88 同調
さらに一週間が過ぎた。
そう簡単に習得できるとは思っていなかったが、
時間がどんどん過ぎていく。
フィルシアの家へ向かう。
年季の入った扉を叩くと、少し間を置いて開いた。
「来たわね」
フィルシアはいつもと変わらないようだ。
いつも何してるんだろうか。
「進展はあったかしら?成果を見せて」
「はい。お願いします」
「入って。座って」
見慣れてきた椅子。いつもの位置。
俺は深呼吸して、領域を薄く広げた。
自分と世界の境界を認識する。
それから境界を広げる。
作り上げた領域の中に、魔力を注ぎ込む。
外に漏らさず、領域内に留める。
注ぎ込むだけではなく、循環させる。
これが、要だった。
部屋の空気が変わる。
肌の上を冷たい指で撫でられたような感覚。
吐く息がわずかに白い。
床板の上、椅子の脚の周りに薄い霜が浮く……気がした。
実際に霜が出ているかは分からない。ただ、しっかりと冷えている。
フィルシアが目を細める。
「いいわね。維持ができてる。無駄に外へ流してない」
俺は肩の力が少し抜けた。
「領域の維持って、魔力を注ぎ込み続けるものだと思ってました。
ただそれだと、注いでも注いでもキリが無い。重要なのは循環です」
フィルシアは頷くと、少し遠い目で呟いた。
「……綺麗な魔力」
少し考えていたのか間が空いたが、
ふと我に返って次の課題を出す。
「次はね」
フィルシアが、俺の肩口のあたりを指差した。
そこには、オレンジ色の光がふわふわと漂っている。
「その子の名前を付けてあげなさい」
「……名前、ですか」
「そう。もうあなたに懐いて離れようとしないでしょ。
名前をつけてあげる頃合いだわ」
オレンジ色の光が、ちかちかと明滅した。
(うわ。見られてる感じがするな……)
「ネーミング、苦手なんですよね……」
「いい名前をつけてあげてね」
プレッシャーがかかる。
その動きや姿を観察する。ふわふわ、ひらひら……違う。
(色……色はオレンジだが明滅する時は赤みが強くなる)
「茜色……」
口に出すと、光が一度だけ強く光った。
「……アカネ。アカネでどうかな」
光が、俺の頬の横を回って、髪のあたりでふわりと止まった。
そして、赤くゆっくり明滅する。
「気に入ったみたいね」
フィルシアは少し笑った。
「アカネ。いいじゃない」
俺も、胸の奥が少し軽くなる。
フィルシアは次の言葉を落とした。
「じゃあ、次はアカネと、魔力を同調して合わせなさい
同調できたら、そこへ魔力を流し込む。分かった?」
「同調……同調って、どうやるんですか?」
俺が聞くと、フィルシアは小さく息を吐く。
「そうね。言葉で教えるより見せた方が早いね。手を貸して」
俺は手を差し出した。
フィルシアの指が、俺の手の甲にそっと乗る。
俺の領域の影響か、その手は冷えていた。
「いくよ。意識を強く持って」
「はい……っ」
フィルシアが、同調を行った。
(……あ?)
視界が割れた。
俺はフィルシアの家の中を見ている。
椅子、床、壁、窓の外の木々。
なのに、それと同時に外も見える。
家の外。渡り道。別の家の灯り。遠くの気配。
見えていないはずの場所が、認識できている。
領域内を知覚する際に感じる特有の感覚だ。
集落全体が、同時に胸の内側に入ってくる。
範囲が広すぎる。入り込んでくる情報が多すぎる。
境界がどこにあるのか捉えられない。
自分が世界に溶け込んでいくかのようだ。
(これが……フィルシアの領域……?)
分かる。これが同調。
俺の魔力に、フィルシアがその魔力を合わせてきている。
結果として、フィルシアの領域が俺の領域として全てが見えている。
とんでもなく広い領域に、濃密な魔力が循環している。
川みたいに回っているのに、濁らない。淀まない。
意識が混濁しそうになり思わず声が出た。
「フィルシア……!」
でも、聞こえた自分の声がやけに薄い。
遠い。儚い。
(……こうやって話す方が、楽よ)
頭の中に、フィルシアの声が響いた。
おかげで少し意識が安定する。
(こう、ですか)
俺も、頭の中で返す。
アオイと話すときと同じ感覚だ。違いは、声の重さ。フィルシアは刃物みたいに明確だ。
(領域って、もっと広げられるんでしょうか?)
疑問を投げると、返事はすぐだった。
(もちろん。でも、広げる意味があるかどうかは別。
手段と目的を取り違えるのは、よくない)
手段と目的か。
(俺は……強くなりたくて……来た。何が……)
そう答えようとしたのに、言葉がまとまらない。
領域の中の情報がとめどなく流れてくる。
日のあたる畑 泉に流れる水 イクスが歩いている
何だっけ
俺が黙ったままだと、フィルシアの声が少し柔らかくなる。
(どこかにアンカーを作ることで意識が安定しやすくなる。
大抵は自分の体に意識を向けることが多いかな)
そう言われて領域内の自分の体に目を向けようとするが、見つからない。
どこにある。流れる情報に意識が奪われて、自分の体がどこにあるか分からない。
探しているとフィルシアの家を見つけた。
意識をその中に向ける。
自分の体を外から認識していると、まるで自分じゃ無いみたいだ。
そもそも自分って何だっけ。
思考が揺らぐ。
意識をしっかりと持って自分の体を認識する。
右手を上げるイメージを持つと右手が動く。
首を左に向けるイメージを持つ特技が左に向く。
やっぱりあれ俺の体だな。
何度か繰り返していると実感を取り戻してきた。
指先に、茜色の光が触れた。
アカネが、領域の中でゆっくり漂っている。
(ユウト)
頭の中に、短い音が響いた。
名前を呼ぶだけ。でも、確かにいる。
「……っ」
視界が戻る。
一つだった領域が、ほどけて分かれていく。
俺は椅子の上で、思わず肩を落とした。息が荒い。
身体は無事なのに、心だけが揺れている。
フィルシアが手を離す。
「今日はここまで。領域を無理に広げないこと。自分の器を壊すと、戻すのが面倒よ」
「……はい。ありがとうございます」
手のひらを見つめてから何度か握る。
自分の手だ。
頭がクラクラする。
同調を教えてもらっただけかと思ったが、
それ以上の体験をさせてもらった。
領域を無闇に広げ過ぎると危険なことがわかった。
早めに教えてもらってよかった。
アカネが、俺の肩の上でふわりと止まった。
さっきよりも、明滅がゆっくりだ。
次の課題はアカネとの同調だ。
帰ってから同調を試してみよう。




