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呼ぶ声  作者: 工藤るう子
6/21

6回目







 夢を見る。


 知る者とているはずのない名を呼ばれる夢を。








 うたた寝をしていたのか。


 男は書類を一瞥すると不裁可の山に落とした。


 その夢を見た後は、久しく頭痛に苛まれる。


 眉の間を指先で揉みほぐした。


 椅子から立ち上がると、男は場所を移す。壁際のカウチのひとつに身を横たえた。片手の甲を額に、目を閉じた。


 鈍いものの確かな痛みが、男の頭を冒してゆく。


 夢の続きのように、視界が赤く染め上がった。


 聞こえるはずのない声が、悲痛な響きをはらんで聞こえてくるような気がした。


 絶望に囚われた声が、男の耳に谺する。


 静かな、落ち着いた声の主だった。


 男とも女ともつかないやわらかな声で呼ばれることが、好きだった。


 憂いを帯びた琥珀の瞳と七色に輝く白銀の髪の、男が愛したただひとり。


 まなざしの奥に絶望を宿して、それでいて男を愛したただひとり。


 いや。


 あれもまた、男と同じく、一柱と呼ぶべき存在だった。




 太古の獣。


 男が世界を手にするための犠牲となった、最後の古の神だった。




「王よ」


 扉の外からの声に、男は夢幻の世界から現実へと立ち戻った。


 カウチの上に身を起こし、ゆるくひとつ首を振る。


 男の記憶からあふれだしたかのようなあたたかな色に染まった部屋の中、黒をまとう彼だけが闇のようだった。








 黒をまとった丈高い男が潤を見下ろしてくる。


「なにをしている」


 霞む視界の先、着衣の黒にも似た男の声に、潤の背中が鳥肌立つ。


「答えないか」


 別の誰かの声と同時に、潤の顔が仰向けに晒された。


 首に走った痛みに、新たな涙がにじみ出す。


 その歪む視界の先に、無表情に潤を見つめる瞳があった。


 整えられた漆黒の髪を後ろに梳き流した秀でた額に嵌った鈍い黄金の額飾りの下、猛禽にも似た鋭い二つの目があった。それは、若くもなく老いてもいない、理想的な男性の容貌の中から、無表情に潤を見下ろしていた。


 ただ黒い、いや、昏いものに倦みはてたようなまなざしが、潤の視線を捉えた刹那、ふと揺らいだかに見えた。それは、誰にも捉えられることのない錯覚とも思える束の間のことではあったが、ほんのわずかな戦慄ではあったが、確かに男の心が小波立った証であった。


 もちろんのこと、男のまとう雰囲気に怯える潤には、捉えることができないほどかすかな変化に過ぎなかった。


「その制服は、北の塔に詰めるものだな」


 男の示唆に、潤を背後から縛める誰かの手が震えるのを潤はかすかに感じていた。


「まだ若いな。十、四か、五といったところか?」


 鋼めいた鋭さをはらむ視線には、幾ばくかの暖かみも感じることはできない。


「答えないか」


 繰り返される強要に、


「じ、十七……」


 潤は絞り出すように答えた。


「歳の割には幼いな。名はなんと言う」


 三たびの強要を恐れた潤が、


「ジュン」


と、口にした。


 その刹那に、潤は頬に軽い衝撃を感じた。


「誑るか」


 衝撃に閉じた瞼をもたげた瞬間、潤は後退さろうとして、ならなかった。


 目の前に、男の顔があったからだ。


 男の目が、先ほどとは違う何かを宿して、潤を凝視していた。


 視線を逸らすことなど、できなかった。


「た、たばかってなんか………」


 それだけを口にするのさえ、やっとのことだった。


「なら、本名を答えよ」


 言っちゃ駄目だ。


 青ざめたメガンの顔が脳裏をよぎった。


 しかし。


 目の前の男の怖いほどのまなざしに、迫力に、逆らうことはできなかったのだ。


「うるう」


と、潤は、ここに来て以来呼ばれることのない名を口にしていた。


短くて申し訳ありません。

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