94 厄日
結局昨晩、ルヴァンは戻ってこなかった。
俺たちが眠りにつくまで、家の外の足音だけが何度か通り過ぎていった。
起きてもまだルヴァンはいない。
「……戦争なんて100年も前で、今は平和だと思ってた」
俺がぽつりと言うと、
「やだね」
リナが短く返した。声がいつもより低い。軽口が出ない。
リナの肩の上で、ドラが小さく喉を鳴らした。いつもの甘える音とは違う。短く、警戒の鳴き方だ。
アカネも、部屋の隅でふわふわ揺れているだけで、俺の顔の近くには寄ってこなかった。
「何が起きてるか、話が聞けるかな」
「……聞けるといいねぇ」
リナはそう言いながら、膝を抱えた。
ドアの開く音が聞こえたと思ったら、続けて声がかかる。
「おい。村長のとこ行くぞ」
「はい」
俺は立ち上がって返事をする。
リナもすぐに起きた。ルヴァンの顔を見ると感想が漏れ出た。
「朝から顔こわっ」
「寝てねぇからな」
ルヴァンはそれだけ言って、先に外へ出た。
ドラはリナの肩にぴたりと張りついたままだ。
アカネは俺の頭の上を一周して、遅れてついてくる。
村長のザグラの家に入ると、ザグラはもう座って待っていた。
昨日と同じ、落ち着いた目だ。
ルヴァンが顎で示す。
「座れ」
俺とリナは向かい合う形で腰を下ろした。
ザグラが口を開く。
「昨日は驚かせたな」
「……はい」
「この村はエルデンに近い。だが、イスタリア公国連邦の境も近い。
昨夜のように悪意を持った来訪者も来る」
リナが眉を寄せる。
「……戦争って、もうないんじゃないの?」
ザグラはすぐに頷いた。
「最後の戦争は百年前だ」
それから、一拍置いて続ける。
「それでも、終わってないものがある。奪われた土地がある。
爺さん連中から仲間を殺された話もよく聞いた。」
ザグラの指が、机の上で一度だけ強く鳴った。
「それに不作の時は、人間たちがこちらの畑から盗みに来ることもよくある
武装してきた時には、死人が出るまで争いが止まらないこともある」
リナが唇を噛む。
俺も、息が詰まる。言葉が出ない。
ザグラは視線をこちらに戻した。
「昨夜の連中は牢に入れてある」
俺は思わず身を乗り出した。
「昨日の人たちは……どうなるんですか」
声が少し震えた。自分でもわかった。
ザグラは即答しない。代わりに、机の上の小さな袋を指で押し出した。
中身が、金属と石の擦れる音を立てる。
「昨日手元にあったものだ」
渡されたので、刻印を読み解く。小さいが見えないことはない。
読み解いていくと、炎系で爆発を誘導させるように作られている、
「これは……爆発する魔道具、ですか」
「見てわかるのか?」
ルヴァンが驚く
ザグラは頷く。
「以前にも同様のものを使われたことがある。獣人の体は強い。
それでも爆発は爆発だ。その時は死者が出た」
ザグラは、ゆっくり息を吐いた。
「さて」
短い言葉なのに、場の空気が締まる。
「ここまで聞いた上で、人間のお前達に聞こう。
お前たちはあいつらをどうして欲しい?」
俺の喉が鳴る。
「……俺に、決めろってことですか」
「決めろとは言わん」
ザグラは首を横に振った。
「外の者の目で見た意見を聞きたい。ここでは、憎しみが先に立つ。俺も例外ではない」
ルヴァンが眉間に皺を寄せる。
「村長、そんな必要ねぇだろ」
「必要だ」
ザグラは譲らない。
「俺は村を守る。そのために裁く。しかし、曇った目では見えないことも多くなる」
リナが俺を見る。
俺は、腹の底が冷えるのを感じながら言った。
「……わかりません」
言葉が、あまりにも弱い。自分で分かる。
「昨日の人たちは、人を殺せる物を持ってきた。止めなきゃ、村の人が死んだかもしれない」
そこで一度、息を吸った。
「でも、俺は……この国の法も、やり方も、知らない。俺が軽々しく言えることじゃないです」
ザグラは、目を細めて聞いていた。
怒ってはいない。
「……そうか」
それだけ言う。
ルヴァンが低く唸った。
「結局、外のやつも答えは出ねぇってことだ」
「……」
リナは黙ったまま、ドラの背中を撫でている。
ドラは落ち着かないのか、ぱち、と小さく火花を散らした。
ザグラが結論だけを口にする。
「奴らは中央へ送る。この国の法で裁く」
「……」
ザグラは続けて何かを言おうとしたが、外が騒がしくなった。
足音が走る。叫び声。
戸が乱暴に開く音。
「村長! 外だ!」
息を切らした獣人が飛び込んできた。
「畑の向こう! でかいのが!」
ザグラが立ち上がる。迷いがない。
「案内しろ」
「……はい」
返事はした。けど、心臓が早い。
リナが立ち上がりながら呟く。
「今度は何?」
声が小さい。
ルヴァンが舌打ちした。
「ちっ……今日は厄日かよ」
外に出た瞬間、空気が違った。
焦げた匂いがする。
土が震えている。遠くで、獣の唸り声。
時々何かが破裂する音。
畑の向こう。木立の切れ目。
そこに、影があった。
最初は岩に見えた。
でも、岩が呼吸するはずがない。
岩が、空に向かって首をもたげるはずがない。
次の瞬間、空気が裂けるような轟音が落ちた。
ゴァァァァァッ!!
耳が痛い。胸が揺れる。
村の子どもが泣き叫ぶ声が重なる。
鱗の隙間で白い光が走った。
稲妻が体内を巡っているみたいに、瞬いては消える。
ドラが震えた。
嫌がるというより、引き寄せられているようにも見える。
リナの肩に爪を立てて、鳴き声を喉で殺している。
リナが息を呑む。
「……でっか」
その声は、魔獣の放つ音にかき消された。
ザグラが叫ぶ。
「子どもを下げろ! 槍を持て! 弓は散れ!」
村人たちが動く。声が重なり、足音が乱れる。
ルヴァンが俺の横で唸る。
「……なんだありゃ」
俺は、目を離せなかった。
鱗の黒さ。背中の棘。胸の奥で渦を巻くような光。
そして、あの圧。
あのとき、紅蓮回廊で見た嵐の塊と同じだ。
喉の奥から、名前が勝手に出た。
「……嵐核ドレイク」




