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86 訓練


次の課題は「領域をもっと広げるように」だった。


領域を開くと閉じると言うのはすぐに出来るようになった。

一度やり方を憶えてしまえばそこまで難しくはない。


フィルシアの家の中。木の匂いが濃い部屋で、俺は椅子に座って深く息を吸う。

膝の上に手を置いて、呼吸を整えた。


フィルシアは壁際に立ったまま、淡々と言う。


「次は自分で知覚できる範囲をもっと広げることが必要ね」


「どのくらいでしょうか」


俺が聞くと、フィルシアは少しだけ顎を上げた。


「最低でも、これくらいかな」


次の瞬間。空気が変わった。


圧、というほど重くはない。でも、密度が一段上がる。


フィルシアを中心として、見えない膜がじわりと広がっていく。

床板が、椅子の脚が、部屋の隅がフィルシアに取り込まれていく感覚。


それは、森に入るまでに何度も越えた境界と似ていた。

あの時は、ただ通り抜けただけだと思っていたが

誰かの領域に入っていたのだ。



気づいた時には、その領域はこの家を越えていた。

壁の外の空気まで、肌に触れる感覚が変わっている。


「……これくらい」


フィルシアが言う。


俺は唾を飲んだ。


「これくらいのことは、スッとできないと使い物にならないからね」


淡々と話す。


「……分かりました」


覚悟を決めるしかない。


「ありがとうございました。また来ます」


俺が頭を下げると、フィルシアは視線だけで部屋の中を指した。

俺の肩のあたりに、オレンジ色の光がふわふわ漂っている。


「その子を連れて行って」


「……はい」


返事をしたら、オレンジ色だった光が赤く明滅した。

返事なのか、偶然なのか。まだ分からない。



旅人用の仮宿へ戻って、さっそく試す。


気合い十分。

……だったが、気合いでどうにかなるものじゃなかった。


境界を意識する。

広げる。

ここまでが俺と決める。


それだけのはずなのに、広げていると発散して消えてしまう。


それでも、少しずつ手応えはある。

昨日より一歩。今日より半歩。


オレンジ色の光る精霊は、いつも近くにいる。

最近は、手を差し出すと手のひらに乗ってくることがある。


しばらく乗せていると、眠るみたいに明滅がゆっくりになる。

1日ずっと一緒にいるとだんだん可愛く見えてきたかもしれない。




さらに三日が経った。


リナは毎日、へろへろで帰ってくる。

頬に汗、髪もぐしゃぐしゃ。さすがに表情が悔しそうだ。


「……ノクス、強い」


椅子に崩れ落ちて、リナが言った。


「そんなにか」


「うん。強い。方向性が違うっていうか……やり方が違うっていうか……

 今はノクスのやり方を覚えるので精一杯だよ」


俺は少し迷ってから、口にした。


「なぁ……俺たち、ここに来てからずっと飯もらってるだろ。

 一日二日ならまだしも……教えてもらって、食わせてもらって……

 何かお返しっていうか、働いた方がいいよな」


働かざる者食うべからず。の精神だ。

リナは少しだけ目を丸くして、すぐ頷いた。


「あー、確かにね。明日、聞いてみる」


それから、リナが俺の周りをくるっと回る。


「私も早く見えるようになりたいんだけどねぇ」


リナが、俺の肩のあたりに手を伸ばす。

精霊に触れようとする動きだ。


光は、すっと避けた。


「……あ、逃げた」

リナがむっとした顔になる。

「なんかいるのは分かるのに。見えないの、悔しい」


リナは一度だけ頷いて、すぐ顔を上げた。


「まぁ、いつか見えるようになるでしょ」




翌日、リナは朝から立ち上がって言った。


「じゃ、行ってくるねー」


「ノクスのとこか」


「うん。あと仕事がないか聞いてくるね」


リナが出ていくと、宿の空気が少しだけ静かになる。


俺は息を吐いて、領域を開いた。


続けるごとに、領域の範囲は広がっていった。


ただし、リナがいる時は広げないようにしている。

領域内に入れると、知覚が上がる。

それが悪いわけじゃない。けど、俺が落ち着かない。


年頃の女の子を、自分の中に入れるのは気まずさがある。



この三日間で領域の範囲を広げられるようになった。

今日はその成果を見せるべく、フィルシアの家へ向かった。


ドアをノックすると、すぐに開く。

フィルシアが顔を出して、俺を見るなり言った。


「来たね。……じゃ、見せて」


「はい」


中へ通され、椅子に座る。


俺は、できる限り領域を広げた。

壁の内側だけじゃなく、外へ。庭へ。家の周囲へ。



フィルシアが目を細める。


「……すごい。人間は覚えが早いね」


褒められる範囲が種族と大雑把だが

苦労した分、ちゃんと嬉しい。



フィルシアは続けた。


「じゃあ次はいつでも領域を広げておくように。それから、こう」


フィルシアが領域を展開した。


次の瞬間、体にかかる圧が跳ね上がった。


「……っ!」



領域内の所々で、火花が散った。

ぱち、ぱち、と乾いた音。

見えない壁で弾けたみたいに、光が走る。


(……これ、紅蓮回廊で……)


アオイが介入した時の、あの世界が別物になる感覚に似ている。

あの時は、空間が冷えた。息が白くなった。


俺は圧に耐えながら、言葉を絞り出した。


「あの……以前、知り合いが……似たようなことをしていました。

 その時は、空間が冷えてる感じでした」


フィルシアは肩をすくめる。


「領域内で発生することは本人の特性によるもの。違う形にもできるけど。

 自分の特性に合ってる方が、効果が出やすい」


「特性……」


「もちろんユウトにもある。」

フィルシアが言い切る。

そして短く促した。


「少しずつ魔力を注いでごらん」


領域を開く。

広げる。

薄くしない。輪郭を決める。


それから。


(多分、ここに魔力を注ぎ込む)


全力で注ぎ込んだ。


「ちょっ――!」


フィルシアの声が跳ねた。


その声を認識するまもなく、意識が暗闇へと落ちた。




頭が重い、体がだるい。


ゆっくりと目を開ける。


天井が見える。木目。

ここは……。


「起きた?」

フィルシアが覗き込んでいた。珍しく、心配そうな顔。


「……ここは?」


「うちのベッドよ。魔力欠乏で倒れたから」


俺は慌てて上体を起こそうとして、めまいが来た。


「すみません……ご迷惑を……」


フィルシアは、ため息を吐きかけて、途中で止めた。


「制御もできてないのに一気に魔力を注ぎ込むからだよ。まずは狭い範囲の領域で、少しずつ。

 広げるのと、注ぐのは別々に訓練するように」


「……はい」


「今日は帰って休みなさい。でも、領域を広げるのは、できる範囲で続けること」


「分かりました。ご迷惑をおかけしました」


俺は深く頭を下げた。



宿へ戻る道すがら、オレンジの光が顔の周りをふわふわ漂った。


(……心配してるのか?)


そう思って、すぐに打ち消す。



宿に着くと、ちょうどリナが戻ってきたところだった。


「お、ただいま」

途中で俺の顔を見て、リナの表情が変わる。

「……ユウト? 顔、死んでる」


「久しぶりに魔力欠乏を起こした」


「何してんの」

リナが呆れたように言う。けど、眉は寄ってる。


「いやー、まさか一瞬で飛ぶとは思わなかった」

魔力量は長年鍛えてそこそこある。

なのに一瞬で使い切るとは想定外だった。


俺は小さく笑ってしまった。笑うと頭がふらつく。


「で、ノクスは?」


「聞いてきたよ」

リナが息を整えて言う。

「明日から、仮宿の水汲みと、薪運び、と畑の草むしり。できる範囲でいいって」


「そっか、少しずつでも手伝っていこうか」


リナは肩をすくめて、俺の額を指でつつく。

「今日は寝るように」


「へいへい、もう寝ます」



久しぶりだ、魔力欠乏のこの感覚。

横になりながら、この感覚を味わう。


意外と、これはこれで悪くない。




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