鴉は月夜に舞う 3
今回は飛燕が出ずっぱり。
竜夜は全くでない。
この小説の主人公は誰だ。
竜夜の話が好きな方、ごめんなさい。
あと二話ほどで飛燕の話は終わります。
このシリーズが嫌いな方は、後二話ほどご勘弁ください。
その後は、魔女だったりシスターだったり神父だったりと、盛り沢山なので!!
君がため 惜しからざりし命さえ
長くもがなと 思ひぬるかな
「月夜、逃げよう」
飛燕が月夜の屋敷に仕え始めてから半年が経った時のことだった。
とうとう飛燕の主が痺れを切らしたのだ。
「俺の主から連絡が来た。待てど暮らせど俺がお前を手にかけないから。半月以内に仕事をやらないと、他の忍びを次々に送ると。だから、逃げよう」
「殺す」という率直な言葉を使わないように気を遣う。飛燕が人に気を遣う等、生まれて初めてのことであった。
飛燕にとって恐れるべきは、他の忍びが来る事ではない。
御役御免になって、月夜の傍から離れる事であった。
「逃げるって、どう言う事です?どこに逃げるのですか?」
夜半過ぎ、無理やり叩き起こされた月夜は、眠い眼をこすりつつ聞いた。
「俺の生国、伊賀へだ。他の国に逃げるには時間も何もかも足りない。旦那には俺から説明をする。お前の体について。そうしないと、俺は仕事を干され、お前の傍から離れなくてはいけなくなる。それは嫌だ。いいか?」
早口にそう言うと、月夜の肩をがっしと掴んだ。
「逃げないと、お前はいつまでも狙われ続ける。そして何人もが死んでいくんだ。それはお前とて嫌だろう?」
月夜の瞳を見つめ続ける。
人心掌握術。
よく言えばそうだが、飛燕は一種の洗脳術を月夜に対して使っていた。
肩を抱き、瞳を見つめ続ける。相手より高い位置に体を置き、上から見下ろすようにする。顔は鼻まで藍布で隠す。
そして相手に口を挟ませず、語気を強めて、如何に今が切羽詰った状況であるかを言う。
さらに相手の弱点を打つ。月夜の弱点は「優しい性格」、まさにそれであった。
そうして「気」を送る。忍者の得意とする技だ。
しかし、月夜はその「気」を送るまでもなく飛燕に洗脳されていた。
元々が武家の箱入り娘だ。それに病弱で外に出た事もない。
そんな月夜を洗脳するのは至極簡単な事であった。
月夜はこれでもかと言うくらいに顔を青ざめさせ、口を小さく震わせていた。
「いいか、判ったか?明日にでも逃げる。俺が用意をしておくから」
そう言うと、飛燕は月夜を布団に戻し、自分は屋根裏へと消えた。
翌日。
月夜は女中達に気付かれぬように自分の身の回りのものを用意していた。
朝餉のとき、飛燕が御膳を月夜の目の前に運びながら囁いた。
『必要なものを用意しろ。今夜発つ』
一瞬、空耳かと思うほどの声だった。飛燕の顔は目の前にあるというのに、後ろから声は聞こえてきた。
そして、初めて理解した。飛燕は忍びなのだ。
判っていたはずだが、まるで実感が無かった。今まで来た暗殺者は皆自分が目覚める前に事切れていたし、忍びの技を目の前で見たのは生まれて初めてだったのだ。
そんな飛燕が逃げようと言うのだから、余程状況は厳しいのだ。
この世間知らずの姫はそう考えた。
虫干しだと言って、女中に出させた衣服の中から特に高価な着物を十数着取り出した。
伊賀の者は金銭に執着すると聞く。
もし、飛燕殿が私を連れて行ったことで迫害されても、金銭さえばら撒けば何とか許してもらえるかもしれない。そう考えた上での事であった。
「父上は・・・?」
ふと、思い出したように女中に聞いた。
「?お館様はお勤めにお出になっています」
何を、と言う顔で女中は答えた。
飛燕から洗脳を受けていた月夜は、父のことさえ忘れていた。
そして、また直ぐに洗脳の気を見せた。
自分がこの家にいると、家のものまで危険にさらす。
現に、一度女中頭が飛燕に殺されそうになっていた。
私はここに居る訳にはいかない。
この姫が姫たる所以は、この世間知らずのお嬢様育ちにあった。
「そう・・・」
とだけ月夜は答えた。
夜が更けた。
一つだけ灯した蝋燭の前にきちんと座っていた月夜の前に、忍び装束の飛燕が現れた。
「用意できたか」
見れば、大きな風呂敷包みを抱えている。
「それは?」
月夜が背の包みを指差して聞く。
「金子だ。この家にあるありったけの金子を気付かれないように集めた。これを土産に旦那のところへ戻れば、旦那もいくらかは気分も治ろう」
よいしょっと、飛燕が包みを背負いなおす。
「はあ・・・」
月夜はまだ洗脳の渦中にあった。
ありったけの金を奪われた自らの家が今後どうなるかなど、考えてはいない。
「行こう」
月夜の荷物と月夜を抱え、屋根裏に上った。
予め開けて置いた屋根を開け、屋根の上に上る。
「月夜、少々怖いかも知れんが、我慢してくれ」
と言うと、わっと宙を跳んだ。
次々と屋根の上を渡り、空を裂く。
月夜の艶やかな着物が、空中に舞う。
しまった、と飛燕は内心舌打ちをした。
飛燕は忍び装束をつけているから良いものの、月夜の格好は目立ちすぎる。
しかし今更どうする事もできない。脱げと言う事もできなかった。脱いだらそれこそ目立つ。
これは気を引き締めなければならんな。
飛燕はそう感じた。
道中、飛燕たちは商人を装った。
粗末な着物をわざわざ買い、月夜はそれに身を包んだ。追いはぎに遭って、いらぬ殺戮を月夜に見せまいとする飛燕の気遣いからであった。
夜中は飛燕に背負われて、月夜は伊賀へと向かった。
数日後、飛燕と月夜は伊賀の主の館の座敷にいた。
着いたのは真夜中。しかし飛燕はかまわず主を訪ねた。
襖を開け、主が入ってくる。
「何ゆえ帰ってきた」
明らかに不機嫌な顔である。夜中に叩き起こされたのもあろうが、仕事もせず手ぶらで帰ってきたであろう飛燕に対しての苛立ちが不機嫌の大半を占めていた。
「仕事がはかどらぬ理由を説明しますれば」
畳に伏している飛燕の後ろで、打ち掛けを頭から被っている月夜が、小さく体を震わせた。
「月夜、面を上げろ」
飛燕に促され、ゆっくりと月夜が頭をもたげる。
主はほお、と声を上げる。
「聞きしに勝る美しさだの」
そんな言葉は聞き流し、飛燕は小刀を取り出した。
「ようく眼をお開きになってご覧くださいますよう」
そして小さく、済まぬ、と呟いた。
飛燕は勢い良く月夜の細い首筋に刀を向けた。
しかし、例のごとく、寸前で刀は弾き返された。
主が眼を見張る。
「な、何じゃそれは」
若干わざとらしいほどの驚きを見せる。
「これが仕事がこなせぬ理由にござります。何度やっても、このように拒まれるのです。この女の中の憑き物の仕業にござりましょう」
「して、何ゆえその女を伊賀へと連れ帰った?そんな女、わが国に災厄をもたすやも知れぬでは無いか」
おろおろと主が戸惑う。
「この女、私がいれば自分の家に迷惑がかかる、と言いました。俺がこの女の屋敷の女中頭を殺そうとしたのを見たのです。たとえ俺が伊賀へと帰っても、次々に来る刺客に巻き込まれ、屋敷のものが危険にさらされると」
作り話である。飛燕は月夜なら考えそうな事を適当に言った。
月夜が哀しそうに俯く。当たっているのだ。
「う・・・うむ・・・・。その女は稀に見る心根の優しい女と聞く。そういうのも判る気がするが」
主は思案顔で顎に手を空ける。
「そうじゃ、毒はどうなのじゃ?内から壊せばよいではないか」
「それも試みましたが、無駄にござりました」
これも嘘である。試してなどいない。
「・・・・・・」
主は口をつぐみ、やがて思い切ったように言った。
「判った。ちと思案するゆえ、待っておれ。その女はお前が預かっておけ」
ひらひらと手を振り、襖を開けて、去って行った。
「あんた何考えてんの!?憑き物女なんて疫病神に決まってるじゃない」
その日の昼間、海猫が飛燕に噛み付いてくる。
「うるさいの。お前はいつもうるさい」
わざとらしく耳をふさぐ。
「ただの箱入り娘なんてすぐ飽きるわよ!」
海猫は飛燕の背中を蹴る。いて、と言って飛燕がよろける。
「ああ、確かに箱入り娘だけど、飽きはしねえぞ」
月夜は驚くほど世間を知らなかった。
主の屋敷から飛燕の家に帰ったときのことだった。
「上手くいったな」
ホクホク顔で、自分の家の扉を空ける。
飛燕の家は粗末な小屋で、部屋の真ん中に囲炉裏が一つだけ、薪が隅に積んであるだけ、家具といえば机と小さな箪笥だけの殺風景な場所だった。
飛燕は扉を開け、囲炉裏に火を灯し薪をくべていった。半年も家を空けていたせいで小屋は随分と汚い。
ふと見ると、月夜の姿が無い。
「月夜!?」
慌てて外に出る。
月夜は姿勢良く小屋の外に立っていた。
「なぜ入らない?」
飛燕が聞くと、
「飛燕殿のお仕事場には入らない方がいいと思いましたので」
飛燕はきょとんとした。仕事場?
「仕事場って?」
「だって、久しぶりに伊賀へお帰りになったのです。忍びというのは、自分の武具をまずお確かめになるのでは?ここは武具小屋でしょう。女が入っていいような場所ではございません」
これには恐縮した。月夜は飛燕の家をただの物置と勘違いしたのだ。
「いや、月夜・・・」
「では、屋敷はどこです?見渡したところ、屋敷のようなものは見えませぬが・・・」
小さくなりながらも、飛燕は正直に答えた。
「ここだ」
「え?」
「この小屋が、屋敷だ」
生まれてこの方、外になど出た事がない。
生まれてこの方、屋敷以外の建物を知らない。
驚くほど外の世界に疎い月夜は、その事実をなかなか受け入れられなかった。
しかし、月夜は心根が良い。
飛燕に対して失礼な事を言ったと、すぐに悟った。
「も、申し訳ありません!」
謝られると余計につらいのだが、飛燕はいやいや、と受けながした。
しかし、世間知らずな月夜と暮らす事は、存外飛燕にとって楽しい事だった。
風呂が無い事を知って、なら川の水が温かいのかと聞き返されたことも、楽しかった。
この楽しい日々がいつまでも続くと、考えていた。
甘かった。
いつの時代だって、鴉は迫害される。
飛燕は、自分が鴉であるという事を
自覚していなかった。