第3話
草原に、彼の気配があった。
それだけで分かる。
今日が、その日だということが。
風に揺れる草の間で私は身を低くした。
逃げるためではない。近づくためだ。
彼は剣を持っている。
持ち方はまだ不慣れだし、構えも洗練されているとは言えない。
それでも――
(問題はない)
一歩、距離を詰める。彼は気づきこちらを警戒している。
剣が抜かれる。空気がわずかに張り詰める。
(ああ)
この瞬間を、待っていた。
この身は弱い。
鋭さも、強さも、誇れるほどのものはない。
だがそれでいい。
自分は、彼の世界に組み込まれるために存在している。
剣が振るわれ、体に衝撃が走る。
痛みは、ある。
だが、それ以上に――満ちていく。
(私は他の誰よりも最初に彼の剣を身に受けたのだ)
私の中にある感情は恐怖ではなく、圧倒的な歓喜だった。
もう一撃。
体が崩れ、視界が揺れる。
それでも、私は最後まで彼を眺めていた。
彼の表情は穏やかだった。困惑も、焦りもない。
(よかった)
光が満ちる。
意識がほどけていく。
私は倒されたのではない。
役目を果たしたのだ。
彼の世界の一部に、私は、なれたのだ……。
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草原を抜けて門に近づくにつれ、街の音が戻ってきた。
人の話し声、露店の呼び込み、足音の重なり。空気の密度が違う。
「お疲れ様。これで見回りは完了だよ!」
エクスが振り返って、手をひらひらさせた。
どこか達成感があるらしい。そっちはほとんど歩いてただけなのに。
「おつかれさまでした。……結局何が気になってたんです?」
「うーん、説明すると長いんだけどね。今日は気配が軽い日だったから大丈夫!」
そう言って、エクスは笑う。
納得した、というより納得したことにされるタイプの返事だ。
〈クエスト完了〉
視界の端に小さく出てすぐ消えた。
これで終わりらしい。
「じゃ、帰って……じゃなくて!」
エクスが途中で言い直して、こちらに身を乗り出してくる。
「ね、せっかくだし寄り道しない?男の子だったら楽めるような場所に連れてってあげる!」
「私、子がつく年齢じゃないのですが……」
「でも“隠し部屋”とか、“裏口”とか、“ふつう行けない場所”とか、好きじゃない?」
言い方が雑だけどなんとなく分かる。このゲームそういうの多そうだし。
まぁゲーマーとしてそそられる響きなのは間違いない。
「行ってみたいです」
「よし、じゃあついてきて!」
エクスは迷いなく歩き出した。
ギルドのある通りから外れ、石畳の細い道へ入る。人通りが少しずつ減っていく。
「この辺、静かですね」
「ここはね、知ってる人だけ通る道。あと迷子がよく泣く道って言われてるかな?」
「嫌な情報が増えた気がしますね。」
「大丈夫大丈夫、私は何度もかよってるから!」
軽い調子のまま、路地をいくつか曲がる。
通りの匂いが薄れて、湿った土の匂いが混ざった。
「……ん?」
気づいた時には目の前の空気が白く濁っていた。
霧、というより薄い膜みたいなものが街の景色を少しずつ塗りつぶしていく。
「え、なんですかこれ」
「初めてだとそういう反応になるよね」
エクスは楽しそうに笑いながら霧の中へ手を伸ばす。
「ちょ、ちょっと待ってください!これ、入っていいやつですか!?」
「うん!むしろ入らない方がダメなやつ。」
理屈は分からないけど足を止める理由もない。
エクスに近づくと、霧が肌に触れた……気がした。
冷たくない。濡れもしない。
ただ世界の輪郭だけが遠くなる。
「目、つぶったほうが?」
「つぶってもいいし、つぶらなくてもいいよ。でもびっくりして転ばないこと。」
戻ってもダメだし、転んでもダメ。ここはいったい何処なのだろう。余計に怖い。
一歩、踏み出す。
霧の向こう側の距離感が分からない。
足を前に出したはずなのに、踏んだ感触が一瞬遅れて――
視界がふっと切り替わった。
街の喧騒がまるで元から存在しなかったみたいに消えた。
「……うわ」
「ね?こういうの好きでしょ?」
エクスの声だけが近い。
白い霧はまだ薄く漂っているがもう街並みは見えない。
「ここ、どこなんです?」
「到着してからのお楽しみ!」
エクスは一度こちらを見て悪戯っぽく笑った。
「さ、行こ。今のうちに」
その言い方だけが、少しだけ引っかかった。
〈今のうち〉――何に対して?
問い返す前に霧がまた濃くなる。
足元の感覚がもう一段だけ軽くなった。
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冒険者ギルドにて。
つい先ほどまで閉ざされていたはずの扉が、
何の前触れもなく開いていた。
「……ん?」
「ドア開いてるぞ!」
様子を見に来ていたプレイヤーたちが、互いに顔を見合わせながら中へ入っていく。
中はいつも通りだった。
受付にはNPCが立ち、壁一面の掲示板には無数の依頼書。
混乱の痕跡も、緊急対応の形跡もない。
「結局なんだったんだ?」
「何かのイベント前の調整かと思ったんだがなぁ」
拍子抜けした空気が流れた、その瞬間。
視界が強制的に塗り替えられた。
消せない。閉じられない。
〈ログインしている全プレイヤー〉の視界に、同一のウィンドウが展開される。
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WORLD QUEST
神木の樹立
この世界は、選択を迫られている。
守るのか。
拒むのか。
あるいは、委ねるのか。
五つの力は、互いを見つめている。
神木は、まだ応えない。
真木に集え。
そして、自らの立場を示せ。
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「……は?」
誰かの間の抜けた声が響いた。
「立場を示せ?」
「選択肢どこだよ」
すぐに詳細画面を開き確認するが条件欄は未確定の記載のみ。
「進行条件も達成条件も書いてないぞ」
「どうやってクリアするんだ?」
「そもそも神木って何だ?」
「神々しいデケェ木のことだろ。でもこの世界にそんな木見たことねーけどな」
プレイヤーたちがクエスト内容を確認しあっている中、誰かが文面を指差した。
「……真木、って書いてあるけどなんだ?」
「マップにそんなのあったか?」
「樹木の名前じゃない?神木の名前とかさ」
誰も答えを持たない。だが全員が同じことを感じていた。
――これはいつものワールドクエストじゃなさそうだ。
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【神木樹立予定】ワールドクエ来てるけど意味分からん【そもそも神木ってなに】
1 : 名無しの冒険者
今回のワールドクエストの説明謎だよなぁ
立場を示せって何だよ
俺らプレイヤーだぞ
2 : 名無しの冒険者
選ぶじゃなくて示す、なのがキモい
3 : 名無しの冒険者
真木っていったい何なんだぁぁぁぁ
4 : 名無しの冒険者
もしかしたら人物名っぽくないか?
ギルド閉まる前に見た気がする
5 : 名無しの冒険者
初心者装備で草原歩いてたプレイヤー?
淡々と魔物倒してた記憶ある
6 : 名無しの冒険者
本当にプレイヤーだったのか?
プレイヤー名検索しても一人もヒットしねーんだけど
7 : 名無しの冒険者
いやそもそも1人もヒットしないのも逆に変だろ
別にレアな名前でもないし
8 : 名無しの冒険者
このクエのために「真木」っていう名前登録から弾かれてた説ある?
9 : 名無しの冒険者
でも見た気がするんだよなぁ
俺の見間違いか……?
10 : 名無しの冒険者
そういやあの後すぐにWORLD PROGRESSとかも出たよな
兆しの断片とかいうやつ
11 : 名無しの冒険者
あー、これね?
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WORLD PROGRESS
兆しの断片
この兆しは、まだ形を持たない。
現在は、観測の段階にある。
場所:〈未確定〉
達成条件:〈未確定〉
報酬:〈未確定〉
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WORLD PROGRESSだからWORLD
QUEST進行がらみなのはわかるがほとんど内容が未確定なら出すなwww
12 : 名無しの冒険者
観測の段階って書いてあるだけで草
さぞ素晴らしいレアアイテムくれるんだろうなぁ?
13 : 名無しの冒険者
情報出す気なさすぎだろ
14 : 名無しの冒険者
これかなりデカいクエになりそうじゃね?
15 : 名無しの冒険者
とりあえず様子見だな
下手に動くと損しそう
16 : 名無しの冒険者
まーたこのゲーム変なこと始めたわ……
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霧が晴れたあと、そこは静かな場所だった。
小さな庭のような空間で手入れはされているが使われている様子はない。
「で、結局ここはどこなんですか?」
「んー、まだ使われてない場所、かな?」
「まだ、ですか」
「うん。ここに来る人滅多にいないし!」
曖昧な言い方だったが誤魔化している感じでもない。
庭の中央には土がわずかに盛り上がっている場所がある。
「これは、何です?」
「ずっと木になるって言われてる謎のタネが植えられてる所。でも全然何も起きないんだよね。
だからさ、真木。一緒に木を育てない?」
「えっ?この状態からですか?」
「そう!真木がいれば育つ気がするんだよね」
その瞬間だった。
視界の端が、ふっと明るくなる。
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EXTRA QUEST
神木を育てよう
この場所には、まだタネしかない。
だが、いずれ根を張り、
枝を伸ばし、影を落とすものが生まれるだろう。
今は、急ぐ必要はない。
枯れることもない。
気づいた時に、
できることをすればいい。
目標:未設定
失敗条件:なし
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神木を……育てる?
そもそも神木とは一体何なのか。
だがクエストをよく見ると、目標もなければ失敗条件もないらしい。
なら、受けておくだけ得だろう。
しかもEXTRA QUESTと表示されているからには報酬も体験も良いはずだ。
「仕方ないですね。せっかくなので一緒に育てましょうか」
「仕方ない、ってどういうことー!?」
エクスがすぐさま文句を言ってくる。
一緒に草原を見回りながら話をして緊張が解けたからだろうか、エクスの反応も柔らかくなっていたのでついからかってしまった。
「でも、どうやって育つんでしょう?」
「うーん……私にもわからないけど」
少し考えているようだ。過去に色々試してきたのだろう。
「なんかさ、いろんなところ行ったり、いろんなことしてたら育ちそうじゃない?」
「いろんなところ、ですか?」
「そう!だってこの世界広いんだよ?巡ってたら木の育ち方も分かるかもしれないじゃん」
神木と呼ばれるくらいだ。
普通の方法では、きっと育たないのだろう。
だが目下の目標は決まった。
その時、また視界に表示が出てきた。
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〈エクスがパーティーに加わりました〉
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「……あ」
そうか。
まだパーティーを組んでいなかったのか。
ずっと一緒に行動していたせいですっかりそのつもりになっていた。
「じゃあ、一緒にがんばろー!」
エクスが楽しそうに言う。
これから長い付き合いになるのか、
それともすぐ終わるクエストなのかは分からない。
けれど――
「とりあえず、いろいろ教えてもらってもいいですか?」
「まかせなさい!」
とりあえずこの世界の話をエクスに聞いた後に色々考えよう。




