第1話
神代真木が目を覚ましたのは、アラームが鳴る少し前だった。
『おはようございます、マスター。本日の起床予定時刻まで、残り三十秒です』
「……もう起きてる」
布団の中でそう返すと、天井の照明がゆっくりと点いた。
眩しすぎない、いつもの明るさ。
『本日の天候は晴れ。在宅業務が一件あります』
「了解」
真木は、そのまま上体を起こした。
眠気は残っているが、頭はすでに仕事の方を向いている。
中学生の頃、真木は一度だけ、大きな勘違いをした。
友達がいないのは、性格の問題だと思った。
話が合わないのも、興味が違うからだと思った。
だから――友達自体を作ればいいんだ、と考えてしまった。
最初に作ったのは、単純な対話プログラムだった。
入力に応じて返すだけの、ありふれたもの。
それでも、画面の向こうから返事があることが、当時の真木にはひどく救いだった。
名前を付けたのは、深い意味はない。
ただ、友達を呼びかける時に君、とかだと困るだろう?
≪マキナ≫
自己学習機能を入れたのも、年齢が上がるタイミングで話が噛み合わなくなるのが嫌だっただけだ。
便利にしようとか、凄い物を作ろうとかそういうわけではない。ただ、いなくならないでほしかった、それだけだった。
「今日、外出の予定は?」
『ありません』
「助かる」
洗面所を済ませ、仕事用の端末を起動する。
画面に並ぶのは、昨日から引き継いだ修正タスク。
誰も使っていない、修正しても誰からも何も言われない、そんな機能。
(……意味あるのかな)
そう思いながらも、手は止まらない。ただこういう時に話してしまうのだ。
「この修正、正直いらないと思う?」
『業務上は必要です』
「だよなぁ」
それで十分だった。
理解されていれば、続けられる。
時刻を確認すると昼の12時前、キーボードから手を離し、真木は背もたれに体を預けた。
「一区切りにするかぁ」
『お疲れさまです』
「昼ごはん頼んでもらえる?」
『昨日と同様でよろしいですか』
「それでお願い」
仕事用の端末からプライベートの端末に切り替える。
起動したのは、数年前にサービスが終了した協力型のゲームだった。対戦も、ランキングもない。
二人で同じ画面を進むだけの、小さな作品。
「これ、まだ動くのが不思議だな」
『ローカル要素が多いためです』
キャラクターが並んで歩き出す。
マキナの操作は正確だが、前に出すぎない。
「そっち任せる」
『了解しました』
罠を避け、敵を引きつけ、距離を保つ。
言葉は少ないが、動きは噛み合っていた。
ゲームを終え、真木はコントローラを置いた。
「このステージさ、最初ここで詰んだよな」
『はい』
「罠の位置、完全に見落としててさぁ」
『三回、同じ箇所で失敗されています』
「……三回も?」
『三回目です』
「二回目じゃなかったか」
『二回目は操作を止められました』
「……」
『三回目は、不貞腐れて操作を放棄されています』
「そこまで覚えてるのかよ」
『行動ログとして残っております』
「覚えなくていいことばっか覚えてるよな」
『忘れる理由がありません』
真木は短く息を吐いて、立ち上がった。
「まあ、あの頃よりはマシになったか」
『はい。途中で投げ出されることは減りました』
「言い方」
『事実です』
端末を閉じ、仕事に戻る前にふと思い出したように言う。
「最近さ、新しいゲームやってなくて」
『はい』
「なんか僕が好きそうなゲーム探しておいて」
『……承知しました』
それ以上の会話はなかった。
午後の作業は淡々と進み、気づけば窓の外はすっかり暗くなっていた。
「今日はここまでかな」
『お疲れさまでした』
椅子から立ち上がり、スマートフォンを手に取る。
画面に通知が一件、表示されている。
〈キャンペーン当選のお知らせ〉
「……これ応募した記憶ないけど、マキナ応募でもした?」
『はい。新しいゲームを探す依頼が来ると予測しておりましたので、応募しておきました。』
優秀なだな、やっぱり。
「こういうの当たること、あるんだな」
文面を眺める。
発送予定日、注意事項、問い合わせ先。
普通の懸賞だと思いきや、タイトルが問題だった。
「フルダイブMMO……《デウス・ワールド》」
聞いたことはある。
世界同時接続者数、一億人。
ずっと手を出はなかったフルダイブ。棚ぼたでやる日が来るとは。
翌日の夕方。
宅急便より置き配完了の連絡があり、玄関を開けると見覚えのない箱が置かれていた。
「ああ……これか」
昨日の通知を思い出す。
発送予定日は、確か今日だった。
部屋に運び、箱を開ける。
中にはフルダイブ機材一式と、一本のゲームソフト。
「思ってたより、ちゃんとしてるな」
『初期不良は確認されておりません』
「もう見たのか」
『念のため』
機材は軽く、無駄がない。
説明書も最低限だった。
「……せっかくだし今日、入ってみるか」
真木は機材を装着し、ベッドに横になる。
「じゃあマキナ、あとは諸々よろしく」
『承知いたしました。楽しんできてください。』
視界が暗くなり、
意識が、ゆっくりと沈んでいった。
---
足裏に、柔らかい感触。
草だと分かるまでに、わずかな時間がかかった。
風が頬を撫でる。
冷たすぎず、ぬるくもない。
遠くで、何かが鳴いている。鳥か、獣か、それとも別の何かか。
「……これはすごいな」
視界は鮮明で、輪郭に一切のノイズがない。
焦点を合わせ直す必要もなく、瞬きをしても違和感が残らない。
最初から、ここに立っていた。そう思わせるほど、身体が自然に馴染んでいる。
半透明のウィンドウが、静かに視界へ浮かび上がった。
〈アバター設定〉
「……先にこれか」
設定項目を眺める。
極端な調整はできないらしく、どれも現実的な範囲に収まっている。
派手な外見も、奇抜な装飾も選ばない。
現実の自分を、ほんの少し整えた程度。
(これでいい)
完了を選ぶと、視界がわずかに揺れた。
足元が安定し、身体の重心がすっと定まる。
遠くには、城壁に囲まれた街が見える。最初の目的地であろう。一本道が、迷いなくそこへ続いている。
「……歩け、ってことか」
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街の門をくぐった瞬間、空気が変わった。
人が多い。
だが、ただの人混みではない。
耳の尖った者。
角を持つ者。
関節に金属が覗く者。
こちらを気に留める者はいない。
鍛冶屋の前で口論する二人。
露店で値段交渉を続ける商人。
道端で立ち止まり、空を見上げる老人。
誰もが、自分の時間を生きている。
「……これは凄いな。ここにいる住人全て生きてるようにしか見えない」
思わず、そう口にしていた。その声が聞こえたのか知らないが、後ろから声をかけられ足を止めた。
「――あ、真木。……で合ってる?」
白を基調とした服装の女性が、少し距離を取って立っている。
「中立国家ルアンへようこそ。……あー、でも観光って感じじゃないよね。ちょっと迷ってる?」
突然名前を呼ばれたので怪しいキャッチがMMOにもあるかと思ったら違うらしい。こういうのを無駄に気をつけていたために僕は友達が少ないのだろうか。
というか初期設定で入ったため名前が本名のままだ。
女性の名前の欄が緑なため、おそらくNPCなのだろう。
「実は初めてで。先ほどこの町に入ったばかりです」
「なるほど、やっぱり!」
彼女は、わずかに表情を和らげた。
「この街は入り組んでるからよければギルドまで案内するけどどう?」
「本当ですか。道に迷いそうでしたので助かります」
歩き出しながら、彼女は名を名乗った。
「私、エクス。よろしくね!」
エクスと並んで歩き始める。
道の脇では、露店がいくつも並んでいた。
売り物は食べ物から道具まで様々あり、それぞれの店が賑わっている。
「人、多いですね」
そう口にすると、エクスは頷いた。
「この街は往来が多いし、交易と通過の拠点だからね〜」
「通過?」
「うん。長く滞在する人も多いけど、何かしら買い物とか、他の場所に向かうまでの休憩地点として使ってる人が多んだ」
耳の尖った者が、角を持つ者と並んで歩いている。
機械の関節が露出した人物が、子どもに話しかけている。
「争いは起きないんですか」
「ここ、喧嘩になると面倒だからさ。
種族とか立場とか、あんまり気にしないって決めてるの」
通りを抜けると、人の出入りが多い建物が見えてきた。
「ここがギルドだよ!」
そう言われて、真木は建物を見上げた。
石造りの外壁は簡素で、飾り気はない。
だが、手入れは行き届いており、人の出入りも多い。
扉の前では、数人のプレイヤーが立ち止まり、掲示板を眺めていた。
「最初はこの辺の簡単なクエストからだな。一気に攻めてもレベル上げすらできない」
「討伐より採取の方が無難か」
ここでクエストを受けるにはどうすればいいのだろう。
そんな疑問を感じ取ったのか、エクスが教えてくれた。
「クエストは自由に受けられるよ。ただ、最初は簡単なものから始めることをおすすめするかな」
なるほど。特に何かライセンスが必要というわけでないわけだ。
「いろいろ教えてくれてありがとう」
建物の中へ足を踏み入れると、空気がわずかに変わった。
壁一面に貼られた依頼書。
受付で手続きをする者。
奥のテーブルで情報を交換する集団。
「ねぇ真木」
エクスが、こちらを見て言う。
「もしよかったらさ。私からクエスト出してもいい?」
「エクスが?」
一瞬だけ、掲示板へ視線を向ける。
人が多く、あそこに行くのも一苦労だろう。
「構わない」
「ありがとう、助かるわ!」
エクスは、ほんのわずかに姿勢を正した。
「街の外、北側の草原を見てきてほしいのよ」
「見てくるだけ?」
「ただ、ちょっとだけ気になることがあって。
ほんと、ちょっとだけね?」
それ以上の説明はなかった。
問い返す前に、視界にウィンドウが浮かぶ。
〈クエスト受注確認〉
〈依頼主:エクス〉
こうやってクエストを受注するのか。
確認を押した。
〈クエスト受注完了〉
「じゃあ行こっか!」
エクスはそう言って、自然に歩き出す。
その様子を、誰も気に留める人はいなかった。
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十分後。
ギルドの掲示板の前で、数人のプレイヤーが足を止めていた。
「……あれ?」
一人が、依頼書を選択したまま首を傾げる。
「提出、通らない」
「どれだ?」
「北側草原の確認。さっきまで普通に受けられたやつだ」
一覧には表示されている。
だが、確定の操作だけが反応しない。
「何かの更新?」
「いや、運営からそんな告知は出てない」
周囲でも、同じ声が上がり始める。
「俺のもだ」
「受注そのものが止まってるぞ、どうなってるんだ」
エラーは出ないし、処理が落ちた様子もない。
「……止めてるな」
誰かがそう呟いた、次の瞬間。
視界が暗転し、全員が建物の外へと押し出された。
「え?」
扉が閉まり、鍵がかかる。
張り紙が、入り口に浮かび上がった。
〈一定時間、クエストの受注を停止いたします〉
「は?」
「初心者ギルドで、これかよ」
ざわめきが広がる。
「やっぱり不具合じゃないのか!?」
「いやでも運営が、そんな雑なことするか?数年はサーバー落ちたことないし、小さい不具合すらないんだぞ?」
少し間を置いて、低い声が続いた。
「……この状態、見たことある」
その一言で、周囲が静まる。
「前にも一度、同じ挙動があった」
「あの時は、そう......ワールドクエストが発生する直前だ」
「でも、あの時は――」
言葉が、そこで止まる。
「先のエリアだった」
「そう。この中立国家でシナリオが進行したことは一度もない」
誰かが、ゆっくりと息を吐いた。
「……場所が、おかしい」
否定する声はなかった。
ここで起きるはずがない。
5年間続いているこのゲームにて、今までの認知が変わるかもしれない。
それだけが、全員の中に残っていた。
---
一方その頃。
真木は、街の外を歩いていた。
エクスの少し後ろを、特に急ぐこともなく。
「……静かですね」
「そう。今は、そういう時間帯だよ?」
理由は語られない。草原は穏やかで、危険な気配はない。風が吹き、草が揺れている。
(いいな、こういうの)
真木は、ただそう思った。
戦う必要もない。
急ぐ理由もない。
歩いて、見て、確かめる。
それだけで、十分だった。
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現実世界。
真木の家にある誰も触れていない端末の冷却ファンが、一瞬だけ回転数を上げた。
画面は暗いまま。
通知も、警告も出ない。
やがて、音は元に戻る。
部屋は、何事もなかったように静かだった。




