喉の奥で押し殺すような笑い声が、潤を逆毛立たせる。
粘つくような笑い声だ。
しかし、潤はそんな笑い声であれ、彼が笑ったことがどれほどの驚愕をジリアに与えているか、わずかも気づきはしなかった。
王がどれほどの歳月を笑うことなく過ごしてきたのか、潤が知るはずもなかったのだ。
顎を、グレンが引き上げようとする。
地面に腰を落としていた潤が膝立ちにならざるをえないほど強い力だった。
眉間に痛みのために深い皺が寄せられる。
「男であり女である。まるで、反対だな」
誰と?
聞くよりも先に、驚きが立った。
どうして、知っているんだろう。
知っているのは、メガンだけなのに。
「お前のからだが完成されれば、私はお前を抱こう」
揺るぎのない主張が、潤を縛めた。
それは決定であり、覆されることはないのだと。
「では」
ジリアがすべての感情を押し殺し、
「ご側室さまにお部屋を準備致します」
そう告げた。
告げられたことばを理解した潤は、そのまま、意識を手放した。
もはや、すべては、潤の手には負えないところまで追いやられたことを認識したための、現実逃避に過ぎなかった。
それでも、それは、潤に必要な休息でもあったのだ。
ちょっとこの場面、しつこいですね。済みません。