90 導き
「あなたに教えるものはもう何も無い。明日の朝にはここを出て行きなさい」
「……え?」
声が、情けなく掠れた。
「……どうして、ですか」
俺がやっと絞り出した問いに、フィルシアは答えなかった。
ただ、扉の方へ視線を向ける。
「……出て」
言葉は短く、話す余地を見せない。
俺は立ち上がるしかなかった。
椅子の脚が床を擦る音が、やけに大きい。
「……ありがとうございました」
礼を言うのが精一杯だった。
扉を出る。
背中が、冷たい。
宿へ戻る途中で、リナに捕まった。ちょうどノクスの家へ向かう道の分かれ道だ。
「ユウト、顔やばいよ。何があったの」
「……フィルシアに、出ていけって言われた」
リナが目を瞬いた。
「何、怒らせたの?」
「分からない。……師匠の名前を言ったら、急に」
リナは口を尖らせる。
「は? それだけ?」
俺は頷くしかない。
俺たちはそのまま、ノクスのところへ向かった。
「……最初から話せ」
出ていくように言われたと、結論だけ話すと詳細を求められる。
俺は、フィルシアの家で何をしたか。
何を言われたか。
できるだけ順を追って話した。
話し終えると、ノクスが確認するように言う。
「……セラフィナ、と言ったか?」
「はい。それが俺の師匠です」
ノクスは、短く息を吐いた。
「……そうか」
リナが首を傾げる。
「で、なんでそれで追い出されるの?」
真っ当すぎる質問だ。
「セラフィナはフィルシアの姉だ」
そこまで言うと、ふっと上を見上げる。
次の瞬間、ノクスが右手を振り上げた。
上から、炎が降り注いだ。
焚き火の火の粉じゃない。雨みたいな数の火が、俺たちの頭上に落ちてくる。
思わず身を縮める。
だが燃えない。
俺たちの周囲に、見えない壁がある。
炎はその壁で弾かれ、火の粉が外側へ散って消えた。
リナが目を見開く。
「……うわ。なに今の」
「分からない……!」
ノクスは低い声で言った。
「あの女はどうやら盗み聞きしているようだ。ここで余計な話をするな
明日の朝、出立だ。今から準備をしろ」
俺は喉が渇くのを感じた。
「……はい」
ノクスは続ける。
「お前たちは、多少形になってきているが、完成していない。
慢心せず精進するように」
「分かりました。ありがとうございます」
リナはまだ話を聞きたそうな様子だ。
でも、さっきの炎を思い出したのか口を閉じた。
俺たちはその場を離れた。
宿に戻って荷造りをする。
元々持ち込んだものは多くない。保存食の袋と水筒、道具をまとめれば終わる。
荷を締めながら、リナがぽつりと呟いた。
「セラに妹がいたんだねぇ」
「……知らなかった」
「そっくりなんでしょ?」
「似てる。……だけど他にエルフの女性を見たこと無かったから、みんな似てるのかと思ってた」
リナがため息をつく。
「そんなわけないでしょ、鈍感なんだから」
「……うん」
返す言葉もない。
「相当カンカンだったねぇ」
「……ああ」
リナは伸びをして言った。
「もう少しノクスに剣術を教わりたかったな」
「すまん」
「まぁユウトのせいじゃないし。ユウトも途中だったんでしょ?」
「同調して、魔力を注ぐ……までは聞いた。けど、その先はまだ」
「家に帰ってから復習しよ。そっちはセラさんに聞いてもいいんだし」
「そうだな」
話しながら気分を切り替えていく。
翌朝。
まずは長老のセレノアに挨拶をする。
樹上の建物へ向かい、ノックをして中に入る。
「今日、旅立つことにしました」
セレノアは椅子に腰掛けたまま、目を細める。
「良い学びはあったかな?」
「はい。おかげさまで、方向を示してもらえました」
「そうかそうか」
セレノアはゆっくり頷き、しわだらけの手を軽く上げた。
「気をつけることだ。お主たちに、精霊の導きがあらんことを」
「ありがとうございます」
出立の時。
ノクスが、宿の外まで見送りに来ていた。
「これを持っていけ」
小さな袋を渡される。中を覗くと、乾燥した豆とナッツだ。
「……助かります。ありがとうございます」
「縁があれば、また会うこともあるだろう。精霊の導きがあらんことを」
「はい」
リナも、ノクスに向かって手を振る。
「ありがとねー。強くなったらまた来るね」
ノクスは小さく頷いただけだった。
俺たちは来た道を戻り、森へと入る。
すぐに境界を越える。何かの領域に入った。
越えるたびに、魔力の質が変わる。
ここへ来る前は、ただ壁を越えていると思っていた。
今は違う。
領域あの言葉が、感覚に結びついている。
境界は、領域の縁だ。そう説明がつく。
いくつか越えた先で、俺は足を止めた。
……前方に、人が立っている。
けど、気配が薄い。足音もしない。
風に揺れるはずの髪も揺れない。
(……あれは)
「精霊だ」
俺が小さく言うと、リナが首を傾げた。
「え? どこ?」
「……そこ。目の前」
「……気配は感じる」
俺は精霊の方へ一歩進む。
「あの……ラツィオに戻りたいんですが」
精霊はゆっくりと動く。
次に、指で方向を示す。
まっすぐではない。少し斜め森の奥へ向く。
「……向こう、ですか」
返事はない。
ただ、精霊はそこに立ったまま、揺らぎもしない。
俺は息を吐いて、リナを振り返った。
「……行こう。向こうの方角だ」
リナは肩をすくめる。
「なんか来た時と違う気がするけど……精霊の導きだもんね」
「……多分。これが俺たちのいくべき道なんだろう」
俺たちは、その指先の方向へ歩き出した。




