82 フィルシア
翌日ノクスが宿の扉を叩いた。
「起きろ。長老のところへ行く」
扉越しの声は低くて短い。
俺は寝台から起き上がり、荷物をまとめる。
リナはというと、起きてはいるのに、まだ目が半分閉じていた。
「ねむ……」
「昨日あんなに早く寝たのにか?」
「寝るのは得意でも、起きるのは別」
そう言って、リナは俺の肩にもたれてくる。
「くっつくな、歩け」
「はいはい」
返事は軽い。だが、声はちゃんと起きてきている。
外へ出ると、木の上の空気が冷たい。
樹上へ続く階段。太い幹に組まれた足場と梯子を登っていく。
足を置くたびに、木がきしむ。吊り橋の縄が鳴る。
下を見ると、地面が遠い。目が勝手にそらされる。
「……高いな」
「高いねぇ。楽しい」
「楽しいのか……」
リナは平気そうだ。俺は平気なふりをして息を吐いた。
そして、登っている最中も俺の視界の端に、淡い光がひらひらと揺れた。
花畑で見た、あの光と同じ色。
木の葉の隙間をすり抜けて、俺の横をすっと通り過ぎる。
(……いる)
俺の目にははっきり映るのに、リナはそれを追わない。
視線は吊り橋の先と、足元だけ。
「ユウト、よそ見してると落ちるよー」
「落ちない」
そう答えながら、俺は指輪に触れた。
冷たい金属が指先に当たる。何も起きない。
光は、何事もなかったように枝の向こうへ消えた。
樹上の奥。吊り橋をいくつか渡った先に、一軒の建物があった。
外壁は木目を生かした板張りで、飾りは少ないのに、どこか威厳がある。
中へ通されると、奥に一人、腰掛けている。
「わしはセレノアと言う」
声が、枯れているのに芯がある。
「この中では一番長く生きておる」
見た目は年老いていた。
皺が深く、髪は白い。背は低い。だが、目だけが鋭い。
ノクスを含め、村で見た人たちは若い見た目の者が多かった。
だから、セレノアの老いは逆に目立つ。
それからここに来て見る人は、みんな耳が長い。
(耳が長い種族……俺が知ってる限り、それはエルフだ)
ノクスが一歩引いて、短く言った。
「客人だ。ラツィオから来た」
セレノアは頷き、俺を見る。
「精霊の魔法について調べたいと聞いたが」
「はい」
俺は一度息を整えた。
「魔術の勉強を続けてきました。今より強くなるために、精霊の魔法を知りたいと思って来ました」
言葉にすると、覚悟が固まる感じがした。
俺は続ける。
「それと……精霊化、という言葉を耳にしました。もし、教えていただけるならありがたいです」
セレノアは顎髭をいじりながら、俺の顔を見ている。
しばらく、無言。
その沈黙の間に、俺の視界の端で、淡い光がふわりと浮いた。
梁のあたり。天井近く。ゆらゆら揺れている。
(……ここにも)
俺がそちらへ視線を向けると、光はすっと移動して、影に隠れた。
俺をを避けるみたいに。
セレノアが、ようやく口を開いた。
「ふむ」
それから、少しだけ声を落とす。
「玻璃の姫がおっしゃるのであれば、仕方がないのう」
(……はりのひめ?)
音は聞こえた。けど、俺には何のことか分からない。
名前、なのか。称号、なのか。
俺が戸惑っている間に、セレノアは続けた。
「フィルシアに教わるといい」
「……フィルシア、さんですか」
「そうじゃ。わしより適任じゃろう」
その流れを、リナが遠慮なく割り込む。
「あたしも剣、習いたい」
ノクスが一瞬、目を細めた。
リナはまっすぐ見返している。
セレノアは、面白そうに口角を上げた。
「ふむ。それはノクスに聞くといい」
「……俺が教えるのですか」
ノクスの声が、わずかに低くなる。文句だ。
リナがにやっと笑う。
「やった」
セレノアは手をひらりと振った。
「まぁよいじゃろう。客人をもてなしてやってくれ。
話は終わりじゃ。下がれ」
俺は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
リナも真似して頭を下げる。
「ありがとーございます」
ノクスが短く言う。
「来い」
樹上の吊り橋を歩く。足元は板だが、隙間から風が上がってくる。
高さのせいか、腹の奥が少し落ち着かない。
「……ノクスさん」
「ノクスでいい」
「ノクス。フィルシアさんって、どんな人ですか」
「聞くな。会えば分かる」
そう言って、ノクスは歩幅を変えない。
会話を切るのが早い。
しばらくして、一軒の家に辿り着いた。樹上の通路から少し外れた場所だ。
入口の前でノクスが手を上げ、ノックした。
……反応がない。
ノクスはもう一度ノックした。
それでも返事はない。
「留守か」
ノクスは扉の取っ手に手をかけ、軽く押した。
鍵はかかっていなかったらしい。扉がきい、と開く。
「……勝手に入っていいのか?」
「長老の許可だ。入れ」
そう言い切って、ノクスは中へ入った。
俺も渋々、続く。
中は整っていた。机、棚、干した薬草の束。
生活の匂いがする。誰かの家だ。
ノクスが一通り見回し、俺を見た。
「中で待て。そのうち戻る」
「……分かった」
ノクスは扉の方へ戻り、今度はリナを指差した。
「お前は、着いてこい」
「え、いま?」
リナが一瞬だけ俺を見る。
俺が頷くと、リナは肩をすくめた。
「はーい」
ノクスとリナが出ていって、扉が閉まった。
取り残された俺は、立ったまま固まった。
(……気まずい)
勝手に入って、勝手に待つ。
相手が帰ってきた瞬間、知らない男が家にいたら恐怖すぎる。
俺は棚にも机にも触れず、壁際に座ることにした。
……そのとき、また光が見えた。
部屋の隅、薬草の束の影で、淡い点がゆらゆら揺れている。
(こいつら……ここにもいる)
俺が目を合わせようとすると、光はふわりと上へ逃げ、梁の影に消える。
目の端で追いかけていると、いつの間にか意識が遠のいていった。
ギィ―と、扉が開く音。
俺は跳ねるように目を覚ました。
頭がまだ回っていないのに、口だけが動いた。
「おはようございます!」
言った瞬間、しまったと思った。
知らない人の家で寝てしまった。
扉のところに立っていたのは、エルフの女性だった。
長い耳。引き締まった顔。セラに似ていて美人だ。
エルフの女性はみんなこうなのだろうか。
だがその整った目は冷たいというより、警戒の色が濃い。
手には籠。中には野菜や薬草みたいなものが入っている。
女性は怪訝な表情で俺を見ていた。
俺は慌てて頭を下げた。
「すみません……勝手に入ったつもりはなくて」
女性は籠を握り直し、短く言う。
「どちら様ですか?」
声は落ち着いている。
俺は座ったままになっていたのに気づき、慌てて立った。
「ええっと、ユウトといいます。セレノアさんからの紹介で来ました」
女性の目が、ほんの少しだけ細くなる。
「……セレノアが」
「はい」
名前を出すと、女性は返事をしなかった。
ただ、俺の指輪に視線が向くがすぐに戻る。
俺は続けた。
「精霊魔法を学びたくて、ラツィオから来ました」
女性は、ひと呼吸置いた。
「そう」
それだけ言って、少し考える顔になる。
何かを計っているみたいに、視線が俺の足元から顔へ上がる。
そして、諦めたように肩を落とす。
「……仕方ない」
籠を机の上に置き、俺を見た。
「何が知りたいの?」




