98 連行
広場のざわめきの中心で、ひとりだけ足取りが違った。
人間の男が、まるで散歩でもするみたいに歩いている。
獣人たちは距離を取り、槍を構える者もいるのに男は気にしない。
そして、俺はその顔を見た瞬間に、胃の奥が冷えた。
(……クロイツ)
数年前。
セラが刃を交えた相手。
当時の俺は、ただ怖い大人だとしか思えなかった。
でも、今なら分かる。
規格外。
そういう言葉が、勝手に頭の中に浮かんだ。
男が、俺の目を見る。
「やぁ」
笑っている。
笑っているのに、目だけは笑っていない。
「聞こえなかったかな?」
声のトーンが、すっと一段下がる。
「君は誰だ?」
逃げたい。
けど、逃げても無駄だ。それほどの差がある。
「……俺は、ユウト・アマギと言います」
自分の声が、思ったより乾いていた。
「魔獣を呼び寄せる魔道具みたいなものがあって……それを、破壊しました」
クロイツは瞬きをひとつして、感心したみたいに頷いた。
「そうか。その若さでユウトは優秀なんだな」
褒め言葉の形をしているのに、胸が重い。
「では次の質問だ。人間が、なぜこの獣人の村にいるんだい?」
「……エルデンに行った帰り道に、なぜかここに出てきました」
「エルデンに辿り着けるのも優秀だ。素晴らしい」
クロイツは軽く手を広げる。
「なぜエルデンに行ったんだい?」
「精霊魔法を習得したくて」
「それはそれは。向上心が高くていいことだ」
そこで、にこりと笑う。
「そうか。なら是非とも、ウチで働いてくれないか?
人材不足でね。君のような優秀な人間がいてくれると助かる。
何、悪いようにはしない。どうかな」
何を言っているんだ、この男は。
状況を見極めたい。けど、材料が足りない。
「……急に言われても困ります」
正直な言葉が出た。
クロイツは肩をすくめる。
「そうだね。確かに君の言う通りだ。だが次にいつ君に会えるか分からないからね。
申し訳ないが、一緒に来てもらいたい」
「行く理由がありません」
自分でも驚くほど、はっきり言えた。
言えた瞬間、背筋が凍る。
クロイツの笑みが、薄くなる。
「そうだな。君は、我が国が開発した魔道具を破壊したね」
言い方が、妙に丁寧だ。だから余計に怖い。
「あれはかなりの価格のものだし、働いて弁償してもらう必要がある」
「……あれは、魔獣を呼び寄せる可能性があったので破壊したんです」
クロイツは首を傾げる。
「いやいや、彼らの言い分を聞いたかい?」
彼ら。
昨夜捕まっていた人間たちのことだ。
「バシュル村。つまり、隣にある人間の村だ。
そこに凶悪な魔獣が出たため、安全な場所まで誘導しようとした。
あれはそういう用途の魔道具なんだ。」
クロイツは淡々と続ける。
「そして、その魔道具は私が貸し出したものだ。それを破壊するなんて……酷い話だ」
「……そうだとしても」
喉が鳴る。
言葉を選ばないといけない。
「獣人の村を越えるようにやってくるなら危険度が高い。まともな判断とは思えません」
クロイツの目が細くなる。
「君は……獣人たちから、どんな話を聞いている?」
問い詰めるというより、確かめる声だ。
「ここは厳密には、どちらの国にも属さない緩衝地帯だよ。
隣のバシュル村も同じく、緩衝地帯に含まれている」
俺は息を止めたまま聞く。
知らない話だ。少なくとも、村の者からは聞いていない。
「獣人たちも、囚われたバシュル村の連中も、そんなことは知らないかもしれないがね。
つまり、魔獣を移動させた件に関して、裁ける立場が曖昧だ。
この地域は、そういう場所だ」
一拍置いて、笑う。
「ただ、君が魔道具を破壊した件は別だ。
どこで破壊しようが、人のものを壊せば、許されない」
ここまで全部、俺を追い詰めるための言葉だと分かる。
分かるのに、反論の形を作れない。
クロイツは、さらに軽く言う。
「というのを理由にしてもいいんだが」
背筋が、ぞわりとする。
「選択の余地がないようにしてやろう」
その瞬間、クロイツの目が真っ直ぐ刺さる。
「ユウト・アマギ。お前はセラフィナ・ルクレールの手の者だな」
喉が鳴った。
俺は今、確かに名乗った。名乗ってしまった。
だが以前会った時も名乗ってはいなかったはずだ。
「珍しい名だ。すぐ思い出したよ」
クロイツは、穏やかな声で続ける。
「それにバルネス商会とも懇意だろう?」
胸の奥が、ぎゅっと掴まれる。
(……どこまで知ってる?)
問い返す余裕もない。
クロイツが、話しながら俺だけを包むように領域を展開してくる。
空気が変わる。
村のざわめきが遠のき、世界が俺の周りだけで閉じる。
強烈な魔力濃度。息がしづらい。
肺が、押される。
「お前は強制的に連れていく」
言葉が、綺麗に耳に入るのが怖い。
「もし、ついてこないというのなら」
クロイツの笑みが、貼り付いたまま固定される。
「商会の人間も、この村の獣人たちも、リナ・エルドリックも」
「全員、殺す」
俺の中で、何かが音を立てて落ちた。
これは脅しだ。
でも、ハッタリに聞こえない。
少なくともこいつにはそれが可能だ。
ここで体にかかる圧力が下がった。
クロイツの領域の魔力濃度が元に戻った。
「だが、ついてくるというのなら手は出さない。約束しよう」
約束。
俺は唇を噛んだ。
ここで戦う選択はない。少なくとも今の俺には。
「……分かりました」
声が震える。
それでも言う。
「ついていきます」
クロイツは満足そうに頷いた。
「やはり君は賢い。ついてきなさい」
俺は一歩、踏み出しかけて止まる。
迷ってから、もう一つ口にする。
「……仲間がいるので、一緒に連れて行きます」
土地勘のないこの地に、置いていけない。
それにリナはまだ眠っている。
クロイツは一瞬だけ考える顔をして、すぐ頷く。
「いいだろう。連れてきなさい」
ルヴァンの家まで戻ると、リナはまだ眠っていた。
顔色は悪くない。けれど深い。
俺はリナに同調して、ドラに声をかける。
「ドラ。聞こえるか」
間髪入れず、低い声が返る。
(何だ、坊主)
「……さっきの男に会ってきた。俺を連れていくと言ってる。拒めば、村の人もリナも殺すと言った」
ドラは短く息を吐いたような気配を出す。
(なるほど。逃げることすら困難か。……一度、様子を見るか)
俺はリナの体をそっと抱き上げる。
軽い。寝息が揺れない。
「ごめん、リナ」
返事はない。
ドラが、俺の肩の上からじっと見ている気配がする。
(魔石は忘れるな)
「分かった」
荷物を掴み、家を出る。
外に出ると、クロイツは既に待っていた。
村の空気は張り詰めているのに、男だけが落ち着き払っている。
「では、こちらだ。ついてきなさい」
獣人たちに別れを言う間もない。
ルヴァンの姿も見えない。
俺はリナを抱えたまま、クロイツの後ろを歩き出した。
足が、ひどく重い。




