85 動揺
瞑想をする。
背筋を伸ばして座り、呼吸を整える。
息を吸う。吐く。吸う。吐く。
自分自身と、世界の境界を意識する。
ここから内側は俺で。
その外側は俺じゃない。
いつもの魔力操作なら、体内の流れを感じて循環させて、濃くして、動かす。
でも今日やるのは、それではない。
足の裏。
床板の冷たさ。
空気の重さ。
自分の皮膚が触れている外側。
そこに一枚、薄い膜みたいなものがあると想像する。
自分自分が領域で、表面に境界がある。
最初はただのイメージだった。けど今は、違う。
自分自身を拡張する。
ゆっくり、ゆっくり。
わずかに、自分自身の世界が広がる感覚があった。
変な感覚だ。
自分の外側だったはずの周りの空間が、今は自分自身の一部になっている。
膜がある。
輪郭がある。
そこまでを俺だと認識すると、そこまでが俺になる。
その瞬間、視界の端に、オレンジ色の光がふわふわと近づいてきた。
いつものやつだ。
最近、手のひらに乗って明滅がゆっくりになる、あの光。
そいつは境界の周りを漂った。
外側をなぞるみたいに、ぐるりと回る。
と思ったら。
しばらくして、境界の中に、すっと入り込んできた。
自分の体の中を漂っているような感覚。
皮膚の内側じゃない。臓器でもない。
でも自分の内側にいる。
目を閉じても、どこにいるか分かる。
頭の上。肩の横。胸の前。
ふわり、と移動するたびに、微かに膜が揺れる。
その時だった。
(ユウト)
頭の中から声が聞こえる。
(……これ、アオイの時と同じだ)
夢の草原で、声が頭に響く感覚。
声の発生源は、この光だった。
意志を持っているのか。
それとも、俺が勝手にそう聞こえてるだけか。
「精霊……」
思わず声に出すと、光が小さく明滅した。
「精霊なのか?」
もう一度聞く。
光がまた、明滅する。
返事なんだろうか。
少なくとも、俺の言葉に反応してる。
この状態をしばらく維持してみる。
光は、時々(ユウト)と呼ぶだけで、それ以上は何も言わない。
ゆっくり、境界めいたものを閉じる。
すると精霊の感覚が、すっと消えた。
光はそこにある。見える。
でも、内側にいる感じがなくなる。
不思議だ。
けど、とっかかりはできた。
フィルシアのところに行こう。
樹上の吊り橋を渡って、フィルシアの家へ向かう。
風がないのに、葉が擦れる音がずっとしている。
年季の入った扉の前に立ち、ノックしようと思ったらドアが開いた。
フィルシアが立っていた。
手には小さなカップ。髪を片方に流して、じっと俺を見てくる。
「できるようになりましたか?」
声は落ち着いている。
「……一応。見てほしくて」
「そう。なら、入って」
「靴の泥を落としてね」
俺は慌てて靴底を擦ってから中に入った。
「座って」
部屋の中央にある木製の椅子を指差される。
俺は背筋を伸ばして座った。
フィルシアは俺の正面じゃなく、少し斜めの位置に立つ。
視線が逃げない場所だ。
「じゃあ……始めます」
宣言して、呼吸を整える。
自分自身と世界の境界を意識する。
ここから内側が俺。外側が俺じゃない。
それからその境界を、ゆっくり広げる。
膜が、じわりと広がっていく。
床板が、椅子の脚が、空気の層が少しずつ俺の中に入ってくる。
ゆっくりと広がっていく。
広げていくとフィルシアも領域の中に取り込んだ。
目を閉じていても、領域内のことは、細かく認識できてしまう。
さらりと流れる髪。
整った顔立ち。
服の上からでもわかるその身体。
思わず肩が跳ねた。
「……っ」
フィルシアがすぐに言った。
「目を開かないで」
俺は歯を食いしばる。
呼吸を整える。
邪念を振り払う。
「……はい」
声にすると揺れるから、返事は小さく。
フィルシアは一歩だけ近づいて、静かに続ける。
「広げるのは、面じゃないの。ここまでが自分って決めることよ」
領域の中で動かないで欲しい。いちいち意識してしまう。
自分の呼吸に集中する。何も考えない。
「ここで止めます」
境界を、今の広さで固定しようとする。
すると、膜が少しだけ厚くなる感覚があった。
光が、俺の内側でふわりと漂う。
目を閉じていても位置が分かる。
フィルシアが、指先で空気をなぞるような仕草をした。
「……ここ。今、触れてるの分かる?」
俺は喉を鳴らした。
「分かります。触られたっていうより……押された感じです」
「これが今あなたの領域」
耳元で囁かれているような感覚がして
俺は心臓が早くなるのを必死で抑える。
フィルシアが少しだけ眉を緩めた。
「今度は閉じてみて。同じ速さで、戻すの」
俺はゆっくり境界を閉じていく。自分の範囲が戻る。
内側にいたフィルシアの感覚が消える。
俺は目を開ける。
フィルシアがそこにいる。
さっきまで認識していた場所に。
「この短期間でよくここまで出来たわね。素晴らしい才能よ」
「ありがとうございます。一つ聞いてもいいですか?」
「何かしら」
俺は気になっていたことを質問する。
「……あの、さっきこの光に俺の名前を呼ばれた気がして」
漂う光を指差す。
「どうやら懐かれたようね。精霊は仲良くなる程に力を貸してくれる。
その代わり精霊が困っていたら力を貸してあげて」
横を見ると光が漂っている。
何か困ることなんてあるのだろうか。
「じゃあ、ユウトには次の課題」
フィルシアが指を一本立てる。
「今の広さで、開くのと閉じるのを繰り返して」
「……分かりました」
「焦らないでね。変な癖がつくと良くないから」
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
部屋を出る直前、オレンジの光がふわりと俺の肩に寄ってくる。
勝手に付いてくるみたいに。
力を貸してくれるような力強さは感じない。
まぁ、困ってたら言ってくれ、できる限り助けるから。
誰に言うでもなく呟いた。




